断った理由は
「それでは……本当に縁談を断られたのですか?」
エミリアの髪を梳かしていたエルザの手が止まる。エミリアはいつものように、侍女のエルザに起きたことを話していた。エルザはエミリアの乳母であり、その後もずっとエミリア付きの侍女として働いている。小さいときには毎晩絵本を読み聞かせてくれた。今も公務が続いて不安なときには夜遅くまで話を聞いてくれる。母親を早くに亡くしたエミリアにとって、母親代わりといってもいい存在だ。
「もちろんよ。アルブレヒトの思惑通りになんて動かないわ」
「そう、ですか……」
エルザの手が再び動く。エミリアの輝く金髪が、再び櫛をするすると通り抜けていく。
「エミリア様、念のためお伝えしておきますが」
エルザが手を止め、櫛を机の上に置いた。
「ジークバルトは数カ月前に婚約したそうですよ」
こんやく、という響きが音として耳に入ってくる。それだけでエミリアは全身がさっと冷たくなる感覚がした。胸の鼓動がうるさい。
「そうだったの。それはめでたいわね。彼にはお世話になったから、私からも何か婚約祝いを贈ろうかしら」
「エミリア様……」
早口で心にもない言葉を並べる。声の震えを悟られないようにしているけれど、エルザにはきっと全てお見通しなのだろう。
「エルザ、あなたが何を考えてるか知らないけれど……私が縁談を断ったのは他に想い人がいるからとかじゃないの。もしふさわしい相手がいたらすぐにでも結婚するつもりよ。それがマッターフェルス家のためであり、ヴァリス国のためでもあるのだから」
すらすらとそれらしいことを口にする自分は、まるで自分ではない別の誰かのようだった。言葉が先に流れ出て、心が追いつかない。口にしてから思う。自分は本当に、家のために、国のために、縁談を断ったのだろうか。
「失礼しました。余計なことを申しましたね。でも、エミリア様が結婚したらと考えると少し寂しくなります」
「あなたのことは連れていくわよ。そうね、もしかしたらそう遠くない日に結婚するかもしれないわ」
「えっ」
エルザが驚いたような声をあげる。
「兄上が私の結婚相手を探してくださるそうなの。本当に、頼もしい兄上がいて良かったわ」
一国の姫として一番大切な役目は、国の利益となるような相手との婚姻を結ぶこと。それはとても素晴らしい役目だ。一刻も早くその役目を果たしたい。まるで自分に言い聞かせるかのように、エミリアは雄弁に語った。
エルザは少し、青ざめているように見えた。やはりエルザには自分の胸の内など全てお見通しなのか。そんなに自分が無理をしているように見えただろうか。心配をかけまいと何か言葉を紡ごうとしていたら、エルザは突然一礼をした。
「エミリア様、私はこれにて失礼いたします。おやすみなさいませ」
「ええ……おやすみなさい」
慌てた様子で部屋を出るエルザを、エミリアは不思議そうに見つめた。ここ最近、エルザの様子がおかしい。一度それとなく尋ねてみたこともあったが、はぐらかされてしまった。
(今度、美味しい紅茶でも用意してあげようかしら……)
今が旬の茶葉を明日にでも用意させよう、そんなことを考えながら、エミリアは眠りについた。




