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第四章 (3)

「おまえじゃない」

 ユリノを用心深くにらみ付けながら、リリは不機嫌な声を上げた。

「シュレを連れてこいって言ったんだ」

「シュレは今、危篤の状態です。動かすわけにはいかないので、わたしが交渉に来ました」

「交渉、そんなもの……」

「まずは自己紹介をしましょうか」

 リリの言葉に、ユリノが声をかぶせる。

「わたしの名前は、ユリノ・ラース。一応、この村のトゥーラの中では最年長ですわ。といっても、まだ二十歳をちょっとすぎた程度ですけれど。ちょっと、ちょっとですよ?」

「そんな話は……」

「師匠が亡くなってしまいましたのでね。わたしが、フリルデ達にトゥルを教えております。一応、師匠という立場かも知れませんが、わたしも修行中の身ですから、あまりそう呼んでほしくはありませんね。だから、みんなには今まで通り先輩って呼んでもらうことにしていますわ」

 ユリノは片手を胸に当てて、深くお辞儀をする。

「おまえ……」

 リリは口を開こうとするが、すぐにユリノの声が被さってくる。

「趣味は、読書。でも、この村にはあまり本がないので、あまり読む機会はありませんわ。出来れば、この大陸の歴史なんかをいろいろと研究したいとも思っているんですけれどね。昔は、歴史学者になるのが夢でしたし。でも、師匠が亡くなっていろいろとやらなきゃならないことができてしまって、それは、まだまだ、わたしの後輩達が、独り立ちできるくらいになってからになりそうですわ。でも、いつかはするつもりです。何せ、わたしはまだ若いですから。二十歳を、ちょっと、本当にちょっとすぎただけですし」

「おい……」

 恨めしそうな目をして、一生懸命言葉を割り込ませようとするものの、ユリノはそれを完全に無視してしゃべり続ける。

「それじゃあ、つぎはわたしの得意な料理につい……」

「ユリノさんでしたね」

 見るに見かねて、ハスナがユリノのしゃべりに声を挟み込んだ。

「訳のわからないことをべらべらと。結界が薄れるまで、時間稼ぎでもしているつもりですか?」

「ばれちゃいました?」

 ユリノは子供のように舌を出した。

「い!」

 フリルデのびっくりした声が上がった。

 ハスナが威嚇するように、足下のフリルデの眼前に剣を突き刺したのだ。

「早くシュレという男を連れてこなければ、この娘を殺しますよ?」

「わかりましたよ……。じゃあ、仕方がないので交渉に入りましょうか」

 ユリノは若干真剣みを増した目で、リリのほうを見る。

「リリちゃん、でしたね」

「リリに何を吹き込むつもりです」

 ハスナがユリノの視線を遮るように二人の間に割って入った。

「わたしはリリちゃんと交渉がしたいのですが」

「だから交渉などするつもりはありません。早くシュレとか言う男を――」

「リリちゃん?」

 ユリノはハスナの存在などまったく無視するかのように、リリに向かって話しかける。

「結論から言わせてもらうわね。あなた、この村に住んでみない?」

「え!?」

 驚きの声を上げたのは、フリルデだった。

 思いがけぬ提案に目を丸くするハスナの足下で、それ以上に大きな目をしてユリノを見上げていた。

「黙ってて、フリルデ」

 ユリノは続けた。

「リリちゃん? あなたの事情は、ある程度は把握しているつもりよ? この村なら、あなたを受け入れることが出来る。似たような事情なのが、一人いるからね」

「あなたは、何かを知っているようですね」

 ハスナは用心深く言った。

「だが、その程度のことならば誰でも言える。自分はあなたを理解できる。そう言ってリリのことを利用しようとした者が、いままでどれほどいたことか」

「そうですね。あなたみたいにでしょう? ハスナさん」

「なに……?」

 ハスナの目が鋭さを増した。が、それは一瞬だった。すぐにその視線はゆるみ、鼻で笑い捨てる。

「反論する余地もないほどにバカげた挑発ですね。それでわたしとリリとの関係が崩れるとでもお思いですか?」

「そのようですね。鎌をかけて見ましたけど、失敗でしたようです。けれど、どうもあなたみたいなお上品な方には、裏があるように思えて仕方がありませんので。ええ、個人的な偏見ですけどね」

 ユリノは自嘲するように口元を崩した。

「……」

「とにかくリリちゃん」

 ハスナのいぶかしげな視線を横目に受けながら、リリにまた話を振った。

「そろそろやめにしない? あなたはこのままでは、『すり減っていく』だけだと思うよ? 幸い、今のところ死者も出ていないし。今ならば、みんなで歓迎もできるわ」

「おい、いい加減にしないと――」

 やめさせようと口を開いた瞬間だった。

 ハスナは絶句した。背後のリリが彼を退けるように前に出てきたのだ。

「その話、ほんとう?」

 リリは、恐れるような眼差しでユリノを見上げた。

 ユリノは微笑みで返す。

「もちろんよ」

「リリ! あきらめるつもりですか!? 人間になれなくなりますよ! 記憶も戻らなく――」

「いいよ」

「なんだと!?」

 ハスナの表情が固まった。

「ねえ、ハスナ。住まわせてもらえるんなら、そうしようよ」

 リリの顔がゆるみ始めた。ほんのりと頬を赤らめて、言う。

「な、なあ、それで、けっこん、しようよ。この、村で。記憶なんてどうでもいいよ。わたしは、ハスナがいれば、それでいいよ」

 ハスナは激しく首を振った。

「いや、リリ、だまされてはいけませんよ。あなたは純粋すぎます!」

「でも、あいつはちゃんと住んでた。あのセウラとか言う女は、あいつを心から心配してた」

 ハスナは目を泳がせる。

「わたしはうそはつかないわ、リリちゃん」

 ユリノは手をさしのべた。

「う、うん……」

 それに、リリは照れるようにしながらも、手を伸ばした。

 もう少しで手が触れる。その時だった――

「じょうだんじゃない!」

 怒りに満ちたその声が、静けさを取り戻しはじめた丘に響きわたった。

 全員の視線が、一斉にそこに集まる。

 フリルデだった。

「誰が、いっしょに住むですって? じょうだんじゃない! こいつらが弟になにをしたか、先輩! わかっているの!」

 フリルデは瞳を涙をにじませて、半ばもがくように怒りをぶちまけていた。

「こんなヤツと住んでたまるもんですか! こいつらは、ティルに怪我をさせたんだ! ふざけんな! いいか盗賊ども! ゆるさないって言ったよな! なにが結婚だ! あんたたちはのたれ死ね! 改心して罪が消えるとでも思ってんのか? ざけんな盗賊!」

「フリルデ、やめなさい!」

「わたしはゆるさない! いいか! 先輩がゆるしても、わたしはゆるさな――」

「黙りなさいっていってるでしょフリルデぇ!!」

 ユリノの金切り声が響いた。

 村中に響きわたったのではないかと思えるほどの、耳をつんざくような一声だった。

 さすがのフリルデも、動きを止める。

「リリちゃん!」

 ユリノは急いでリリに振り向いた。

「……」

 だが、すでに遅かった。

 リリは、身体を震わせていた。

 顔をクシャクシャにして、今にもこぼれ落ちそうになる涙を、こらえていた。

「リリ、ちゃん……」

「リリ、一つ学びましたね。こういう人間たちは、絶対に信じちゃだめなんですよ。悲しい思いをするのは、結局、きみなんだから」

 ハスナの手が、慰めるようにリリの肩にのる。

「この人たちの内心は、フリルデとかいう娘がいったような、ああいうものなのですよ。リリ、きみは純粋だから、すぐに人を信じてしまう」

「……」

 リリは震えながらゆっくりと、大きくうなずいた。

「リリちゃん! そんなことない! わたしは本当に、あなたのことを!」

 ユリノは声を荒げた。だが、リリが再び顔を上げたとき、その説得は無駄であることを悟った。

 その表情。

 眉間には深い嫌が刻まれ、歯はむき出しにかみしめられていた。

 顔色そのものがどす黒いものに変わっていき、その興奮に満ちた紫色の瞳が、煮えたぎるような光を放っている。

 怒り。

 ユリノは反射的に目をそらしてしまった。すさまじく恐ろしいものがそこにあるような気がしたのだ。

「やっぱり、うそだったんだな、女!」

「ちがぅ!」

 ユリノはそれでも必死で弁解しようとした。リリの近くへ駆け寄ろうとしたとき、リリの腕が巨大な蛇へと変わった。

「リリちゃ――」

 蛇の腕は鞭のようにユリノの胸をひっぱたいた。

 その身体はまったく無力に吹き飛ばされ、勢いよく地面にたたきつけられる。

 無理をして立ち上がろうとするが、呼吸がつまって身体が動かない。

「なんてこと……リリちゃん……」

 唯一自由のきく目が、その姿を見た。

 リリ。そう呼ばれていた少女の身体は、みるみるうちに、見たこともない生き物へと変化していった。

 身体は膨張し、両腕は巨大な蛇になった。

 背中からは漆黒の翼が飛び出し、両足は鋭いかぎ爪を生やした鳥の足へと変化していく。

 鱗の覆うしっぽが生え、全身を銀色の長い毛が覆い尽くす。

 頭からは一本、二本……、全部で五本の角が生える。

 唯一、顔の部分だけは、その形をかろうじて留めていたが、いっそう生え出た髪が、顔の大部分を覆い尽くしていた。

 その髪の合間から、紫色の目が不気味な光を放つ。

 獣のような彷徨を上げると、蛇の手をハスナに巻き付け、漆黒の翼を大きく広げた。

 ユリノはぼやけた視界の中に、リリの蛇の腕にいだかれたハスナの顔を一瞬、見た。

 笑み。勝ち誇ったような、嫌らしい薄ら笑い。

 それはとてつもなく醜く汚いものに、ユリノには見えた。

「気がついて、リリちゃん……。あいつは、いけない」

 もうろうとする意識の中、ユリノは最後にそう呟いた。


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