第三十六話 アルドの観察、セラの沈黙
カレイド滞在三日目。
南の森の哨戒依頼は継続中で、セラたちは毎日森の東側を回っていた。
魔物の数は確かに増えている。初日は小型ばかりだったが、二日目から中型の目撃が出始めた。
中型の甲虫は殻が厚く、小型の三倍ほどの体長がある。
単体なら脅威ではないが、小型を引き連れていることが多い。
群れで動かれると、街道への流出が怖い。
セラは哨戒中、魔力感知の範囲を前日より広げていた。
東側だけでなく、南側の一部もカバーする。
理由は明確だ。リーネのことが気になって、西側ばかり意識が向くのを防ぐため。
別の方向に広げれば、西側に引っ張られにくくなる。
自分の弱さを、仕組みで抑える。
ソロの二年間で身につけた、感情と向き合う方法だった。
◇
その日の朝、ギルドで依頼の更新を確認していると、掲示板の前に勇者パーティがいた。
セラは入口の時点で気づいた。
ユリウスの香料の匂い。甘く、重い。ギルドの中に漂っている。
匂いだけで心拍が上がる自分が、情けなかった。
ユリウスが受付嬢と話している。
声が大きく、自信に満ちている。
ギルドの中にいる全員に聞こえるような声量だ。
それが意図的なのか無意識なのかは分からない。どちらにせよ、場を支配する声だった。
「明日、森の深部に入る。上位種の巣がある可能性が高い。周辺の冒険者には、西側に近づかないよう通達してくれ」
受付嬢が頷く。「承知しました。他のパーティには周知します」
「頼む。邪魔が入ると面倒だ」
“邪魔”。
他の冒険者の存在を”邪魔”と呼ぶ。
前世のユリウスも同じだった。
自分のパーティ以外は全て障害物。味方も敵も、利用するか排除するか。
その横で、リーネが一人、掲示板の依頼票を眺めていた。
目が依頼票の文字を追っている。内容を読んでいるのか、ただ視線を逃がしているのか。
だが手は出さない。
依頼票に触れようとする素振りもない。
自分で依頼を選ぶ権限がないのだろう。
勇者パーティの依頼はユリウスが決める。四人目の意見は求められていない。
カイルがリーネの肩を叩いた。
叩く、というより、押す。力の加減が雑だ。
「おい、ぼうっとするな。荷物の確認しろ」
「は、はい」
リーネは慌てて荷物に手を伸ばす。
床に置かれた大きな袋――四人分の消耗品が入っているらしい――を開き、中身を確認し始める。
その仕草が、使い走りのそれだった。
パーティメンバーではなく、荷物係。
魔導士としての役割ではなく、雑用としての存在。
前世のセラも、最初はそうだった。
“まだ戦力として信用できないから、まずは荷物を覚えろ”。
最初はそう言われた。納得した。新人だから当然だと。
だが荷物係は一か月たっても二か月たっても終わらなかった。
セラは視線を逸らした。
見たくない。でも、見えてしまう。
目を逸らしても、視界の端にリーネの栗色の髪が残っている。
アルドが報告書を提出し終え、「行くぞ」と声をかけた。
四人はギルドを出た。
出口で、セラはもう一度だけ振り返った。
リーネは荷袋の中身を一つずつテーブルに出して、帳面と照合していた。
その横で、ユリウスたち三人は酒を飲みながら笑っている。
同じ空間にいるのに、別の世界にいる。
セラは歯を噛み締め、ギルドの扉を閉めた。
◇
森の哨戒中、アルドがセラの横に並んだ。
いつもは先頭を歩くアルドが、わざわざ位置を変えている。
レインが先頭を引き受け、アネスが後方に回っている。
隊形が変わった。話がある、という合図だ。
しばらく無言で歩いた。
落ち葉を踏む音だけが響く。木漏れ日が二人の肩に斑模様を描いている。
「セラ。一つ聞いていいか」
「……はい」
「勇者パーティの魔導士。リーネ。あの子のことが気になってるのは、自分と重ねてるからか」
核心だった。
アルドは遠回しにしない。
観察して、仮説を立てて、確認する。
その順番が正確で、だからこそ避けようがない。
セラは足を止めず、少し考えてから答えた。
嘘をつく選択肢もあった。だが、アルドには嘘が通じない。
通じないと分かっている相手に嘘をつくのは、信頼を削る行為だ。
「……似てるんです。立ち位置が。パーティの中での扱いが」
「扱い?」
「末席。雑用係。戦闘では後ろに下がらされて、連携も取れていない。でも本人は頑張ろうとしてる。頑張れば認めてもらえると思ってる」
自分のことを話しているのか、リーネのことを話しているのか、分からなくなる。
境界線が曖昧だ。
アルドは黙って聞いている。
相槌も挟まない。ただ、足音を合わせて歩いている。
「あのままだと、いつか使い捨てにされる」
言ってから、口が滑ったと思った。
“使い捨て”という言葉が、自分の過去を晒している。
経験者でなければ出てこない言い回しだ。
だがアルドは追及しなかった。
「それは、経験から言ってるのか」
「……はい」
「いつの経験かは聞かない。でも、セラがそう感じるなら、たぶん当たってる。セラの判断は、いつも現場の空気に近い」
信頼されている。
その実感が、痛みと一緒にやってくる。
信頼されているからこそ、嘘が苦しい。
前世のことを隠している自分が、アルドの信頼に値するのか。
アルドは前を向いたまま続けた。
「ただ、一つだけ確認させてくれ。セラは、あの子を助けたいのか? それとも、あの子を見ていたくないのか」
どちらだ。
質問の鋭さに、セラは息を詰めた。
助けたい。でも、関わりたくない。
見ていたくない。でも、目を逸らせない。
助けたいのは本当だ。あの子がこのまま壊れていくのを見過ごせない。
でも、助けるためにはユリウスたちに近づかなければならない。
前世の記憶が、全力で拒絶している。
見ていたくないのも本当だ。リーネの姿が、前世の自分と重なりすぎる。
でも、目を逸らしたら――前世で自分を見てくれなかった全ての人と同じになる。
矛盾した感情が、胸の中でぶつかっている。
「……まだ分かりません」
「分かった。分かった時に教えてくれ」
アルドはそれ以上何も言わず、先頭に戻った。
レインと入れ替わり、隊形が元に戻る。
何事もなかったかのように、哨戒が続く。
セラは自分の手のひらを見下ろした。
ソロの二年間で鍛えた手だ。魔法を操り、罠を見抜き、一人で生き延びてきた手。
この手で、何をするのか。まだ決められない。
レインが背中越しに言った。
「なんか難しい顔してんな」
「……してないです」
「してるよ。眉間に皺が寄ってる」
セラは慌てて額を撫でた。レインが笑う。
「ま、悩んでる時は歩くのが一番だ。足動かしてりゃ、頭も動く」
乱暴な理屈だが、嫌いではなかった。
◇
夜、宿の食堂で夕食を取っていると、隣のテーブルの冒険者たちが話していた。
三人組のCランクパーティらしい。装備は標準的で、声が大きい。
酒が入って口が軽くなっている。
「勇者パーティの魔導士、今日も怒鳴られてたぞ。森の中で詠唱が遅いって」
「遅いっつっても、あんな化け物相手じゃしょうがなくね? 上位種だぜ?」
「かわいそうに。あの勇者、態度でかいよな。英雄だかなんだか知らねえけどさ」
「でも強いからな。文句言えないだろ」
「強いからって何してもいいわけじゃねえけど……まあ、俺らが口出すことじゃないか」
最後の一言が、全てを物語っていた。
“俺らが口出すことじゃない”。
気づいている。でも動かない。関わらない方が得だから。
セラはスープを口に運びながら、手が止まりそうになるのを堪えた。
スプーンを握る指に力が入る。金属が歯に当たり、嫌な音がした。
前世と同じだ。
周囲は気づいている。でも誰も手を出さない。
“強いから仕方ない”で、全てが許される。
セラが声を上げた時も、“お前が弱いからだ”で片づけられた。
声を上げる側が悪い。波風を立てる側が悪い。
その空気が、加害を正当化する。
レインが小声で言った。スープの向こうから、視線だけをこちらに向けて。
「あの勇者、評判悪いな。実力はあるみたいだけど」
アネスが静かに返す。
「実力がある人の横暴は、止めにくい。それが一番厄介。実力がなければただの暴力だけど、実力があると”指導”になる」
指導。
前世のユリウスも、セラへの叱責を”指導”と呼んだ。
“お前のためを思って言っている”。
その言葉の裏には、“俺に従え”しかなかった。
セラは何も言わなかった。
ただ、スープの味が分からなくなっていた。
温かいはずの液体が、舌の上で何の感触も残さずに消える。
アルドだけが、セラの手元を見ていた。
スプーンを握る指の白さ。力の入り方。
観察している。記録している。
“危なくなったら止める”と言った男は、本当に見ていた。




