第三十四話 重なる依頼
港の荷揚げ護衛は、半日で終わった。
荷の中身は南方産の薬草と鉱石。
薬草は乾燥させた束が木箱に詰められ、鉱石は布に包まれて藁の中に埋まっている。
どちらも単価が高く、盗みの対象になりやすい。
港の桟橋から倉庫まで、荷車三台分の護衛。
距離は短いが、桟橋周辺は人が多く、死角も多い。
荷の隙間に手を伸ばす者がいないか、四人で目を配った。
セラは魔力感知を薄く広げ、荷車の周囲を警戒した。
人の悪意を直接感じ取れるわけではないが、不自然な動き――急に近づく足音、荷に向けられる視線の集中――は察知できる。
結局、何も起きなかった。
セラの警戒が抑止力になったのか、単に今日は運が良かっただけか。
「ありがとう。おかげで安心できた」
荷主の礼にセラは頷くだけで返した。
レインが「これ、お駄賃に」と干し魚をもらい、嬉しそうに匂いを嗅いでいた。
アネスが帳面に報告を書きながら言う。
「港の依頼、戦闘がないと物足りないね」
「物足りなくていいんだ。何も起きないのが最良の護衛だ」
アルドの言葉に、アネスが「まあね」と笑う。
セラは四人の会話を聞きながら、少しだけ胸の力を抜いた。
普通の依頼。普通のやりとり。普通の帰り道。
これでいい。このまま、普通にカレイドを出られれば。
問題は、その帰り道で起きた。
◇
ギルドの入口で、四人とすれ違った。
セラは最初、匂いで気づいた。
革の手入れ油と、金属の冷たい匂い。それに、微かな香料。
ギルドの扉が開いた瞬間、風と一緒に流れてきた。
前世で何度も嗅いだ匂いだった。
ユリウスが使っていた香料。高価なもので、王都の貴族が好む種類だ。
顔を上げると、四人が出てくるところだった。
ユリウス、カイル、ディーノ。
そして、リーネ。
すれ違いは一瞬だった。
ユリウスはアルドにちらりと目を向け、軽く頷いた。冒険者同士の会釈。
その目は上から下へ流れ、装備を一瞬で査定している。
前世と同じ癖だ。相手の実力を瞬時に測り、脅威か否かを判断する。
カイルは無関心。前を向いたまま、視線すら動かさない。
ユリウス以外の人間に興味がないのも、前世通りだった。
ディーノはフードの奥から、値踏みするような視線を送った。
口元がわずかに動く。笑っているのか、嘲っているのか。
前世でもよくある表情だった。他人を観察し、利用価値を計るときの顔。
リーネは――セラと目が合った。
一瞬だけ。
栗色の瞳が、セラの灰色の髪に止まった。
珍しい髪色を見て、反射的に目が吸い寄せられたのだろう。
すぐに逸れた。
何の認識もない目だった。当然だ。
リーネはセラを知らない。前世の記憶は、セラにしかない。
リーネにとってセラは、すれ違った見知らぬ冒険者。それだけ。
でもセラには、リーネの目の奥に映ったものが見えた。
疲労。緊張。そして、微かな怯え。
瞳の奥が乾いている。泣くのを我慢し続けた人間の目だ。
すれ違ったあと、セラは自分の呼吸が浅くなっているのに気づいた。
胸の筋肉が硬く、肺が十分に膨らまない。
「今の、勇者パーティか」
レインが振り返って言う。何気ない口調。
「派手だな。聖剣、光ってたし」
「鞘に装飾が入ってるだけだ」アルドが冷静に返す。「光るのは魔力じゃなくて金属の加工」
「あの四人目の子、若いね」アネスが言った。「緊張してた顔してた。入ったばかりかな」
三人の感想は、それぞれ正確だった。
派手な装備。実用よりも見せるための加工。新入りの緊張。
全部、当たっている。
セラは何も言わなかった。
言えることがなかった。
◇
ギルドの中で、さらに面倒なことが起きた。
報告書を提出しようと受付に向かうと、受付嬢が申し訳なさそうな顔で声をかけてきた。
「すみません、アルドさん。少しお時間いいですか」
「ああ、何だ」
「南の森の周辺哨戒依頼なんですが、勇者パーティの調査と範囲が重なっていまして。同日に入る場合、連携の確認が必要になります」
アルドが眉を上げる。
「うちは南の依頼を受けてないが」
「ええ、今のところは。ただ、明日から南の森周辺の依頼が複数出る予定でして。魔物の活動が外縁部にも広がっているという報告が上がっています。カレイド滞在中のAランク以上のパーティには、優先的に声をかけるよう支部長から指示が出ています」
受付嬢は小さな声で付け足した。
「正直、Bランクのパーティだけでは手が回らない状況です。Aランクの皆さんに入っていただけると、本当に助かります」
断れば不自然だ。
Aランクパーティがカレイドにいて、南の森の緊急依頼を断る理由がない。
個人的な感情を理由に仕事を選ぶのは、冒険者として最も恥ずべき行為の一つだ。
アルドがセラを見た。
一瞬だけ。確認の視線。
“お前が嫌なら断る”という意味が含まれている。
パーティの判断を、セラの状態に合わせようとしている。
セラの胸が軋んだ。
この人は、言葉にしない気遣いが多すぎる。
セラは小さく頷いた。
仕事だ。仕事として受ける。個人的な感情で依頼を断れば、パーティに迷惑がかかる。
それに、南の森の魔物が増えているなら、放置すれば被害が広がる。
雪の村で見た子どもの顔。ベルナで見た滞留者の列。
現場が困っている時に背を向けることは、今のセラにはできない。
「受けます」
アルドが受付嬢に答えた。
セラの頷きを見て、迷わず。
受付嬢がほっとした顔で依頼票を出す。
東側の哨戒。森の中に入る必要はないが、外縁部を巡回し、魔物の動きを報告する。
勇者パーティの範囲とは重ならない――はず、だ。
依頼票を受け取りながら、セラは胸の奥で呟いた。
関わらないつもりだった。
でも、世界はそう都合よくできていない。
避けようとすればするほど、近づいてくる。
前世の因縁が、今世の足を絡めとる。
◇
宿に戻り、明日の準備をしていると、アネスが隣に座った。
触媒の確認をしているセラの横で、薬の袋を整理しながら、世間話のような口調で言う。
「聞いていい?」
「……何をですか」
「勇者パーティを見た時、セラの顔が変わった。市場の時も、ギルドの時も。特に、さっきすれ違った時。呼吸が止まってた」
アネスは追及ではなく、確認の声で言う。
医療従事者が患者の症状を聞き取る時の声に似ている。
責めているのではなく、状態を把握しようとしている。
セラは手を止めた。
触媒の小瓶を指先で転がしながら、言葉を選ぶ。
「……知り合い、というわけじゃないです」
「嘘は下手だね」
アネスの指摘は穏やかだが、正確だった。
「嘘じゃない。今世では知り合いじゃない」
“今世では”。
奇妙な言い方だと自分でも思う。
普通の人間なら聞き流す。だがアネスは一瞬だけ目を細めた。
何かを感じたのだろう。でも深追いしなかった。
「分かった。でも、動けなくなりそうなら言って。動ける人が倒れる方が困るから」
前にも聞いた言葉だ。
古塔の後、囮という言葉に反応した時にも、同じことを言われた。
優しいのに甘くない。同情ではなく戦術。だから受け取れる。
「……はい」
セラは頷いた。
頷きながら、明日が怖かった。
南の森。勇者パーティの活動範囲。
同じ森の中に入る。東と西に分かれていても、森は繋がっている。
窓の外では、夕陽が港を赤く染めていた。
帆船のマストが影絵のように並び、波が光を散らしている。
きれいだな、と思った。
きれいだと思える自分が、まだ壊れていないことに安心した。




