第十九話 古塔の罠と、囮という言葉
雪村から戻って十日。
丘の古塔で魔物が増え、調査班が二度引き返している。
B指定の依頼をアルドは受けた。
「調査班の報告だと、二階層目で罠がある。それ以上は進めなかったらしい」
ギルドの受付嬢が渡した報告書には、罠の配置と魔物の推定数が書かれていた。しかしセラが見たのは別の箇所だった。“魔力の偏り”。これは自然発生の魔物とは違う。
古塔は丘の上に立ち、壁面を蔦が覆っていた。入口の石段は苔で滑り、風が通るたびに塔の中から低い音が響く。
◇
塔内は冷たく湿っている。壁の石が水滴を含み、指で触れると冷気が骨まで伝わった。
セラは光球を浮かべ、床の継ぎ目を見る。石と石の間に魔力の線が走っている。細い、でも確実に人工的な配置。
「三段先、右端が沈む。踏めば矢か落石」
レインがしゃがみ込んで床を確認する。セラの指差した場所に、わずかな段差がある。普通なら気づかない程度の、数ミリの傾き。
「よく見えるな」レインが呟く。
「見落として痛い目を見たことがある」
前世のダンジョンで、罠を踏んだのは自分だった。勇者は助けに来なかった。“自分で治せるだろう”と言われただけだ。あの時の骨が折れる音は、今でも夢に出る。
セラは石と土を噛ませる魔法で、罠を”解除”ではなく”止める”。機構を壊さず、動かないように固定する。完全に解体する技術はないが、通れる形にはできる。
狭い通路では火力を絞り、広間では視界を割る。
アルドは前へ出すぎず、アネスが見える位置を外さない。
塔の中では”強い技”より”崩れない形”が勝つ。
セラはソロの時とは違う魔法の使い方を、一階層ごとに学んでいた。
◇
中層の広間。崩れた祭壇と石柱。天井が高く、光球の光が上まで届かない。闇が頭上に溜まっている。
魔物の気配は二つ。低い唸りが石壁に反響し、方向が掴みにくい。
さらに床の魔力の流れが妙に偏っていた。中央に向かって集束している。
「中央に誘導する罠」
セラが言うと、アネスが眉を寄せる。
「囮を入れて落とす気、かな」
囮。
胸の奥が冷える単語。息が浅くなる。
前世で”囮”と呼ばれたことがある。正確には”陽動”という名前だったが、意味は同じだった。敵の注意を引きつけている間に、勇者が本命の攻撃を叩き込む。セラが傷つくことは計算に入っていた。
視界が一瞬白くなりかける。
だがアルドは床を見たまま、淡々と言った。
「じゃあ入らなきゃいい」
その一言で、空気が変わった。
罠があるなら避ける。囮が必要な作戦なら、囮を使わない作戦に変える。それだけのことを、アルドは当然のように言った。
作戦はすぐ決まった。
レインが柱上から射線を確保する。アルドが広間の縁に沿って誘導する。セラが罠の発動線を印で示し、踏んではいけない場所を可視化する。
誰も”セラが行け”と言わない。
戦闘は短かった。罠は一度も鳴らなかった。
◇
魔物の原因は古い魔力炉のひび割れで、漏れた魔力が小型を引き寄せていた。
セラは応急封止を施す。石と粘土と魔力で、ひび割れを覆い、漏出を抑える。完全な修理はできないが、数年は持つだろう。
作業を終えると、アネスが肩で息をするセラを見た。封止作業は地味だが魔力の消耗が大きい。
「手、震えてない?」
「平気です」
答えながら、セラは自分の指先が冷えているのに気づく。魔力消耗のせいだけではない。
怖かったのは戦闘ではなく、“囮”という言葉が呼び起こした過去だ。
外へ出ると夕陽が丘を染めていた。塔の影が長く伸び、草原に黒い線を引いている。
アルドが腕の血を拭いながら聞く。
「罠の見方、どこで覚えた?」
セラは少し考え、「昔見落として痛い目を見たことがある」とだけ答えた。
前世のことだが、嘘ではない。
アルドはそれ以上聞かなかった。
「その痛い目のおかげで助かったな」
傷を”価値”に変える言い方が、セラには新しかった。
前世では傷は”不注意の結果”だった。“もっと上手くやれた”と言われるだけだった。
帰り道、夕陽の中で少しだけ胸の結び目が緩んだ。
過去は消えない。だが、使い道は変えられる。




