第5話 『狼と男』
薄明るくなってきた森は、少し冷たい空気を纏っていた。
静かなそこで鳥たちがピピピと鳴き始めている。
里の小さな道具屋で入手した服を着て肌寒さをどうにか防ぐ。
さらに外套を着こみ、宿屋の各部屋に設置されているベランダに出て木製の手摺から身を乗り出すように腕を乗せた。
ふと空を見上げると、完全に修復された結界が魔力を反射して輝いてみえた。
出立の時間までまだ時間があるが、早めに目が覚めた雄呀は静けさの中にあるココンを見渡していた。
ふだんはぎりぎりまで寝ている性だが、今日は早くに目が覚めてしまった。
カザスもすでに起きているだろうが、雄呀が部屋を出るまで自分にあてがわれた部屋でじっとしているだろう。
地球で言うと4時くらいだろうか。
「早起きだねぇ、おにーさん。」
すっと隣に気配が現れ、手摺に座った。
寒い中、薄着のそいつをちらりと見た後、ため息をつく。
「なんか用か?」
「用なんてねぇよ?朝のご挨拶。」
おはようございます、と笑いながら頭を下げる。
この男、トライナーは昨夜一銭も払うことなくテーブルに居座っていた。
「しっかし、驚いたねぇ。」
「なにがだ。」
「いろいろと。」
そう言って指を雄呀の方に向けた。
「おにいさんもそうだけど、特にあの仏頂面の美形さん。」
笑っていた表情に浮かぶ眼は逆に笑っておらず、雄呀は鋭い視線をやる。
この男とは一度は敵として接した時から信頼という可能性は皆無だ。
そして、今この男は探っている……いや、確認をしている。
「俺、結構いろーんなとこ転々としてるからわかっけどさぁ、あれは魔剣だけど……おにいさんが作ったんだろ?」
「魔法使えないのによくわかるな。」
「っていうか、匂い?俺、“鼻”がいいんだ。」
時にお金の匂いはビンビン来る!と笑った。
それに、と腰に下げていた細身の剣を鞘ごととり、雄呀に差し出す。
鞘で封じられているのか、仄かに温かく強い魔力が感じられる。
「炎の魔剣か。」
「へぇ、わかんだ?」
「あらかた、前の魔法はそれが素だったんだろ。」
目の前に差し出された剣を受け取ることなく、見ただけでそう言った。
トライナーが蓮たちを襲った時使っていた火属性の魔法は、この剣の魔力を使った魔法だった。
「そ。こいつは炎の魔剣、シュトッフェン。知り合いの遠い先祖が作ったらしい。おにいさんが作った剣は?」
「シュバルツ。」
「かぁっこいー。」
ヒュー、と口笛を吹いて魔剣シュトッフェンを腰に戻す。
「っとこれはただのおまけ話……ほんとに言いたいのはさぁ」
ザッザッザ。
「すいません、カザスさん。」
「……」
無言でシュバルツをふるい、草木を切り開いていくカザスを先頭に後ろに雄呀、蓮、ユーナ、ジェスティアが続いていた。
魔力が安定している雄呀とジェスティアは顔色がよく、しっかりとした足取りで歩いている。
「森を出たら嫌というほど疲れさせてやるから、体力温存しておけ。」
「えっ。」
逃げ腰になった蓮の肩を叩き、さっさと歩けと促した。
「とりあえず森を出たら近くの町に向かいつつ、野宿しながら修行するぞ。」
「は、はい。」
「地図によると、小さな村があるらしい。2日くらいでつくだろう。」
ジェスティアがユーナと一緒に地図を広げそう言った。
ココンを出てから数時間がたっていた。
この世界のことや、蓮たちがいた地球のことを放しながら歩いていると、森が開けてきた。
だんだんと道のようなものが見え、木の海が途中で消え、広い街道に出た。
「抜けたー!」
「あー、しんど。」
嬉しそうな表情をした蓮の隣でコキコキと首を鳴らした雄呀。
シュバルツをしまい、カザスは陽のまぶしさに目を細める。
「この道沿いに行こう。」
方角を確かめ、そう提案する。
それに賛同し、再び道を見渡す蓮はあれ、と首をかしげた。
「あんまり人が通ってないけど……」
「こんな田舎に好き好んでいく人間は少ねぇってことだ。すれ違っても行商かギルドの人間とか、あの守銭奴みてぇな自由人だけだろ。」
守銭奴……トライナーのことだろうか。
蓮が朝起きた時、トライナーが雄呀と一緒に一階に下りてきた。
不機嫌そうな雄呀と別ににこにこ……いや、にやにやという表現が正しい笑いを浮かべたトライナー。
彼はまだこの里に居座るらしく、「またな」と言った。
それに対してカザスは睨みを利かせ、雄呀は舌打ちをしていた。
「ユーガさん、トライナーさんのこと嫌いなんですか?」
「お前は平気そうだな。」
「なんか、話してたらあんまり怖くなくなってきたっていうか……」
「俺は嫌いだ!」
一気に不機嫌パラメータが上昇していった。
これ以上この話題が続いて行くとひどいことになりそうだと察し、口を閉じる。
「にしても、こっからずっと歩きはきついな。」
面倒臭そうに言うと、蓮たちから離れた。
そして足もとに大きな魔法陣が描かれる。
広がった陣の上に物体が構築されていく。
出来たのは町でよく見かけた馬車だった。
全員が乗っても余裕がある広々としている。
それを見て蓮たちは感動した。
「こ、これはなんという魔法なのだい?!」
「秘密ー。」
「ユーガさん、すごいです!」
「すごーい!」
ジェスティアはかなり感動しているらしく、馬車をあちらこちら見まわし、蓮は絶賛した。
ユーナも目をキラキラさせている。
「まぁな……だが、一つ問題が……」
『え?』
「これを引く馬がいない。」
『……』
「おおー。」
「ふわふわー。」
馬は結局諦めたが、雄呀は再び陣を描いた。
そこから現れたのは大きな白い毛並みの狼だった。
‹お久しゅうございます、主殿。›
「ああ。」
白い狼は雄呀に向かって頭を下げ、その場に伏せをして目線を合わせた。
鋭い牙を見て蓮は顔を引きつらせたが、雄呀が親しく話している様子を見て隠れはしなかった。
「あああああの、ユーガさん?こ、この犬って……」
‹グルルル›
「ひぃっ?!」
隠れていた牙をむき出しにし、蓮に向って睨みを利かせる。
「こいつは俺が契約してる召喚獣で、白狼のシグニス。犬っていうと怒る。」
「すみませんでしたぁああ!」
超高速で土下座をした蓮を見てシグニスは鼻を鳴らした。
‹次にその言葉を申してみよ、頭から食い殺してやろう。›
「んなことより、シグニス、ちょっと頼みがあんだけどよ。」
‹はい。›
「馬車を引っ張る馬がいなくてさ、引っ張ってくんねぇか?」
そう言われたシグニスは自分の背後にある馬車を見た。
確かにそこには馬がいない。
‹我が、ですか?›
「そうそう。お前しか頼めるやついないんだ。」
‹我しか……(主殿は我を頼ってくださっている!なんでも壊す馬鹿竜ではなく、性悪な狐でもなく、腹黒いデカブツ竜でもない……この我を!!)›
ジーンと感動して黙り込んでしまったシグニスに首をかしげ、雄呀はおーい、と目の前で手を振った。
それにはっとした巨体は尻尾をぶんぶんと振り、お任せください!と言った。
「(犬だな。)」
「(犬にしか見えない。)」
そう思われているとも知らず、シグニスは馬車の近くに行くが、馬車の方が小さいためか、バランスが良くない。
ふとシグニスは息を吸い、魔力を纏うとだんだん身体が小さくなっていった。
丁度いい大きさになったのを確かめてから、これでよろしいですか、と聞いてきた。
「いいんじゃねぇの?じゃ、カザス。」
「はい。」
馬車をひくために道具を取り付け始めるカザス。
残った雄呀たちは荷物を積み込む作業に入った。
ココンで食料を買い込んだため、結構多荷物になっていたのだ。
雄呀がそばからいなくなり、シグニスはジロリと自分の目の前にいるカザスを見る。
白い毛並みに埋まっている金色の眼がカザスを映していた。
数分静まっていたが、シグニスが口を開いた。
‹貴様はまだ主殿のそばに居るのか、小僧›
黙ったままのカザスは馬車とシグニスを繋げていた。
「……」
‹我“等”は貴様を良く思ってはおらぬぞ、わかっておろう。›
グルル、と唸り声を聞いてカザスは手を止めた。
そして初めてシグニスと目を合わせた。
金と青が交差する。
‹貴様はいつか主殿を“殺す”›
「俺は師匠を守る。」
‹守る?ククク……笑わせる。›
歯を出し嘲う。
‹イオカリスは……いや、この世界は主殿に救われ、そして、主殿を殺す。いくら名を捨てても、血は消えはせぬぞ。›
「……それは、予言か。」
‹予言ではない、運命だ。›
カザスがつけた道具の心地を確かめ、立ちあがる。
いくらか小さくなったサイズは馬三頭分はあった。
ぶるぶると首を振り、その場に座る。
‹しかし……主殿を生かしているのも、貴様だ。認めたくはないがな。›
久しぶりに見た自分の主は魔力が大幅に削られていた。
もとから無限に近い魔力を持っていたためか、あまり変わらないように見えるが、魔力で生きている召喚獣にはわかる。
そして、雄呀には右腕がなかった。
召喚されずとも、魔力で繋がっている召喚獣は主のことはわかる。
何が起き、何を感じるかも。
‹主殿が貴様を殺すことはないが、我等は違う。主殿を傷つければ、たとえ契約を切られようとも、貴様を食い殺す。›
「……ああ。」
ギュッと最後の固定をすると、馬車の後ろから声がかかった。
「できたかー?」
「はい。」
手綱の具合を見て言うと、雄呀はふむふむと返事をした。
「じゃあ御者はカザスが……」
<我はこの者は嫌でございます。>
「え」
「俺も嫌です。」
「は?」
間に立つ雄呀をはさんでシグニスとカザスが火花を散らすと、ふんっとそっぽを向いた。
わけもわからず2人を見比べる。
「お前ら、何かあった?」
『いえ、なにもありません(ございません)!』
息ぴったりで答えた彼らに首を傾げるが、とりあえずジェスティアに頼んでみると、シグニスも了承した。
馬車の箱に乗った雄呀はすぐに寝転がり、その横にカザスが腰をおろした。
朝早かったためか、ユーナはうとうとし、外套を丸めた枕を下にして寝ていた。
蓮はジェスティアの横に座って手綱を扱う彼女を見ていた。
手綱を引かなくとも、シグニスならきちんと歩いてくれるが、魔物が馬車を曳いているのは珍しくないが手綱がないのはいない為、必ずつけなければいけない。
ゆったりと歩くシグニスの背を見ながら綺麗に光る毛並みに見惚れていた。
「シグニスの毛は綺麗だなぁ。」
<そうか>
「私もこのような美しい生き物を見たのは初めてだ。」
<そうか>
「えっと……良い天気ですね。」
<そうか>
『……』
「(か、会話が成立しない。)」
「シグニスってユーガさんにしか話さないのかな?」
こそこそ
「そうかもしれないな。」
こそこそ
「なんか……」
こそこそ
「ああ、カザスに似ているな。」
ギロッ
<なにか?>
『い、いえ……』
気まずい雰囲気に耐えられず、助けを求めようと雄雅の方を振り向く。
「くかー……」
「(ユーガさぁああああん!!)」
この後、雄呀が起きるまで馬車には沈黙が流れているのだった。
某刻……
「ここかな?」
崩れた瓦礫を踏みつぶし、漂う空気に目を閉じる。
大きく息を吸いこむと、眉をひそめ、眼を開けた。
「臭い。」
あたりを見渡し、何かを辿るようにして草の間を歩く。
匂いを嗅ぐと、ふとそれが途切れた。
「こん匂いはあいつの匂いだ……まったく。まーた殺したのか。」
魔力の臭いと焦げた肉と血の匂い……懐かしい匂いが台無しだ。
「あのお馬鹿は何をしてるんやら。」
大きな岩に腰掛け、空を見上げる。
雲ひとつない快晴の青空。
「はぁあ……またすれ違いだとさ、シュトッフェン。」
腰にさした剣を取り、鞘を撫でる。
装飾の小さな赤い魔石が返事をするようにきらりと光った。
いつものふざけた表情はない。
今朝、話した男のことを思い出す。
『イオカリスの皇子様って生きてたんだ?』
『あいつはもうイオカリスの人間じゃない。』
『そう言っていられるのも今のうちなんじゃない?』
『こっちはわかってて今ここにいんだ。』
『きついねぇ。』
『……』
『もしバレれば戦争かもよー……しかも、10年前よりずーっと酷い、ね。』
『その時は……』
「ありゃ、本物だったなぁ。」
甘っちょろい眼じゃない。
全部を知っていて、それでいて決断した眼。
「今度はどっちが勝つんかねぇ。」
「な、シュトッフェン。」
人間っていうのは、ほんと……
おもしろい。