第3話 『紋章と結界』
ココンの里でも最も長寿の大樹に埋め込まれるようにして作られている家。
そこが里長の、今回の依頼主の家だった。
宿の女将に依頼主の名前を言い、この家を教えてもらったのだが、その存在は荘厳なものである。
「はぁー、あれだな、どっかの赤い服着てる黄色い熊の住んでる家のでっかいバージョンだな。」
「黄色い熊とは、魔物の一種ですか?」
「いや、夢の国の住人。」
苦笑を浮かべ、家の扉の横にかけてあるベルの紐を引いた。
心地よく、それでいて大きな音が響く。
しばらくして扉が開き、中からユーナと同じくらいに見える女の子が控え目に現れた。
こちらを探る様な眼で見てくるその子は、眉を八の字にしている。
「ど、どちら…さま、です?」
「ギルドの依頼できたんだけど、長さんいるか?」
長という言葉を聞いた瞬間、雄呀とカザスを交互に見て、おずおずとした態度で「お待ちください、です」と言って、中に引っ込んだ。
可愛いなぁ、と思いながら再び扉が開くのを待っていると、今度は勢いよく扉が開け放たれた。
どーんっ、という効果音でも似合いそうな大男がにこにことした表情で出迎えてくれたのだ。
男は先ほどの女の子と同じように雄呀とカザスを見て、さらににこっと笑みを浮かべる。
「ようこそいらっしゃいました!いやぁ、よかったよかった!どうぞ!おはいりください!」
ははは、と雄呀の両肩をバシバシと叩いてでかい声で言った。
(いだっ、いだっ?!)
男はカザスより大きく、体つきもがっしりしている為、その力も強い。
こ、この野郎……と恨めしそうに男を見上げると、急に叩くのが止んだ。
「おや?」
そう言って雄呀の先がない右肩を探るように触る。
「こりゃまた……」
でかい声がどんどんしぼんでいき、そろそろ雄呀がキレそうになる時だった。
ふと、男の首に黒い刃が添えられた。
雄呀の後ろから出てきたそれは男の首の皮一枚を斬るか斬らないかというくらいで止まっている。
「その手を離せ。」
いつもより1オクターブ低い声でシュバルツを光らせるカザス。
一瞬にして背負っていた大剣を目に見えない速さで構えていた。
無遠慮に雄呀に触っている男に憤りを感じたらしく、無表情の上に怒りの表情が加えられている。
男は冷や汗をひとつかき、驚いていた表情を笑顔に変えた。
「おお、すまんよ、がはは!」
「離せ。」
再度通告され、男はゆっくりと後ろに下がった。
そして、中に導くように扉のノブを持ちなおし、どうぞ、と言った。
シュバルツをおさめたカザスを確認して、扉をくぐった。
中は想像していた通り、全体が木造で、広い空間だ。
この大男が何十人いても余裕で暮らせそうなくらいだった。
奥の方の客間らしき部屋に通され、雄呀はソファに座り、その後ろにカザスが立った。
「(やっぱり、ここも魔力が流れてるな。)」
この家の住人のものではなく、エルフの森から流れている魔力。
濃くはないが、魔力の高いエルフにとっては常に軽い船酔いのような感覚になるくらいだ。
わざわざこんな場所に里を作らんでも……
と、足を組んでゆったりモードになり、ソファの背に体重を乗せた。
足音が聞こえ、開いた扉からはさっきの大男と見た目40代くらいのおっさんが現れた。
このおっさんが里長だとわかるのは早かった。
彼から感じる魔力は穏やかでありながら強い。
頭を下げ、向かいのソファに腰をかけたおっさんと、カザスと同じように後ろに立った男。
すっと姿勢良く座ったおっさんと、対峙する雄呀は背に体重を預けたまま見返す。
「ようこそいらっしゃった。」
「まぁ、仕事だからな。」
「わしはココンの代表でヘイ、後ろにいるのが補佐のウロンでございます。」
「俺はユーガ、後ろのはカザス。」
補佐だったのか、とウロンを見ると、まだにこにこしている。
雄呀は後ろでカザスが不機嫌な表情をしているのを感じた。
(まだ怒ってんのか。)
「それで、依頼ですが……」
「この結界、だろ。」
「っ……お分かりでございますか。」
手を組んで苦しそうな顔を浮かべる。
魔力制御の腕輪なしで、ヘイも体調が悪いはずだ。
「かなりガタがきてる。寿命なのか?」
「いえ、この結界は半永久的に持続できる魔具で形成されているのでございます。」
「まだ効果は続いているが、結界自体に綻びができ始めてる。これだと、すぐに魔具自体が壊れるぞ。」
「はい、しかし、あの魔具は本来そのようなことにはならないはずなのでございます。今回は、その原因を調べていただきたいと思いまして、ギルドに依頼を申したのでございます。」
しかし、エルフは魔法の専門家のはず。
人間よりもその辺に関しては詳しいはずだ、と聞いたが、ヘイは首を横に振った。
「この里にいるエルフは力を司るエルフと呼ばれるものが集まる里でございます。」
エルフはもとは人間と同じ生き物から始まった種族だと言われている。
彼らは自然と共生するためにその能力、体質を対応させるためにその姿を変えた。
パッと見、人間と同じように見えるが、エルフは耳がとがっていて、寿命は人間よりはるかに長い。
その中でも、知識に長けたエルフを“知のエルフ”、力に長けたエルフを“力のエルフ”と呼んでいる。
彼らは魔力こそ人間よりあるが、それぞれ人間のように得意不得意が存在している。
「ココンは“力”を司るエルフしか、今のところ暮らしてはおりません。“知”のエルフは皆、大陸の中心部に暮らしているのでございます。」
そして、結界を形成している魔具を作ったのはその“知”のエルフの先祖が作ったものらしい。
つまり、勉強が得意なエルフと体育系のエルフは分かれて住んでいて、ココンの里は体育会系エルフの里ってことだ。
「恥ずかしながら、我等“力”のエルフは武を生業としておるのでございます。」
やっぱね。
「一人くらいいねぇのか?」
「“知”のエルフは知識を求める性を持つのでございます。ゆえに、この大陸中心に眠る“知識”を彼らは何よりも大切にしております。しかし我等、“力”のエルフは土地を守ることを常としておりますれば、生まれ出たこの地を去ることはできぬのでございます。」
“力”のエルフから“知”のエルフが生まれることはない。だからなのか、この里には力のエルフが集まり、“知”のエルフの血は入ってこないらしい。
「調査ぐらいならやってやるよ。報酬もらえりゃそれでいい。」
「どうか、おねがい申しあげます。」
そうして案内されたのは里長であるヘイの家から数分歩いた場所にある、小さな遺跡後だった。
崩れた石には何か文字が刻まれているが、結界の魔具自体に関係はない。
魔具はその崩れた石に囲まれるように置いてある台座に嵌められていた。
それは真っ赤な魔石が埋められ、外にはそれを覆う細工がされている。
転がっている石に気をつけながらそれに近づき、膝をついてしゃがむ。
そっと魔具の魔石に指を当て、ゆっくりと撫でる。
「(これは……っ)」
外の装飾にも指を当て、すっと沿うように撫でていく。
「小さいけど、不純な魔力が混じってんな……」
無駄な魔力がないはずの魔石に、あるはずのない異質な魔力が混合されている。
「(間違いない、人為的なものだ。)」
探査魔法ができる魔術師でなければ気付かない、小さくわかりにくい仕掛け。
「誰だ、こんなことしやがったのは……」
雄呀も、魔石で魔具を作り始めてからはそれに愛着のようなものを持つようになった。
簡単に壊れるような作りにはしていないが、もし壊されたら怒るだろう。
他の魔具も同じだ。
同じ魔具を作る者として、作品を汚されることは自分を汚されるのと同じこと……
「許すまじ……犯人めぇ。」
「師匠?」
「カザス、とりあえず浄化と修復するから周り見といて。」
「はい。」
よっこらせ、と胡坐をかいて台座の前に座る。
嵌められている魔具に陣をかざし、混ざっていた魔力を取り除くように陣を構築していく。
「(半永久的、ね……かなりの魔力がつまってるな。さすが里ひとつ覆う結界魔具。)」
不純物を取り除くと同時に結界の再構築を進める魔法陣も同時進行で作っていく。
小さな綻びでもそこから入ってくる魔力は脅威にすぎない。
「(にしても、この強力な魔具に細工するなんて……しかもエルフに喧嘩を売るような真似、どこの物好きだ。)」
だんだんと結界の修復が進んでいく。
魔具の方は前のよりももっと強固な固定魔法をかけ、浄化は完了した。
普通の魔術師なら一日はかかるが、雄呀にかかればものの数分で終わる。
結界再構築もあと少しで完了……だった。
雄呀に周囲の見張りを頼まれたカザスは遺跡後を歩きまわりながら警戒をしていた。
修復に専念している雄呀をちらりと見て、再び周囲に視線を戻す。
あの魔具を見た時、雄呀が顔を顰めた。
その後、怒りを表した表情で拳を握りしめていたのを思い出す。
きっとあれは誰かが手を加えたのだろう。
足もとの瓦礫を安全なように退かしていたが、積まれた石の隙間から光る物を見つけた。
雄呀を一度振り返り、変化がないのを見て、石をどける。
「っ……!?」
そこにあったのは小さなバッジのような、見たことのある装飾品だった。
神々しい鳥を象ったエンブレムが刻まれているそれは、カザスの知っているもので……
「(どうして……)」
これは、この国にあってはならないものだ。
「ふう……」
雄呀が魔法陣をおさめ、ひと息つく。
確かめるようにどこかすっきりとした赤に染まっている魔石をコンコンと指で叩く。
「これでオッケーかなー。」
満足げに言って後ろを振り返ると、そこにカザスの姿はなかった。
「あら?」
さっきはここでうろうろしていたはずなのに、いつのまにか姿がなかった。
いつもならハチ公のようにずっと待っているというのに。
立ちあがって周囲を見渡し、瓦礫の山から抜け出す。
カザスがどかしたと思われる石の山とわずかに残る足跡をたどっていくと、見なれた金髪がいた。
「カザス?」
後ろから話しかけるとゆっくりとこちらを振り向いた。
その顔はいつもと違って緊張しているのか強張っている。
「どうした?」
「あの、いえ……」
珍しく目を逸らし、言葉を濁す。
いつもなら生真面目な性格で、嘘はつかず、正直に質問に答えるのに、今日は違う。
拳を白くなるまで握りしめている。
「なにか、あったんだな。」
雄呀の視線に耐えきれなくなったのか、握りしめていた手を緩めた。
ゆっくりと体を振り向かせ、握りしめていた手を差し出し、開いた。
「これ、イオカリスの……」
台座の近くに落ちていた、と聞き、さらに混乱してきた。
「シュトレインの王都近く、しかもエルフの森にどうして帝国の紋章が……」
南のイオカリス帝国の象徴は神の鳥と呼ばれるフェニックス。
それをイオカリスは軍人の証として身につけるように義務付けられている。
東のシュトレイン国はドラゴンを象徴としている。
北のノーウェルディ国は守護神として海竜、西のウェスカルは白き虎。
それぞれがかつて大陸を治めていたとされる生き物をその国の象徴としているのだ。
カザスが持っているそれはイオカリスの物であり、つまりは、このシュトレインにイオカリスの人間、しかも軍人が入り込んでいるということになる。
周囲に探査魔法をかけるが、何も引っかからない。
もうここにはいないのか……ってか、あの魔具の様子からして数日前に仕掛けられたものだし、もういるはずないわな。
「魔具に仕掛けをしたのも、これの持ち主だな。」
「仕掛け、ですか。」
やはり、と言った表情を見せるカザスに頷く。
「何考えてるんかわかんねぇけど、そうそうヤバいことになってきてんな。」
「はい……」
この様子からすると、シュトレインにはまだイオカリスの人間が入り込んできている可能性が高い。
ただでさえ、内乱がおきかけている…・・いや、もう起きているのか。
最悪。
シュトレインがイオカリスに占領されるなら、それはそれでかまわない。
俺にはもう関係のないことだが、フィニアに何かあったら俺たちの帰る場所がなくなる。
もし、戦争がはじまって徴兵令が出てしまったら、いくら独立していても、フィニアはシュトレインの国内にあるのだ。強制のある徴兵令が公布されれば、おっちゃん達は従わなくてはいけない。
10年前もそうだった。
戦場に集められたのは軍人だけじゃない、武器を持ち慣れていない一般市民も含まれていた。
雄呀が戦場で助けていたのは一般市民が多かった。
しかし、助けた命もそのすぐ後、地面に転がっていた。
それが漁師のおっちゃん達だったら……
「師匠。」
「ん?」
「魔力が。」
そう言われて、カザスの背負っているシュバルツが雄呀の魔力に反応して黒い刃を煌かせている。
雄呀の魔力で構築されたシュバルツは彼から溢れた異様な魔力に呼応していた。
魔力制御の腕輪をしていても、心が動揺して魔力が溢れてしまった。
「わり。」
魔力を持たないカザスでも魔剣使いとして感覚で分かったのだろう。
「もう、ここらにはいないだろうし、結界も戻った。報告して宿に戻るぞ。」
「はい。」
「それ、貸せ。」
紋章を受け取り、宙に投げた。
バキンッ
指に炎属性の魔力を凝縮し、それに向かって撃つ。
弾丸のように撃たれた魔力は紋章を粉々にし、破片も風に飛ばされていった。
「あれはもう、お前の国じゃない。」
「……」
「奴等がきても、お前は俺のもんだ。」
「はい。」
「よし、いい返事だ。さすが俺の弟子!」
「はい。」
ずる……ずる……
「俺ーさっいきょーう、ドドーン、のどーん。」
エルフの森出口付近を妙な歌を歌いながら大きな袋を引き摺り歩いている影。
きっちりとした服をわざと着崩し、時々口笛を混ぜている。
引きずっている袋は所々汚れ、“黒い染み”ができている部分もあった。
袋は頑丈なのか、破れている部分はない。
「ほのおーで、どごーん、だーん……あ、忘れてた。」
ふと立ち止まり、ポケットを漁り始める。
胸ポケット、尻、脇、打ちポケット……至るところを探っていた。
しかし、目当ての物が見つからない様子。
「あっりー?おっかしいべ……念話用魔石どこだったかいな?」
上着を脱いで逆さに振るが、ポケットから出てきたのは一枚の銅貨のみ。
彼の全財産だった。
「やっべ、隊長に報告しないとか、殺されんじゃね?」
ってく、てめーのせいだぞ、と袋を蹴飛ばす。
バサッ……
紐が解け、中から出てきたのは人間の手らしきものだった。
それは真っ黒に焼け焦げ、かろうじて原形をとどめているといった感じだ。
ぴくりとも動かないそれは、もう生きてはいないだろう。
はぁ、とため息をついてその袋に腰を下ろす。
「こういうの、パシリの仕事だろ、っつーか、ラッセルの役目だっつーの。」
多くのポケットの中から一つを自然と選び、煙草のケースを取り出した。
その箱を開けると、眼を丸くした。
箱を逆さにして掌に落ちてきたのは赤子の手サイズの石だった。
「あった。」
念話用の魔石を手に持ち、自分の魔力を込める。
話したい人物を思い浮かべ、魔力を発動する。
「へいへーい、こちらウォールス……」
『お前、死刑決定。』
陽気な声に答えたのは彼よりも少し高めのテノールだった。
それは「お前、今日給食当番。」と軽く言われたようなそんな口調である。
魔石から聞こえてきた声にあんぐりと口を開けるが、すぐに復活し切羽詰まった勢いで魔石に顔を近づけた。
「ちょっと、隊長!?なんで?!なんで?!おいら、仕事終わらせたんだべ?!そりゃ、ちょぉーっと報告遅れたけんどぉ。」
『人一人持ってくんのに何日かかってやがる、屑、単細胞。』
「酷いですぜー、たぁーいちょー。ってかさ、もう人ってーよりも、炭?みたいな?」
『炭でもタコでも、早く帰って報告しろ、役立たず。』
「はいさー。」
バキッと音がしたかと思うと、魔石が二つに割れ、地面に落ちたと同時に粉々になった。
「お仕置き決てーい。」
よいこらしょ、と立ち上がったウォールスと名乗った男は袋に無理やり死体を入れ直し、抱えた。
再び歩くとすぐに森を抜け、青空が見えた。
「良ーい天気だぁー。」
空を仰いだ男の胸元がきらりと光る。
着崩された服に似合わず、それは己を強調しているようにあった。
「さて、“我が国”に帰んべ。」
にやりと笑った男に反応するようにギラリとその“フェニックス”の紋章が揺らめいた。