第2話『逃げる男』
僕は今窮地に立たされています。
僕がベッドにダイブしたはずのそこには硬い石畳があり、周りにはなんかローブを着たおっさんと一人だけ可愛いお姫様っぽい女の子がいた。
(いやいや、コスプレ?夢?でも痛かったよな。後頭部絶対コブできてるよこれ!)
「あの……」
お姫様?が心配そうな顔をして僕を見下ろしていた。
周りはざわざわとざわめき、僕を見て何やら話している。
「ようこそいらっしゃいました、救世主様!」
きゅーせーしゅ?
「あー、人違いですよ」
「いいえ、その黒い髪、黒い瞳、貴方様は救世主様です!」
いや、日本人はほとんど黒い髪ですよ。
お姫様?は感激しているのか僕の手を握って涙を流している。
女の子と手をつないだ経験が皆無の僕としては赤面ものだが、今の僕には反応できない。
さっきの痛みは本物だったのだから、現実だ。
彼女の手の感覚も……柔らかい。
「お願いです、救世主様……この国を御救いください!!」
僕の腕時計で1時間後。
「救世主様!!」と歓迎ムードになり、なぜかいきなり剣を持たされ、いかにも強そうな人に「戦え!」と迫られ……向かってきたその人に驚いて思わずしゃがんだら僕につ躓き、勝手にこけて歓声が上がった。
何が何だかわからないうちに僕=救世主という方程式がこの人たちの中で定着してしまったらしい。
なんか……
怖い!!!!
僕は部活で空手部に入っている。
練習で鍛えることは好きだけど、実戦は得意ではなく、今日行った部活の試合も一回戦負け。
睨みつけてくる人を目の前にすると足が竦むか、魂が抜けそうになるほど逃げたくなる。
理由はいわゆるトラウマで、幼稚園の頃めっちゃ強面のばんちょーと呼ばれる隣のひよこ組の園児に、「おれのあいちゃんをとるやつはゆるさねー」とわけのわからないことを言われ、ぼっこぼこにされたあげく一か月包帯が取れなかった。
幼い僕には一生残る心の傷だ。
そのせいか、睨みつけられたりすると僕のスキル、逃げ足が発動し、今では足だけは陸上部をも超える。
剣を持って相対しただけでも褒めてもらいたいくらいだ。
なのに!
「冗談じゃないよ、こんなわけのわからない場所にいきなりっ」
今現在僕は絶賛隠れ中です。
これ以上こんな場所にいたら、こ……殺される!!
広い敷地があるらしい城をこそこそと隠れながら出口を探しさまよっていた。
まるで迷路のように感じる。
『いたか?』
『いや、上だ』
見つかるの早っ!!?
足音は消してるはずなのに、逃げる先には必ず兵士っぽい人が先回りしている。
兵士の人もそれっぽい鎧着てるし、ただでさえチキンハートなのにこれ以上心臓に悪いことが続いたら僕はどうなるのだろうか。
ガチャガチャ
「(やばい……っ!?)」
廊下が行き止まりになっていて、逃げられそうな場所がない。
あるとすれば扉が背後にあるだけだが、入って誰かいたらそれでもうアウトーッ!なことになる!
どうする、僕!
と、覚悟をきめようとした瞬間だった。
ガバッ!!
「!?」
急に扉が開き、部屋の中に引き込まれた。
バタンと扉が閉じた後、兵士の足音が部屋の前まで近づいてきた。
「なっ」
「しっ。静かに、これをして!」
そう言って僕の腕にはめられたのは綺麗な腕輪だった。
驚いた僕の口を手で覆い、しーっという仕草をしたのはさっきのお姫様にちょっとにている美人なお姉さんだった。
足音が扉の前にきて、ノックされる。
『殿下、失礼します』
「どうかなさったの?」
『こちらに不審な人物が来たと思うのですが……』
ふ、不審だとー?!
好きで来たわけじゃないのに!
「それならば先ほど魔力を感じましたが、すぐに遠ざかりました。それと、その不審者というのは?」
『い、いえ、ただのコソ泥です』
「そうですか、早く捕えてくださいな」
『は!失礼いたしました!』
ガチャガチャ……
早足でかけていく足音が遠ざかる。
ゆっくりと僕の口を覆っていた手が外され、お姉さんが離れる。
「ごめんなさいね、とつぜん」
「いいいい、いえ、助かりました!」
思わず大きめの声を発してしまったが、はっと口を覆い、すみませんと謝った。
お姉さんはくすくすと笑い、ソファに座った。
とても広くて豪華な部屋だが、無駄なものはなかった。
一つ一つが高級そうだが、オブジェとか絵画とか、そういう類の鑑賞物はテーブルの上の一輪の花だけだ。
「どうぞ、コソ泥さん」
「か、勘弁してください。僕、何も盗んでませんよ」
「冗談ですよ」
座ったソファはすごく座り心地がよくて、今までにない感触だ。
柔らかすぎず、硬すぎず……欲しいなぁ。
感動に浸っていた僕にお姉さんはそっと紅茶を差し出してきた。
「あなた、『チキュウ』の方でしょう?」
「えっ、知ってるんですか?!」
「ええ、前にも召喚された方がいらっしゃったから」
前にも僕みたいに召喚された人がいたのか……
「でも、また召喚の儀式が行われるなんて……僭越ながら国を代表して謝罪させてください」
急に頭を下げた彼女にかなり焦った。
こんな綺麗な人、しかも会って数分も経たない人にこんな土下座並の謝罪をされては困る。
「頭上げてください!お姉さんに謝られるいわれはないし……」
「いいえ、あなたを召還したのは私の妹でしょう。私の他に召喚の儀式を行える巫女は彼女だけですから」
「巫女って?」
「シュトレイン国の王族の女にあらわれる特別な血を持つ者のことです。その血がなければ召喚の儀式は行えません。私も、その一人であり、元々あなたの召喚をするのは私でした」
「ええっと……でも、お姉さんじゃなかったんだよね」
あの場にいたのはお姫様っぽい女の子。
彼女はお姉さんの妹さんだったのか……ん?王族って言ったか?
もしかして……
「お姉さんとあのお姫様っぽい子って王族ってこと……ですか?」
「ええ」
「すみません!なんか、お姉さんとか馴れ馴れしく呼んで!!」
「ふふ、構いませんよ。私、そのように呼ばれるのは初めてです。あ、私、シュトレイン国第1王女アウリア・メリア・シュトレインと申します」
「僕は桐谷蓮といいます」
「キリヤレン……こちらでいうと、レン・キリヤでしょうか」
「はい、たぶん」
きっと僕の前に召喚された人が同じ日本人だったのだろう。
なんか、賢いお姉さんだなぁ。
「ではレン様とお呼びしますね」
「様はちょっと……ま、いっか」
にこにこと逆らえない笑みに負けた。
改めてみるととても綺麗な人だ。
天然なのか、プラチナブロンドが透き通り、眼は綺麗な青だ。
そんじょそこらのモデルさんより綺麗だな……
「それで、先ほどの続きですが」
「は、はい」
やば、見惚れてた。
「私はレン様を……救世主という存在を召喚することには反対しました」
彼女はドレスを握りしめて悔しそうな表情をしていた。
召喚された場所にいた人たちは喜んでいたのに、彼女はなんだか違った。
「救世主というのは私たちの国、シュトレイン国と隣り合う国、イオカリス帝国との戦争に勝利を導き、我が国に栄光と平和をもたらす存在とされています。10年前長きに渡ったこの大陸『アルカトス大陸』で起きた大戦を治めたのも召喚した救世主でした……
彼はとても強い力を持ち、シュトレイン国に勇気を与えてくれました。
戦争も彼なしでは終わることはなかったでしょう。
しかし、私たちは全てを彼に押し付け、彼を苦しめてしまった。
彼には戦う義務があると追い詰め、全てを彼に……
戦争を終わらせてくれる彼に期待という責任を背負わせてしまった。
それでも彼は戦ってくれた。
そしてその手で戦争を終わらせてくれた。
その時に約束したのです。
この国を争いのない国に変えると。
なのに……再びその過ちを繰り返そうとしている。
また、争うことを求めている人がいる。
私たちが生んだ争いをまた救世主に押し付けるということは愚かなことです。
だから私は召喚の儀式を反対しました。
あなたを呼んでしまったのはまだ何も知らない妹が行ったこと。
それでも、私たち巫女があなたを巻き込んでしまったことには変わりありません」
冷めてしまった紅茶で乾いたのどを潤すが、手が震えて飲みにくかった。
「その……救世主の人って戻れたんですか?……元の世界に」
「わかりません……戦争終結とともに消えてしまいました。生きているのかどうかも……」
戻れない。
そう言われているような気がした。
「あの、どうして匿ってくれるんですか?」
「あなたを逃がしたいのです。でも、その前にあなたの魔力を消す必要がありました」
「魔力?」
「この世界には魔法というものが存在します。あなたの世界に『カガク』というものがあるように」
「それでその魔力が僕にある?」
「ええ。とても強い魔力が。それを感知されたせいで兵たちがあなたを追ってきていたのですよ」
どうりで逃げても追ってくるわけだ。
僕の逃げ足スキルが衰えたわけではなかった。
「今はその腕輪が制御の代わりをしてくれています」
「あ、さっきの」
綺麗に腕にはまっているそれは小さな宝石がちょこんとはめられている以外は特別装飾はない。
「魔力の制御ができるようになればそれも必要なくなりますが、しばらくはしていたほうが良いですね」
「何から何まで……」
「申したはずですよ?私はあなたに逃げて欲しい。それに……」
優しい笑みを浮かべたお姉さんは紅茶のおかわりを入れながら言った。
「あなたは争い事には向いていない。優しい魔力をしているから」
まるで……
彼のよう。
「護衛を用意します」
唐突に言い出したお姉さんは小さなベルを取り出し、ちりんと鳴らした。
そのすぐ後にノックが聞こえた。
足音も気配もなかったためかなりビビったが、お姉さんは当然と言うように入りなさいと言った。
静かに入ってきたのはいかにも騎士っぽい服装をした釣り目の可愛い女の子だった。
僕と同い年くらいだろうか。
「失礼します、殿下」
深くお辞儀をした彼女の横に立ち、顔を上げさせる。
「この子はジェスティア・ルンブルク。私の騎士のひとりです」
赤い髪が特徴的で長い髪はポニーテールにしている。
「ジェティ、この方はレン・キリヤ様。例の方です」
「存じております。準備も万事整えました。すぐにでも出られます」
「えっと、レンです」
僕がそう言って手を差し出すとジェスティアさんはその手を見つめ戸惑いがちに握り返してきた。
その様子を嬉しそうに見ていたお姉さんは握手している手に自分の手を重ねた。
「ジェティ、この方をお願い。王女としてじゃない、親友として……」
「わかっている、アリア」
「レン様、ジェティは頼りになる子です。あなたを安全な場所まで連れて行ってくれます」
「お姉さん……」
窓の外がざわついてきた。
きっと僕を探している人たちだ。
「急ぎましょう。レン様」
「ジェティ、この転移魔法の陣を使って。探知にかからない代わりに一度だけで、王都の外まではいけないけれど……」
「はい」
陣の用意をするジェスティアさんを目で追っていたが、お姉さんが僕の手を握った。
「もし……もし、彼に会ったら伝えてください」
彼……それは僕の前の救世主のことだろう。
「『今度は私が戦います』と」
陣に立ち、僕とジェスティアさんは光に包まれる。
見送るお姉さんの顔は悲しそうだった。
「お姉さん、ありがとうございました」
そう言うと、お姉さんは笑ってくれた。
視界が白くなり、何かに吸い込まれるような浮遊感に包まれた。
いってらっしゃい。
そう聞こえた気がした。