第1話『動く日』
大きな魔力が動いた。
これはあの時と同じだ……俺が呼ばれた時と同じ力。
釣竿を揺らしながら空を見上げた。
ぽちゃん
「あ、逃げた」
アルカトス大陸の極東の海沿いの町フィニア。
漁業が盛んで町人のほとんどが自給自足の生活をしている豊かな街で、シュトレイン国に属しているが、ほぼ完全に独立しているといっていい。
自衛も住民が行い、国税を支払う必要がない為、かなりの自由がきいていることから、商人なども自由に行き来し活気のある街になっている。
「いよっしゃあああ!きたぁあああ!!」
石で固定していた釣竿を手に持ち、一気に引き上げる。
遠くの方で水しぶきが立ち、巨大魚が宙返りをし……
ぽちゃん。
魚は海に返りましたとさ。
呆気にとられて思わず尻もちついちまったじゃねぇか。
「完全に食いついてなかったか……はぁ」
「よーぉ、ユーガ!なんだぁ、そのへっぴり腰はー!」
「なっさけねぇぞー!」
声をかけてきたのは船に乗っている漁師のおっさんたちだった。
砂浜に尻もちをついている俺の姿を見て網を引き上げながら笑いあっていた。
町の外れに家を建て、住み始めてから彼らとは知り合った。
釣りを教わったのもおっちゃん達からで、よく魚を分けてもらったりして交流がある。
「うっせぇー、今日はキャッチ&リリース気分なんだよ!」
「なんだそりゃ!」
あっちじゃ釣りなんかしたことなかったからなぁ。
なんて思ってみたりする。
俺は10年前、いわゆる『異世界トリップ』というものを経験した、元地球人だ。
名前は染井雄呀。
こちらの世界で言うと、ユーガ・ソメイとなる。
ちなみにこちらに来てから10年経ち、26歳となったが、魔力が高いせいで外見は一寸も変わっていない。
変った所と言えば腕が一本ないところかな。
いきなり召喚された世界では国同士が戦争していて、その戦争を終わらせるための救世主となってほしいと美人に頼まれ、流されるままに戦う道に立っていた。
もちろん人を殺したし、憎しみや怒り、悲しみなど、縁がないだろうと思っていた感情を経験していった。
英雄なんて、救世主なんてものになりたいとは思わなかった。
救世主なんて呼ばれて、行き着く先はろくなものじゃない。
戦争を終わらせるため、俺は代償に剣を持つ腕を……右腕を切り落とした。
今の俺は片腕だ。
肩の先からすっぱりと切れ、服に隠れているがさらに包帯で覆い隠している。
片手生活は苦になることがあるが、出来のいい“弟子”が俺の右腕をしてくれている。
元々肉体的に超人だから重い物も持てるし、魔法が使えるから大体のことはそれですませる。
今思えば安い買い物だ、と思うのが本心だ。
あんな腕一本で今の平穏を手に入れられたのだから、後悔なんてない。
魔法で腕を生やすこともできるが、これは戦争が終わったという“証拠”なんだ。
俺はもう世界の為には戦わない。
もし、また戦争が起きたとしても、それは俺には“関係ない”ことだ。
救世主は死んだ。
「だからって、また召喚するとか……学ばないねぇ」
魔力が動いた気配。
きっと俺と同じように召喚された救世主という都合のいい代名詞を持つ“犠牲者”が来たに違いない。
魔力は大きいけれど、俺ほどじゃない。
弱弱しい気配がビンビン伝わってくるし。
可哀そうだが、王道展開に進むか、俺みたいに分岐するか……
「がんばれよ、きゅーせーしゅ」
そっと呟くと潮の匂いが鼻を掠めた。
あ、潮の流れが変わったかな。
「おっちゃーん、今日は向こうの方が魚いそうだぜー!」
「本当かー?」
「ほんとほんと!釣れたら分けてくれー!」
「わぁかったよー!大漁だったらなー!」
俺の収穫無しだからおっちゃん達には頑張ってもらわねぇとな。
釣竿を固定し直し、空のバケツを持って家に戻ることにした。
コンッ!
コンッ!
家の近くに来ると薪割りの音が大きくなってきた。
この音も釣りと同じようにいつもの日課となっている。
「なんだ、帰ってたのか」
止んだ音に近付くと、小さな家の裏で割った薪を拾い集めている愛弟子がいた。
俺に気づいていたらしく、拾う手を止め、こちらを振り返っていた。
「おかえりなさい、師匠」
「ただいまー、カザス。今日のクエストは簡単だったのか?随分早ぇじゃん」
バケツを置いて、近くに落ちていた薪を一本拾う。
綺麗な金髪と碧眼のカザスは俺の弟子であり、俺の右腕でもある。
右腕を失った直後から俺の新しい右腕となった。
一から鍛えたが、今では剣術は俺を抜き、修行の一環としてギルドのクエストを受けさせている。
いや、生活費がどうこうとはけっしてない。
むしろ食い物には困っていないのだ。
ギルドの報奨金は全てカザス本人の小遣いにしていいと言っている。
「A級の魔物だけで、すぐに終わったので。ついでに町で買い物を」
A級って聞けばギルドの人間は多少ビビるのだが、カザスには雑魚だったらしい。
「珍しいものだったので」
と、言って取り出したのは大きなつぼで、あいにくと俺には鑑定眼はないので違いがわからん。
薪を持っている為受け取らないが、貰わなければいけないのだろう。
「また買ってきたのか?お前、その収集癖どうにかしろよ」
「収集ではなく、師匠にお土産です」
「ってか、俺にじゃなくて自分のために使え」
それはもう何度も言っていることで……
最初のうちは珍しい物が増えてすげぇおもしろーい!とか喜んでしまったが、それに味をしめたのか、遠出のクエストを受ける度にその町で俺に“お土産”を買ってくる。
その“お土産”は今家の隣に設置した倉庫を埋め尽くしている。
俺は別に欲しいと言った覚えはないのだが、こいつは飽きずに貢物のように買ってくるのだった。
「まぁ……」
もう倉庫に置くところないし。
「傘立てにでも使うか」
「はい」
「玄関の方にでも置いておけ、ほら」
持っていた薪をカザスの持っていたつぼに入れ、バケツを倉庫にしまうため、倉庫に向かう。
「あ、そうだ。」
再び薪割りを再開しようとしているカザスはきょとんと俺を見つめている。
俺が気にしているのはさっきの魔力の気配のことだ。
(あいつも成長したとはいえ、面影はあるからな……)
そのうち再び争いが起きる。
最初は小さく、だんだんと大規模になっていく。
カザスをその中心に持っていくことは避けたいな。
異世界からの召喚を行ったということはすでに起こり始めているその渦に巻き込ませるわけにはいかない。
「しばらくは依頼を受けるとき気をつけろよ」
「何か起こったのですか?」
真剣なまなざしを向けてくる愛弟子はきっと巻き込まれる確率が高いからな。
「これから、な。お前は大丈夫だろうけど、ギルドの方は慌ただしくなるだろうから」
「……はい」
「あと……お前も釣りを覚えろ!」
おっちゃん達よりも大物を釣って目にものを見せてくれる!
そう宣言した俺に無表情だったカザスはほんのり笑って返事をした。