第三章 (2)
「シュレぇ!」
セウラの激情によって作り出された炎は、その顔色が蒼白となると共に、たちまちかき消えた。
青年は動かなくなっていた。
「シュレ、シュレ……」
、あわててシュレを抱き上げた。まだ、微かに息はあった。気を失っただけのようだ。
「バカ。シュレの、バカ! なにがだいじょうぶなんだ」
セウラはシュレに向かって手をかざした。
リップルをうまく使いこなすことが出来れば、人の身体を癒す光に変えることもできる。
「ルルナみたいに、ルルナみたいに……」
それを呪文のようにつぶやきながら、手に念を集中する。が、
「うぁっ!」
つぶやきは悲鳴に変わった。
手からあふれたのは、癒しの光どころか、熱い炎であった。
シュレの身体を焼いてしまいそうになるのを、あわてて手を振ってそれをかき消す。
「くそっ!」
セウラは目に涙をにじませて、何度も地面を殴りつけた。
「なんてへたくそなんだ! ルルナみたいにどうしてうまくつかえないんだよ!」
その時――
「せぇちゃん?」
聞き覚えのある声がした。
セウラはすがるようにして顔を上げた。そこにいたのは、見覚えのある少年の顔だった。
「ティル君?」
だがフリルデの弟は、セウラのことを『せぇちゃん』などとは呼ばない。
この村でそう呼ぶのは、一人しかいない。セウラは探した。彼女はすぐに見つかった。
少年の後ろに付き添うように立っていた。
「ルル、ナ?」
絶望に彩られたその表情に、だんだんと気色が戻る。セウラが求めて止まなかった娘であった。
「ルルナぁ! きてくれたんだね!」
飛びつくように立ち上がった。
「え、え?」
状況のまったくわかっていないルルナは、目を『?』にして首を横に傾げる。
「ルルナ! 得意だったよね!? 治癒の、解毒のトゥルを使うの、得意だったよね!?」
「え、得意かどうかは、わからないけど……」
「おねがい! シュレを助けて、シュレを助けて!」
「え、うん」
ルルナはしゃがみ、言われるがままシュレの肩の傷口に右手を添える。
だんだんとその周囲のリップルが揺れだし、それが白く優しい光に変わっていく。
それに伴って、シュレの苦しげな顔が、若干ではあるが和らいでくる。
「よかった、ほんとに……」
一安心、というほど状況は好転してはいなかったが、セウラの口からは大きな安堵の息が漏れた。
「セ、セウラさん、いったい、これはどうしたんですか? さっき、すごい火柱が上がったから、駆けてきたんですけど、こんなことになって……」
少年ティルはすっかりおどろいた様子で、落ち着かない目をきょろきょろさせている。
シュレのほうをたまに見ようとするが、血まみれの凄惨な姿は子供心に恐ろしいらしく、なかなか直視できないでいるようだった。
セウラは、疲れた笑みをティルに投げかけた。
「いろいろあってね。明日じゃ、だめかな。今日は危険だから、早く帰った方がいいよ」
「え、でも」
ティルは頭を掻きながら、言った。
「姉が、まだ帰ってきてないんです。セウラさんは、知りませんか? 何か、あったんじゃないかって……」
「フリルデが、帰ってないの?」
「はい」
セウラの顔に、再び不安の色があふれた。
(あのあと、森の奥に走っていったけど、道に迷ったんじゃ……)
その時であった。
「うわああ!」
ティルの悲鳴が上がった。不意に背後から何かにつかまれて、身体が持ち上がったのだ。
「ティルくん!」
それは、巨大なサソリの手だった。はさみで、ティルの胴をつかみ上げていた。
リリだった。
爆発の直撃を受けて全身を黒くくすませた少女は、もう一方の手で胸元をさすりながら、恨めしそうな目でセウラのことをにらみつけていた。
「おまえ! ティルくんを放せ!」
「やだ」
セウラが構えようとすると、リリは背中から漆黒の翼を生やし、空へと飛び上がった。
「おまえとは戦わない。こわいから」
「なに……」
リリは森を抜けたところにある、小高い丘を指さした。
村では、西の丘、といわれている場所だ。
「あそこで待ってる。夜が明けるまでに、シュレを一人で来させろ。でないと、この子の首を引きちぎる」
「一人で!? そんなの無理に決まってるだろ! おまえだって、シュレの様態を見ればわかるだろ!」
「そんなこと、知らない」
「ま、まて!」
リリは聞く耳持たず、翼を大きく広げて丘のほうへと羽ばたいて行ってしまった。
「くそ……くそぉ!」
「ちょっ、せぇちゃん、どこに行くの!」
セウラが感情的に走り出そうとしたのを見て、ルルナがあわてて声をかける。
「取り戻してくる!」
「まってよ、せぇちゃんが行ったら、ティルくんが首ちぎられちゃう!」
「だからって、シュレを連れて行くわけにはいかな――」
「それは、だめ」
二人のやりとりに、突然女性の声が挟み込まれた。
「セウラ、あなたが考え無しに行動したって、シュレくんは助からないと思うわよ」
いつの間に現れたのか、そこに女性が立っていた。
丈長のチュニックの上に、頭部から肩のあたりまでを覆うゆったりとしたフードをかぶっている。
背中には、大きめのリュックサックが背負われ、腰には短刀が揺れている。
旅人の装いをした、女性だった。
女性は落ち着いた感じのある細い目で二人に微笑みかけると、フードをはずした。
はらりと、短くまとめた金髪が揺れた。旅のためか、少し乱れている。
「ユリノ先輩!」
セウラの目は、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。
「帰ってたんですね!?」
セウラは顔をクシャクシャにしてユリノの元に駆けつけると、その胸に顔を埋めた。
「シュレが、シュレが!」
「よしよし」
ユリノと呼ばれた女性は、まるで子供をあやすかのようにセウラの頭を優しくなでる。
セウラはしゃくり上げながらも、今まであったことを口早に説明した。
「リリ……、紫色の目をした、女の子、か……」
ユリノは、噛みしめるように呟いた。
「シュレくんの住んでる小屋がここから一番近いわね。じゃあ、そこでセウラはシュレくんを看病してあげて。ルルナは見張り。結界を張ることを忘れずにね」
「え? 見張りなら、わたしがやります。ルルナの方が、治療も出来るし」
セウラは反論したが、
「いいのいいの。そんな無粋なこと言わないで」
ユリノの笑い顔に流される。
「じゃあ、わたしはティルくんを助けてくるから。フリルデは、悪いけど後回しね」
そう言い残して、ユリノはまるでお使いにでも行くかのように、西の丘へと向かって行ってしまった。
二人は少し圧倒されたようにその後ろ姿を見つめていたが、その顔には、若干の安堵の色が増していた。