第二章 侵入者
第二章 侵入者
すでに日が落ちて遠い。
リップルにゆがまされた月の光が、落ち尽きなくユナリス村を照らしている。
日が暮れた後に外を出歩く者はほとんどおらず、村は無人の廃墟のごとく、音もない。
その人気のない夜道を、二つの人影が歩いていた。
一人は、ルルナであった。
夜の闇が怖いのか、不安そうな面持ちで静寂に沈んだ村を見回しており、たまにどこかで物音が立つと、ビクッと身を縮める。
「あの、バカ」
「え!?」
傍らのもう一つの影が不意につぶやいたので、ルルナは思わず怖じ気づいた声を上げてしまった。
「……どうかしたんですか?」
首を傾げてルルナに視線を返したのは、シャツと半ズボンを着た軽装の少年であった。
耳の辺りまで伸びた髪は灰色がかっている。
白い肌につりめがちの目。唇も薄く、細身の剣を思わせるような、どこかツンツンした雰囲気を漂わせている。
「いや、なんでもないの」
ルルナは照れて笑った。
「で、でも、バカって、ふぅちゃんのこと?」
「それ以外に、だれがいるんですか」
「え、でも……」
数回瞬きしたあと、少年をあやすように言う。
「お、お姉ちゃんのことを、そんなふうに言っちゃいけないよ、ティルくん」
ティルと呼ばれた少年は、フリルデの弟である。
帰りの遅い姉を探していたところで、帰る途中のルルナと出会った。
そしてルルナからフリルデとセウラの事情を聞いて、その場所まで案内してもらう事になったのだ。
「バカですよ。本当に」
ルルナの言ったことを早速無視して、ティルは続ける。
「だってそうでしょう? 今日は、頼りになるユリノさんがいないんですよ? こんな時はちゃんと家で待機してなきゃいけないんですよ。だいたいあいつは、普段からトゥーラの自覚が足りないんだ。セウラさんばっかり目の敵にしてさ。そうだと思いませんか? ルルナさん?」
「え、うん……」
さすがフリルデの弟といったところか。その目つきだけはフリルデを思わせるほどに鋭い。
ルルナは年下の少年にすっかり気圧されて、ろくに反論も出来なかった。
「だけど……」
「ルルナさんも甘いですよ。ユリノさんがいない時を見計らってセウラさんに大事な話って、絶対ろくなことじゃないですよ? あいつの考えることは、いつもろくでもないんだから」
「そ、そんなことないと思うよ? 何か、ちゃんとした考えがあるんだと思うよ?」
ルルナには、両親もいなければ、兄弟もいない。幼い頃に両親をなくして、師匠に保護された孤児だからだ。
それはルルナに限らず、セウラ達この村のトゥーラは皆、そういった孤独な境遇な者達であった。
フリルデに弟がいるというのは、数少ない例外である。
孤児なためか、ルルナは家族というものに強い憧れをいだいており、必要以上に神格化するきらいがあった。
お互いが尊重し、大事にしなければいけないという思い込みも強く、尊重どころかあからさまに姉のことを罵倒するティルには、すっかり目を丸くしてしまっている。
「何か、本当に事情があるんだと思うよ。そんなに簡単に、バカだなんて決めつけちゃ、お姉ちゃんがかわいそうだよ?」
「バカですよ」
ティルは言い捨てた。ルルナのぎこちない笑みが、硬直して、動かなくなる。
「そんな。お姉ちゃんがかわいそうだよ……」
「かわいそうってどこがです。だいたい、ユリノさんにこのことが知れたら――って、ルルナさん?」
ルルナの顔を見上げて、ティルはギョッとした。今にもこぼれ落ちそうなほどに、ルルナの目に涙がたまっていたのだ。
「ティルくん……」
恨めしそうに、ルルナは何かを言おうとしていたが、しゃくり上がって声にならない様子だった。
「おねえちゃんのことぉ……」
「え、あ、うん、ご、ごめんなさい!!
ティルはしどろもどろになりながら、両手と首をぶんぶん振る振るう。
「バカじゃないです、バカじゃないですって!」
「本当に?」
「え、は、はい」
「じゃあ、もうお姉ちゃんのこと、バカだなんて言わないでね。あとで、ちゃんと謝ってね?」
満面の笑みが、ティルに降りかかる。
「わ、わかりました」
ティルは顔を引きつらせて同意すると、ルルナから逃げるように、村はずれの森に向かって足を速めた。