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第六章 変貌

第六章 変貌


 ルルナは戦っていた。

 額から止めどなく流れ落ちていく汗を、顔を振ってはじき飛ばす。

 光の刃の牢獄は、すでに作り出された当初の半分近くにまで小さくなっている。

 リリの悲鳴が響きわたり、それすらもかき消す激しい風切り音が狂ったように唸りを上げる。

《幻刃の監獄》。それは光の刃で作られた檻の中へ敵を閉じこめ、動けなくした上で切り刻み、押しつぶす。

 数多いトゥルの中でも高等の範疇に入るものであり、ルルナの使える最強のトゥルだった。

 人を、生き物を、傷つけることなどしたいとも思わない。こんな残酷なトゥルなど、今日まで知っていることすら不快だった。

 嫌がるルルナに無理矢理訓練を課し、覚えさせたのは、ユリノだった。

 師匠が病で命を落とした次の日からだ。訓練が始まったのは。

 父代わりでもあった師匠を亡くした悲しみがまだまだ生々しく、文字通り涙が乾いてすらいないルルナを、ユリノは無理矢理森へ連れ出して、訓練を課した。

 訓練のためにオオカミを殺したときには、涙が止まらなかった。

 目をつむると、切り刻まれた狼の死体が克明に現れ、数日眠ることも出来なかった。

 ようやく光の刃を自由に操れるようになり、一応の基礎訓練が終了したときは、本当にうれしかった。

 もう二度と使うものかと心に決めていた。村は平和だったし、役に立つ日が来るとも思っていなかった。

 それが、役に立つ時が来た。使うことに躊躇もなかった。

 シュレやセウラ、村人達を守らなければいけないという気持ちが、強く背中を押してくれていた。

 当時はユリノを本気で憎みそうになったが、今では、感謝の気持ちしかない。

(とどめ!)

 ルルナは、大きく息を吸った。

 檻の象徴でもある眼前の光の玉を、一気に潰そうと両手に力を込めた。

 だが、動かない。

 ある程度まで両手は近づいていたが、もう少しで合わさろうというところで、そこから先に進まない。

 絞り出されるように、汗と共に涙まであふれてくる。

 リリの彷徨が響くと共に、徐々に光の玉は大きくなっていく。

 押し返されているのだ。

 負けられない。ルルナも全霊を込め、力を注ぎ込もうとした。

「そこ、までだ」

 その時、首筋に冷たいものが触れた。

 ハスナであった。

 額から流れる血をぬぐおうともせずに、抜き身の剣をルルナの首筋に当てていた。

「そのトゥルを、やめろ」

 剣を持つ手が、震えている。

 リリの手から落ちたときの衝撃で、相当な痛手を受けているはずだった。気を失っているものだとばかり、思っていた。

「やめない」

 ルルナは首筋に当てられた剣などないかのように、ハスナの方を見もせず言った。

「わたしは、せぇちゃんを、シュレくんを。この村を守らなきゃいけないから……」

「きさま!」

 だが、口では強がっていたが、ルルナの力は限界に達していた。

 だけではなく、一瞬でも気が散ってしまったことが、ルルナとリリの力の拮抗を崩していた。

 光の刃が弾かれ、リリの体が元の大きさに戻っていく。

「絶体に、やめない!」

 力をどうにか込めるが、がんばりも虚しかった。彼女の必死は、まったく無駄な行為に終わった。

 光の檻は完全に破壊されていた。

 風の音は弱まり、怒り狂った彷徨はいっそう高く響きわたった。

 リリは檻から脱出すると翼を広げ、鮮血を振りまきながらルルナに突進する。

「せぇちゃん」

 ルルナは色をなくした。逃げる力など残っているはずもない。

「ごめん」

 観念したように、目を閉じた……。

「ルルナぁ!」

 その時だった。セウラの声が響いた。突如吹き付けてきた風が、ルルナの身体を包み込む。

「え……!?」

 目を開くと、広場が眼下に広がっていた。ルルナの身体は、上空にあった。

 空を飛んできたセウラが、ルルナを掠ったのだ。

「飛んでる……」

 信じられないとばかりに舌を振るわせながら、呟く。

「飛んでるよ、せぇちゃん」

「うん」

 セウラは頷いただけだった。

 身体の周りを取り巻くリップルを上手く操ることによって、空を飛ぶトゥルは存在する。

 だがそれは極めて高等、至難なトゥルであり、セウラ達はもちろん、ユリノも、師匠ですら使いこなすことは出来ていなかった。

 そのトゥルを、今のセウラはあたりまえのように使いこなしていた。

「おまえぇ!」

 不意のセウラの登場にも、リリはひるまなかった。

 蛇の腕が柔軟に方向を変えて、上空のセウラのほうへと迫ってくる。

「……」

 セウラはタイミングよく片手を突き出した。口を開けて襲いかかる蛇の下あごをつかみ、思い切りぶん投げる!

 砂埃を上げて地面にたたきつけられるリリを横目に、セウラは地面に降り立った。

「せぇちゃん、それは……?」

 ルルナの視線が、セウラの左手に握られているものに留まった。

 紫色に輝く宝石だった。

「……」

 セウラは、答えなかった。



「それ……、それだ!」

 リリの声が響いた。

 獣の姿のまま身を起こしたリリは、紫色の目を爛々と光らせて、セウラの左手に握られたそれを凝視していた。

 リリの右手の蛇が、大きく顔を持ち上げ、鎌首をもたげる。威嚇するかのように甲高い唸り声を上げる。

「それを、わたせぇ!」

「渡すもんか……」

 セウラは、《雫》を力強く握りしめた。

 周りの空間が震え、ゆがみだす。《雫》から発生したリップルが、激しく波打ち始めたのだ。

「今のわたしは、とても強いんだ。おまえに勝ち目はないよ。あきらめて、どっかにいなくなれ」

 右手の拳をリリに向かって突き出すと、激しい音を立てて炎が吹き上がる。

「でないと、燃やすぞ!」

「わたせぇ!」

 威嚇もリリにはまったく関係がなかった。大きく目を剥き、口から火球をセウラに放つ。

「無駄!」

 セウラは右手の拳を振り上げ、リリの放ったそれの数倍はあろう巨大な火球を投げつける。

 リリの火球はかんたんにそれに飲み込まれた。

「なぁ!」

 なおかつ火球の勢いは止まることなく、リリの身体に炸裂した。

 爆発。

 周辺一帯が真っ赤な光に染まり、村を揺るがすほどの爆音が響きわたった。

 地面が爆風に煽られ、漆黒の空に土埃がもうもうと舞い上がる。

(これは……)

 上空に吹き飛ばされた土や石ころがぱらぱら落下してくる中、セウラは息をのんだ。

 焦りに満ちた目で、自分の手のひらを見つめる。

(やりすぎた)

 元々、トゥルを使う際の力の加減が苦手だったセウラである。

 にもかかわらず、《雫》を手に入れたことにより、今のセウラは《雫》より発散されるリップルをその体に宿していた。

 その威力は通常考えられないものだった。

 少しでも力の加減を誤れば、第二の《セウラ広場》が出来上がる程度では済まないだろう。

 おそらく村全体が、灰になる。

 リリは爆発によって放射状にえぐられた地面の中央に、半ば身体の埋まった状態で倒れていた。

「すごいよ、せぇちゃん……」

 傍らのルルナがあっけにとられた様子で、呟いた。

「わたしの結界の、中なのに……」

「ルルナ」

 セウラはリリを見定めたまま、口を開いた。

「危険だからどこかに避難してて。ここにいると巻き込まれる」

 小さく頷いて遠ざかっていくルルナを横目に、その生死を確認するためにリリに近づく。

 ぼろぼろに焼けたリリの身体は、もはや戦える様子ではなかった。

 翼は破け、五本の角のうち、三本がへし折れている。

 身体はしぼみ、半ば少女の姿へと戻っているが、片手は蛇の形、片足は鳥の足のままだった。

 フサフサの体毛も、焦げた状態で全身を覆ったままだ。

 もはや獣の身体をまともに維持することができないのだろう。ひどく不安定な姿だった。

「く、くそお……」

 だが、目に宿る強い光だけは衰えてはいなかった。

 むき出しの歯をかみしめて、憎々しげに顔を歪めながら、セウラの身体をにらみ付けた。

「わたしは、手に入れる」

「渡さない」

 セウラは、きっぱりと言い放った。

「どんな理由があっても。渡さない。消えろ。二度とシュレには近づくな」

「いやだ……。いやだぁ!」

 ボロ、ボロと、リリの目から涙があふれ出した。

「せっかく、見つけたのに、あきらめてたまるもんかぁ!」

 だだっ子のように顔をクシャクシャにして、セウラに向かって足を踏み出そうとする。が、

「リリ。もうやめて」

 ハスナの背中が、それを拒んだ。彼がセウラとリリの間に立ちはだかったのだ。

 リリはあわてて涙をぬぐう。

「ハスナ、危険。どこかへ行っていて。あいつはわたしが……」

「無理でしょう。見ていればわかりますよ」

(こいつ……)

 セウラはゾッと鳥肌を立てて、思わず後じさった。

 ハスナの表情。背中側のリリに見えなかったのは、幸いだったのかも知れない。

 笑っていた。

 本当にうれしそうに。こみ上げるものが我慢できないとばかりに、その顔には満面の笑みが張り付いていた。

「なんだ、おまえ。なんなんだ……」

 ひどく陰湿。恐ろしく邪悪。

 どうして相方が死の危機に瀕しているというのに、このようなうれしそうな笑みを浮かべることが出来るのか。

 リリがどれだけ必至に戦っていたと思うのか。

 敵であるというのに、ひどくリリが哀れに思えた。

「消え去れ! でないと、殺すぞ!」

 あの顔はもう見たくない。目を背け、ゴミを払い捨てるかのように、セウラは腕を振った。

「なにをそんなに怒っているのです」

 ハスナはセウラの途惑いを楽しむように気味の悪い笑みを浮かべながら、言った。

「まさかとは思いますが。あなた、リリに同情しているのですか? わたしが、心配するそぶりを見せないから」

「……」

「それは無理というものです。わたしには、出来ません」

「ハスナ……?」

 倒れたまま、すがるようにリリは見上げた。

 ハスナは振り向くと、極めて穏やかにリリに微笑みかける。

「リリダロス。残念です。あなたもそろそろ終わりですね」

「リリ……ダロス?」

 リリははじめてその名を聞いたのかも知れない。目を泳がせながら、その名を繰り返した。

「あなたの、本当の名ですよ」

「本当の? どういうこと。いっしょにわたしの記憶を探してくれていたハスナが、どうしてわたしの本当の名前を……」

「知らない者など、いませんよ」

 ハスナはゆっくりと剣を振り上げた。セウラは反射的に構えたが、彼の剣は、セウラには向かなかった。

 ハッとした。

「やめろぉ!」

 手を伸ばして叫んだが、遅かった。

 ハスナは剣を素早く逆手に持ち替え、リリの身体に突き刺した!

「あ、あ……」

 胸に深々と突き刺さった剣を引き抜くと、傷口から紫色をした光がこぼれる。

「おや? 血を作り出すだけの力も、もはや残っていませんか」

「は、ハスナ……」

 リリは表情もなく、崩れ落ちた。

 微かにひくつく身体から、まるで空気が抜けていくかのように紫色の光があふれ出していく。

「いい機会ですから、教えてあげましょうか。あなたの知りたがっていた過去を」

 苦悶するリリに、ハスナの侮辱に満ちた笑みが降りかかる。

「あなたは、グーマが自らの邪悪を《雫》に込めて作り出された《ミレス》のうちの一人、リリダロス。八人の中でも群を抜いて残虐卑劣。魔王の大陸統一の際には、最も多くの人間を殺した《まがき娘》」

「ミレ、ス……」

「魔王グーマの死後にあなたは封印されたのですが、長い歳月の後に封印を解かれ、力と記憶をなくしてこの世界に放浪することになったのですよ。そして、あなたはわたしに偶然出会った」

「……」

 リリは何かを言いたそうだったが、もはや口を開く気力も残っていないようだった。

 ぼんやりと自分を裏切った男のことを見上げている。

「どうして教えなかったかとでも、聞きたいのですか?」

 ハスナは大きく口元をゆるめた。

「だって怖いじゃないですかぁ。あなたは《禍き娘》と呼ばれたほどに、人の命を何とも思わないヤツだったんですからね。過去を教えて記憶を取り戻されでもしたら、わたしは殺されてしまうかもしれないんですよ? それに人間になりたいなどと、叶わぬ夢を吹き込むことも出来なくなる」

「か……叶わぬ……?」

「本当に、獣程度の知能しかないのですね。あなたはリップルから落ちた《雫》。石っころなんですよ! そんなものがどうやって人間になるんですか。子供でもわかることですよ」

「じゃ、じゃあ」

 リリはそれでもハスナを見上げた。

「け、けっこんは……」

 それが、リリの最後の言葉だった。

 紫色の目からひとしずくの涙がこぼれ落ちると、彼女の身体は一瞬大きな光を放った。

 その光が消えたとき、あとには灰色に色あせた《雫》が転がっていた。

「まあ、その約束は守るつもりですがね」

 ハスナはおもむろに、それを拾い上げる。

「これで、ふたりは永遠に一緒ですから」

 笑い声が、響いた。

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