第四話 追放の日、門の外
三日後の朝、セラは伯爵家の門を出た。
見送りは、驚くほどあっさりしていた。
父は「執務がある」の一言で姿を見せず、
正妻は玄関先で扇を閉じながら
「家名に泥を塗らないように」とだけ言った。
まるで、元から屋敷にいなかった人間を
送り出すみたいな口ぶりだった。
リオンは来ない。
来る理由もない。
ミレイユだけが、柱の陰から一度だけセラを見た。
何か言いたそうな顔だった。
けれど結局、何も言わずに視線を伏せる。
それでいい、とセラは思った。
ここで優しくされても困る。
この家の中途半端な情けは、いつだって遅すぎる。
◇
追放の条件は前世と同じだった。
伯爵家の姓は名乗れない。
屋敷の者と関わらない。
支度金は最小限。
家の名を使って金を借りることも禁じる。
要するに「外で勝手に生きろ、
ただし家には迷惑をかけるな」だ。
執事が差し出した小袋は軽かった。
数えなくても、たいした額じゃないとわかる。
「確認なさいますか」
「いいえ」
受け取るだけだ。
少ないなら、増やせばいい。
この程度で揺れるほど、もう何も知らない
子どもじゃない。
玄関を出る直前、正妻が最後に言った。
「あなたのような子は、
静かに消えるのが一番なのよ」
背中に投げられた言葉に、
セラは振り返らなかった。
静かに消えるつもりはない。
ただ、この家とはもう関わらない。
それだけだ。
◇
屋敷の敷地を抜け、領都の石畳を下っていく。
朝の空気は冷たく、雲は薄い。
通りの先に、街道へ続く領都の門が見える。
前世の同じ朝、セラはこの坂の途中で一度
立ち止まって泣いた。
悔しくて、怖くて、どこへ行けばいいのか
わからなくて。
生まれた家に捨てられた事実が、足を重くした。
今は足を止めない。
怖くないわけじゃない。
でも行き先は決めてある。
ルドナ。
王都ほど目立たず、
辺境ほど荒れていない中継都市。
冒険者ギルドの依頼数が安定していて、十五歳の
娘が一人で登録に来ても不自然じゃない街。
前世で生き延びた場所だ。
今世は、あの二年間をもっと上手く使う。
セラは歩幅を一定に保ったまま、門へ向かった。
◇
領都の門を出る前に、セラは裏路地に入って
小さく息をついた。
ここで一つ、前世にはなかった準備を回収する。
十歳に戻ってから、
セラは少しずつ非常用の荷を隠していた。
屋敷から持ち出しても不自然じゃない範囲で、
古着、保存食、包帯、簡単な火打石、予備の短剣。
全部を一度に持てば怪しまれるから、
月単位で少しずつ。
隠し場所は、外塀沿いの古い水路跡だ。
石を二つずらし、布で巻いた包みを取り出す。
湿気はない。問題ない。
自分で追放される日を待って準備していたのだと
思うと、少しだけ嫌な気分になる。
でも、実際そうなのだから仕方ない。
「……使わないで済むなら、それが一番だった」
誰に聞かせるでもなく呟き、包みを荷物に詰める。
知っていることは、武器になる。
ただし、それで全部がうまくいくほど世界は
単純じゃない。
セラは包みを背負い直し、裏路地を抜けた。
◇
街道へ出ると、昼前の荷馬車が何台か並んでいた。
ルドナ方面へ向かう行商の一団を見つけ、
セラは御者に声をかける。
「乗せてもらえますか。途中まででいいので」
御者はセラの荷と服装を見て、
少しだけ眉を上げた。
「家出か?」
「……追い出されました」
取り繕っても仕方ない相手だと判断して、
セラは短く答える。
御者は鼻を鳴らし、荷台の端を顎で示した。
「飯は自分持ち。寝る場所は荷の横。文句言うなよ」
「言いません。代金は先に払います」
小袋から必要分を出すと、
御者は受け取って頷いた。
荷台に乗り込み、揺れに合わせて姿勢を調整する。
行商人たちは最初こそセラをちらちら見ていたが、 深くは聞かなかった。
追い出される子どもも、拾われる子どもも、
この世界には珍しくない。
それが当たり前みたいに流れていく空気に、
セラは少しだけ救われる。
かわいそうだと騒がれるより、ずっと楽だった。
◇
夕方、休憩地で焚き火が組まれる。
セラは配られた固いパンを齧りながら、
火の向こうの大人たちの会話を聞いていた。
「最近、東の森の獣が落ち着かねえ」
「縄張りがずれてるんじゃねえか」
何気ない雑談。
けれどセラの耳はその一言を拾う。
前世でも、大量発生の前には小さな乱れがあった。
ただ、この時期にそこまで意識していなかった だけだ。
今のうちから違和感を拾っておけば、
後で役に立つ。
セラは言葉を噛みしめるように、
胸の内で繰り返した。
東の森。縄張りのずれ。
旅の途中、荷馬車が大きく揺れた拍子に、
御者が舌打ちした。
「車輪、石に取られたな」
数人が降りて押し上げようとする。
セラも荷台から降りて車輪脇へ回った。
「ここ、少し土が崩れてます」
「固めます」
御者が怪訝そうに見る。
セラは短く詠唱し、車輪の沈んだ地面だけを
土魔法で締めた。
派手な術じゃない。
でもこういう場面では十分だ。
男たちが押し、車輪が持ち上がる。
「……やるじゃねえか、嬢ちゃん」
「足場を作っただけです」
小さな魔法。
小さな助け。
セラは自分の手のひらを見下ろし、
静かに指を握る。
この力は、誰かに使われるためじゃない。
自分で使い道を決めるためにある。
◇
二日目の昼前、ルドナの外壁が見えてきた。
高すぎず、低すぎない石壁。
出入りの多い荷門。
行商人の声、馬のいななき、鉄の打音。
見慣れた景色のはずなのに、
胸の奥が少しだけざわつく。
ここから始まる。
追放されたあとの二年間。
前世では、ただ生き延びるだけで必死だった時間。
今世は違う。
生き延びるだけじゃない。
強くなる。
選べる立場まで上がる。
荷馬車が門をくぐる直前、
セラは小さく息を吐いた。
門の外に捨てられた伯爵家の娘としてではなく、
自分の意思でここへ来た一人の魔導士として。
そのつもりで、セラはルドナの街を見上げた。




