婚約破棄された身代わり令嬢は、隣国の氷結皇帝に薬師として雇われました
婚約破棄された身代わり令嬢は、隣国の氷結皇帝に薬師として雇われました
「セレスティナ・アシュフォード。お前がプリシラの茶に毒草を混ぜたことは、調合室から見つかった瓶が証明している」
王太子ユリシーズは、大広間の卓に並べられた薬瓶を指さした。瓶の一つには、私の字で「火蜥蜴の髭草・要加熱」と書いた紙が貼ってある。義妹プリシラは王太子の腕にしがみつき、喉を守るようにレースのハンカチを当てていた。
「朝のお茶を一口飲んだだけなのです。お姉様を疑いたくはありませんけれど、喉が焼けるように痛んで」
プリシラの声は、広間の奥までよく通った。今朝、私が渡した茶は、彼女のために処方したものだ。苦い薬を飲み残すので、乾燥させた薬草を三日かけて蜂蜜に漬け、決めた量だけ茶に加えた。瓶の裏には、原液を口にしないことも書いてある。
「調合の記録帳をお読みください。茶に加えたのは、煮出して薄めた薬です。卓の小瓶には、加熱前の原液が入っています」
ユリシーズは記録帳を手に取らなかった。かわりに小瓶を靴の先で私のほうへ押し出す。中身が揺れ、栓の内側に乾いた草の欠片が見えた。
「毒性があると認めたな。妹を害した女を、王家には迎えられん。婚約を破棄し、国外追放とする」
膝の下の石床が冷えていた。立ち上がろうとしたが、両脇の衛兵が動かない。ユリシーズが追放令に署名する手を見て、私は袖口の銀糸に目を止めた。先週、ほつれた刺繍を三晩かけて縫い直したばかりだ。糸を引く力が強すぎて、最後の夜は指先に針を刺した。
そこまでして直した袖を着て、彼は私を毒婦と呼んでいる。何か言おうとして口を開いたが、喉から出たのは短い息だけだった。広間の奥では、父が卓上の書類を見つめていた。
書記官が追放令を差し出した。下端には王太子の署名と王家の封印があり、所持品の欄だけが空いている。私は膝をついたまま、その一行を指で示した。
「母の調合道具と、私の記録帳三冊を持っていくと書いてください」
「この期に及んで道具の心配か」
「母のものです。記録帳は、私が五年間つけました」
書記官はユリシーズの顔を見た。王太子は面倒そうに手を振り、書記官が所持品を書き加える。私は追放令を受け取り、紙の端を揃えてから袖の内側へしまった。
国境へ向かう馬車には、革のトランクが一つだけ積まれた。中には真鍮の乳鉢と乳棒、母が使っていた小さな秤、記録帳が三冊入っている。瓶は持ち出せなかったが、調合した薬の量、渡した相手、受け取った署名は残った。
二日目の夕方、御者は私を国境の標石の前で降ろした。向こうにはヴァルハイト帝国の針葉樹林が広がり、道の端には前夜の雪が残っている。渡された硬いパンをかじると、乾いた欠片が喉に引っかかった。
「帝国側の詰所までは、この道を行けばいい」
御者は馬車を返した。私はトランクを持ち直し、薄い靴底で凍った地面を踏む。森の中へ十歩ほど進んだところで、馬のいななきが聞こえた。
黒い外套の男が、道脇の木にもたれて座っていた。馬は少し離れたところにつながれ、男の手袋には白い霜が厚くついている。顔を上げた男の睫毛にも、氷の粒が見えた。
「近寄るな。私の魔力に触れれば、皮膚を傷める」
低い声が、途切れがちに聞こえた。足元には割れた薬瓶が落ちている。その甘い匂いと、手首から肘へ伸びる霜の形に、私は見覚えがあった。母の書き残した、雪晶病の発作時の記録と同じだ。
「その薬を飲んでから、どれくらいですか」
「一刻ほどだ。効かなかった」
私はトランクから乳鉢を出した。雪晶病そのものを治す薬を、森の中で作ることはできない。ただ、体の中心まで冷えが進むのを遅らせる調合なら、手持ちの野茨の根と山辛子で試せる。道中で摘んだ根についた土を払い、乳鉢に入れた。
「治療ではありません。詰所まで動ける時間を作ります。飲めますか」
男がうなずいた。私は薬草をすり潰し、水筒に残った湯を加えて瓶へ移す。母から教わったやり方で瓶を両手に包むと、手のひらから熱が伝わり、液が淡い琥珀色に変わった。
男は薬を飲み、木の幹に頭を預けた。しばらくすると呼吸の間隔が整い、手袋の霜が水滴に変わる。私の指先は赤くなり、細かく震えていた。瓶をしまおうとしたが、蓋を一度落とした。
ほどなく、甲冑を着た騎士たちが森から現れた。先頭の騎士は男を見るなり下馬し、雪の残る地面に膝をつく。
「レオンハルト陛下。お探ししました」
男――ヴァルハイト皇帝レオンハルトは、騎士の手を借りて立ち上がった。外套の留め具には銀の帝国章がついている。私は慌てて立とうとしたが、痺れた足に力が入らなかった。
「彼女を詰所へ。薬師を呼び、手を診せろ」
騎士が私のトランクに手を伸ばした。私は取っ手を握ったまま、袖から追放令を出す。行き先も身分も確かめずに連れていかれることには、もう従いたくなかった。
「私は王国から追放された者です。帝国へ入れるのか、まず確認してください」
レオンハルトは令書を読み、私へ返した。騎士に詰所への同行を命じてから、自分の馬へ向かう。私のトランクは、頼んだとおり私の手元に残された。
「詰所で手の治療を受けてくれ。その先は、お前が決めればいい」
詰所の暖炉には湿った薪が一本混じっていた。乾いた木が燃える音の間に、ときどき鈍い破裂音がする。軍医に手を診てもらい、軟膏を塗ってもらったあと、私は温かい粥を二杯食べた。
翌日、レオンハルトは軍医とともに詰所を訪れた。私の前に置かれたのは、帝国薬草院の雇用条件を書いた紙だった。住居と報酬、研究に使える設備、辞職するときの手続きまで記されている。
「昨日の薬で発作は収まった。雪晶病を研究してほしい」
「昨日の調合だけで、治せるとは言えません」
「分かっている。軍医も引き続き私を診る。お前一人に命を預けるつもりはない」
私は辞職の欄をもう一度読んだ。ひと月前に申し出れば退職できるとある。調合の記録と研究成果の扱いについては、別に協議すると書かれていた。
「働くかどうかは、薬草院を見てから決めたいのです」
「そうしてくれ」
レオンハルトは馬車を用意させた。詰所を出るとき、彼は自分の外套を差し出しかけたが、私が軍医から借りた厚手の上着を着ているのを見ると、そのまま腕に掛け直した。
帝国の薬草院には、乾燥室と蒸留室が別々にあった。棚の瓶には採集地と日付が記され、窓際の作業台には使い込まれた秤が置かれている。私は半日かけて設備を見て回った。
夕方、職員が雇用書とペンを持ってきた。私は署名欄にペン先を置いたまま、王宮の調合室を思い出した。あそこにも最初は新しい秤があり、私のために机を一つ空けると言われた。やがて鍵を持つ者が増え、使い方を知らない人が瓶を持ち出し、私の名前だけが調合の責任者として残った。
ペン先から、紙に小さなインクの点がついた。私はもう一度、調合室の鍵と記録の管理者について尋ねた。職員は薬草院長を呼び、保管庫への出入りを帳簿で管理する規則を見せてくれた。自分の記録帳を持ち込めることも確かめてから、私は署名した。
研究は、皇帝の発作を記録するところから始まった。レオンハルトは診察のたびに革張りの椅子へ座り、軍医が脈を取るあいだ、私の質問に答える。最初の一か月で薬の配合は三度変わった。発作の間隔は延びたが、治ったとはまだ言えない。
冬の終わり、王国から帝国の外務省へ親書が届いた。宛名は皇帝で、文末にユリシーズの署名がある。添えられた私宛ての手紙には、急いで書いたらしいインクの擦れが残っていた。
『王都で熱病が広がっている。プリシラが調合室の薬を配ったところ、飲んだ者の喉が腫れた。お前なら処方を知っているはずだ。婚約破棄を撤回する。すぐ戻れ』
私は手紙を机に置き、記録帳の二冊目を開いた。王宮に残した瓶は、加熱前の原液だ。「要加熱」の文字も、調合台の管理簿にも書いてある。現地で何人が飲んだのか、喉の腫れ以外にどんな症状があるのか、手紙には記されていなかった。
「調合室に残した瓶を、そのまま配ったようです。使用を止める必要があります」
同席していた軍医が、王国側から届いた別紙を読んだ。彼は喉の炎症と熱病の症状を分け、それぞれに印をつける。私は王宮の井戸の管理記録を探した。去年まで毎朝入れていた浄化用の薬草袋について、追放後に交換された記録は届いていない。
「瓶を飲んだ人への処置は、すぐ伝えましょう。熱病の原因は、この書類だけでは断定できません。王国の医師に井戸と患者を調べてもらう必要があります」
レオンハルトは私を見た。机には王国の追放令と、帝国薬草院の雇用書の写しが並んでいる。
「王都へ行きたいか」
「行きません。ここでできる助言を、現地の薬師へ送ります」
返書には、小瓶の使用中止、すでに飲んだ人の処置、現地で確認すべき症状を書いた。井戸水については、管理者と医師による調査を求める。軍医が内容を確かめ、帝国の外務官が送付の手続きを整えた。
それとは別に、ユリシーズへ短い手紙を書いた。
『婚約の撤回には応じません。王国での勤務を終わらせたのは、殿下が署名した追放令です。患者についての助言は、同封の書類を現地の医師と薬師へお渡しください』
記録帳から必要な頁を写し、茶の処方と瓶の注意書きも添えた。五年前から書き続けた文字は、頁によって太さが違う。プリシラに出した朝の茶の記録だけ、急いで書いたせいで少し右上がりになっていた。
春になると、薬草院の裏庭の雪が消えた。王国からは追加の症状報告と、現地の薬師が調合室を引き継いだという知らせが届く。ユリシーズからの婚約撤回の手紙には、返事をしていない。
診察の時刻になり、レオンハルトが薬草院へ来た。軍医が脈を取り、私は前回の発作から何日空いたかを帳簿に書き込む。まだ治療の途中だが、今日は外套の留め具にも手袋にも霜がついていなかった。
診察を終えたレオンハルトは、作業台に小さな花束を置いた。野茨に似た白い花が、紙で丁寧に包まれている。茎の切り口には、水を含ませた布が巻かれていた。
「庭で咲いていた。お前の棚にはなかったから」
「これは薬には使えませんよ」
「知っている。前にそう教わった」
私は花を受け取り、細い瓶に水を入れて挿した。午後は発作の記録を整理し、明日は新しい根の乾燥具合を見る。窓の外では、雪解け水が石畳の脇を流れていた。
「陛下、診察のあとにお茶を飲んでいきますか」
レオンハルトは椅子から立ち、私が二つの杯を用意するあいだ、湯が沸くのを待った。




