第三十三話 四人目の名前
宿に戻ったセラは、部屋に籠もった。
窓の鎧戸を半分閉め、寝台の端に座る。
港の喧騒が遠くに聞こえる。波の音と、荷を運ぶ声と、鷗の鳴き声。
夕食の時間にアネスが呼びに来たが、「体調が悪い」と断った。
嘘ではない。胃の底が重く、食欲がない。
口に入れたものが、そのまま喉に詰まりそうな感覚がある。
「無理しなくていいよ。水と果物、置いとくね」
アネスは扉の外に小さな盆を置いて去った。
追及しない。でも、放置もしない。
その塩梅が、アネスらしかった。
一人になると、考えが渦を巻く。
あの四人目。
前世のセラの”代わり”。
栗色の髪、白い肌、若い顔。杖を膝に抱えて俯いていた。
彼女は、どういう経緯であの席に座ったのか。
自分から志願したのか。それとも、推薦されて断れなかったのか。
前世のセラは後者だった。宮廷からの任命を、断る選択肢はなかった。
あの子も同じなのだろうか。
そして、今どんな扱いを受けているのか。
テーブルの端の沈黙。会話に加われない空気。
あれは”新人だから慣れていない”だけなのか、それとも”最初から外されている”のか。
前世の経験が、後者を囁く。
考えても仕方がない。
関わらないと決めた。前世の人間に、今世で関わる理由はない。
あの女性がどんな扱いを受けていようと、それは彼女の人生だ。
セラが口を出す権利はない。
分かっている。分かっているのに、胸の奥が痛い。
◇
扉が叩かれた。
軽い、二回のノック。アルドの叩き方だ。
「食わないなら、せめて水だけ持っていく」
扉を開けると、水差しとパンが一切れ。
パンには薄くバターが塗ってある。食堂から持ってきたのだろう。
アルドはそれだけ置いて、立ち去ろうとした。
踏み込まない距離感。いつもそうだ。確認だけして、戻る。
「……アルドさん」
声が出た。自分でも予想しなかった。
「ん?」
アルドが振り返る。廊下の蝋燭の灯りが、半分だけ彼の顔を照らしている。
「勇者パーティのこと、何か知ってますか」
自分でも驚く質問だった。
聞くつもりはなかったのに、口が勝手に動いた。
関わらないと決めたのに、情報を求めている。
矛盾している。でも、止められない。
アルドは振り返り、少し考えてから答えた。
廊下の壁にもたれ、腕を組む。
「聖剣のユリウス。王都では英雄扱いだ。実績は確かで、Bランク以上の討伐を複数成功させてる。前衛のカイルは元近衛兵。腕は立つが、ユリウスへの忠誠が強すぎて周りが見えないタイプだと聞いた。支援のディーノは魔法院出身。頭が切れるが、政治寄りの人間らしい」
前世の記憶と重なる。
カイルの忠誠。ディーノの計算高さ。どちらも変わっていない。
「最近、魔導士が一人入ったって話は聞いた」
「その魔導士の名前は……」
「リーネ、だったかな。確か、地方の魔法学院の出身。特待で選ばれたって聞いた。年は若い。十七か十八」
リーネ。
名前がつくと、“代わり”が”人”になる。
顔のない影だったものが、輪郭を持つ。栗色の髪。俯いた瞳。膝の上の杖。
そこに”リーネ”という名前が乗ると、もう無視できない。
アルドはセラの顔を見て、言葉を選ぶように言った。
「知り合いか?」
「……いいえ」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
嘘だと分かっているはずだ。セラの顔色が変わったのは、見れば分かる。
でも踏み込まない。アルドはいつもそうだ。
扉の枠に手をかけたまま、一つだけ付け足す。
「無理しなくていい。明日、動けなかったら言ってくれ。依頼は俺たちで回せる」
扉が閉まった。
廊下の足音が遠ざかり、静寂が戻る。
セラは水差しの水を一口飲み、窓の外を見た。
港の灯りが、波に揺れて光っている。漁船の提灯が等間隔に並び、水面に色を落としている。
リーネ。
地方の魔法学院。特待で選ばれた。
前世のセラも、そうだった。
宮廷魔導士として選ばれ、勇者パーティに配属された。
最初は光栄だと思った。世界を救う旅に参加できるのだと。
師匠が笑い、同期が羨み、家族が誇った。
誰も、結末を知らなかった。
その結末を、セラは知っている。
リーネは知らない。
パンを一口齧った。バターの塩気が舌に触れる。
アルドが塗ったのだろうか。それとも食堂のものか。
どちらでもいい。温かさが、少しだけ胃に落ちた。
◇
翌朝、セラは普通の顔で食堂に降りた。
目の下の隈は残っているが、髪を整え、装備を確認し、触媒袋を腰に結んだ。
鏡で自分の顔を確かめた。
平静だ。少なくとも、表面上は。
パンを齧り、茶を飲み、依頼の確認をする。
いつも通りだ。いつも通りにする。
レインが依頼票を二枚、テーブルに並べる。
「カレイドの周辺依頼、二つある。南の街道の哨戒と、港の荷揚げ護衛。どっちがいい?」
アルドが選ぶ前に、セラが口を開いた。
「港の方で」
即答だった。
南の街道は、勇者パーティの行動圏に近い。森の外縁を回っているなら、街道で鉢合わせる可能性がある。
港なら、接触の確率は低い。
レインが首を傾げたが、何も言わなかった。
アルドは「了解」とだけ言って、港の依頼票を取った。
セラの選択に疑問を持ったはずだ。
普段のセラなら、戦闘の可能性がある方を選ぶ。哨戒の方が経験値になるし、魔物の情報収集にもなる。
港の護衛を選ぶ理由は、表向きにはない。
でも、誰も問い詰めなかった。
この四人は、そういうパーティだ。
理由を言わない選択を、否定せずに受け入れる。
避けている。自覚はある。
でも今はそれでいい。
関わらなければ、何も起きない。
そう思っていた。




