第三十一話 西の街道と、遠い名前
西の交易路に入って三日目。
旧砦跡の村を過ぎ、街道は緩やかに南へ下っていた。
冬の終わりの風が乾いていて、道端の草が黄色く枯れている。
空は薄い灰色で、雲と晴れ間の境目がない。気温は低いが、歩いていれば身体は温まる。
商隊は少ないが、旅人の数は増えていた。
南の港町へ向かう季節商人が多いらしい。荷車のすれ違いが増え、街道の幅が狭く感じる。
四人は補給路の確認を兼ねた依頼を受けていた。
途中の村で物資の滞留状況を聞き取り、ギルドへ報告する仕事だ。
戦闘はほぼないが、歩く距離が長い。
一昨日立ち寄った村では、冬用の穀物備蓄が例年の七割しかないと嘆かれた。
昨日の村では、薬草の流通が止まっていると言われた。
王都の決裁遅れが、街道の末端まで浸透している。
アルドは村ごとの情報を帳面に記録し、レインが荷の動きから推察を加え、アネスが医療面の不足を書き足す。
セラは魔力を使った道の状態確認と、地図上の距離計算を担当していた。
四人それぞれに役割がある。
地味だが意味のある仕事だと、セラは思う。
ソロの頃は”依頼を片づけること”が全てだったが、今は”片づけた先に何があるか”を考えるようになった。
◇
昼過ぎ、街道沿いの茶屋で休憩を取った。
茶屋は石壁と木の柱で組まれた簡素な造りで、屋根には蔦が這っている。
旅人が五、六人、椅子や木箱に座って茶を飲んでいた。
炭火の匂いと、干した果物の甘い香りが混ざっている。
レインが茶を啜りながら、隣の旅人と世間話をしている。
こういう場面での情報収集は、レインが一番うまい。
気安い口調で相手の警戒を解き、必要な話だけを引き出す。
聞いている側が”情報を渡している”と自覚しないまま、話が進んでいく。
セラは触媒袋の中身を確認しながら、耳だけをそちらに向けていた。
火山灰の小瓶が三本、鉱石の粉が一袋、乾燥した苔が半分。
次の街で補充が必要だ。
旅人の男――日焼けした顔に商人特有の目聡さがある――が言った。
「ああ、南のカレイドって街、今すごいよ。勇者パーティが来てるんだ」
セラの指が止まった。
触媒の小瓶を摘まんだまま、指先の感覚が消えた。
音が遠くなり、茶屋のざわめきが膜の向こうに沈む。
「勇者パーティ?」
レインが軽い声で聞き返す。何気ない口調だ。彼にとってはただの情報だ。
「そう。聖剣のユリウスってやつ。南の森で魔物が増えてるって話があって、調査に入るらしい。街は大騒ぎだよ。宿が取れなくてさ」
ユリウス。
その名前が鼓膜を叩いた瞬間、セラの胸の奥が冷たく締まった。
聖剣の勇者ユリウス。
前世で、セラが命を賭けて支えた男。
パーティの中心。皆を率い、皆に慕われ、世界を救うと言い切った男。
そして最後に、セラを囮にして見捨てた男。
金の髪。自信に満ちた青い目。聖剣を掲げた後ろ姿。
前世の記憶が、瞬きの間に脳裏を走る。
指先が痺れる。触媒の小瓶を握る力が、無意識に強くなった。
ガラスが軋む音が、小さく手の中で鳴った。
「セラ?」
アネスの声で我に返る。
柔らかいが、観察の入った声。
「……何でもないです」
「顔色、白い」
「日差しのせいだと思います」
嘘だ。日差しは弱い。灰色の空が低く垂れ込めて、眩しさなど欠片もない。
アネスは何も言わなかったが、目だけがセラを追っていた。
嘘がばれているのは分かっている。でも、今はそれ以上の言葉が出ない。
旅人は続けた。
「ユリウスって有名らしいじゃない。王都じゃ英雄扱いだって。若いのにすげえよな。聖剣持ちなんて、百年に一人だとか」
レインが相槌を打ちながら、情報を引き出す。
「へえ。パーティは何人?」
「四人って聞いた。剣士と盾と、あと魔法使いが二人かな。最近一人入ったらしいよ、若い女の子」
若い女の子。
セラの心臓が一拍だけ跳ねた。
四人目。前世ではセラがいた場所に、今世では別の誰かが座っている。
レインは「ふうん」と軽く流し、別の話題に移った。
セラは茶屋の隅で触媒袋の紐を結び直しながら、自分の指の震えを観察していた。
震えている。
名前を聞いただけで、こうなる。
二年間のソロで鍛えた精神は、この名前の前では紙のように脆かった。
◇
茶屋を出たあと、街道に沿って歩きながら、アルドが地図を広げた。
革の表紙に挟まれた古い紙に、街道と町の位置が描かれている。
アルドの書き込み――村ごとの状況メモ――が余白を埋めていた。
「カレイドは予定ルート上だな。補給路の確認で寄る必要がある」
セラの心臓が跳ねた。
避けられない。仕事としてカレイドを通る理由がある。
迂回すれば不自然だし、理由を説明しなければならない。
“勇者パーティがいるから行きたくない”――そんなことは言えない。言えば、なぜかを聞かれる。
「……どのくらい滞在しますか」
自分の声が平静を装えているか、自信がなかった。
「一日か二日。依頼次第だ」
一日。
一日だけなら、すれ違わずに済むかもしれない。
カレイドは港町だ。人口が多ければ紛れることはできる。
ギルドの時間帯をずらし、宿を変え、市場の混雑に溶ければ、鉢合わせは避けられる。
セラは自分に言い聞かせた。
関わらない。
前世の人間に、今世で関わる理由はない。
あれは終わった話だ。
死んで、生まれ直して、ソロで立ち上がって、今のパーティに入った。
前世は前世。今世は今世。線を引いて、越えなければいい。
終わった話のはずなのに、指先の痺れが消えなかった。
アネスがそっとセラの隣に並んだ。
何も言わない。ただ、歩幅を合わせただけ。
その気配が、逆にセラの胸を締めた。
気づかれている。でも踏み込まれない。
この距離感が今は一番ありがたくて、一番つらい。
◇
夜、野営の火を囲んだ。
街道脇の林の中。風除けに選んだ場所で、薪が静かに爆ぜている。
夕食はアルドが作った根菜のスープと、硬いパン。
質素だが温かい。湯気がセラの顔に触れ、少しだけ体温が戻る。
レインが昼の話題を続ける。
「勇者パーティって、国の正式任命だっけ。王都から派遣されてるやつ」
アルドが頷く。
「正式には”王命討伐隊”。勇者の称号を持つ者を中心に、選抜された四人編成。装備も資金も王室持ちだ。活動報告は宮廷に直接上がる。冒険者ギルドとは別系統」
「別系統か。じゃあ、現地のギルドとの連携は?」
「形式上はあるが、実質は勇者パーティの裁量が大きい。王命だからな。ギルド側が口を出しにくい」
「豪華だな。うちとは大違い」
「うちは自腹だからな」
レインが笑い、アネスが肩をすくめる。
軽い会話だが、セラには一言一言が針のように刺さった。
四人編成。王命。選抜。
前世では、セラがその四人目だった。
魔導士として推薦され、配属された。光栄なことだと言われた。
周りの人もセラ自身も喜んだ。“世界を救う旅に参加できる”と。
今世では、別の誰かがその席に座っている。
自分の代わり。
その”代わり”が、どんな扱いを受けているのか。
前世のセラと同じように、最初は丁重にされるのだろう。
“大事な仲間だ”と言われ、“お前がいないと困る”と頼られる。
最初は。
やがて”下がってろ”が増え、“お前の判断は要らない”が日常になり、最後には”囮になれ”が来る。
考えたくない。でも、考えずにはいられない。
火の粉が舞い上がり、夜空に消えた。
セラは膝を抱え、炎の揺れだけを見つめていた。
アルドが火の向こうから言った。
「カレイド、楽しみだな。港町は食い物がうまい」
普通の話題。普通の声。
それがセラには眩しくて、少し痛かった。
「……そうですね」
小さく返して、スープを口に運ぶ。
温かいはずの液体が、喉を通る時だけ冷たく感じた。




