ep.86 ルージュ、火の輪を見回る
朝の光が、火の輪の小道を照らしていた。
波の音と、風鈴のかすかな響きだけが聞こえる。
ルージュは、背筋を伸ばして歩いていた。
腰の剣は抜かれたまま、けれど手は常に柄に添えている。
「……静かすぎる」
彼女は小さくつぶやいた。
「見回り中?」
背後から声がして、ルージュは反射的に振り返った。
そこにいたのは波留だった。
「……驚かすな。敵かと思った」
「敵なんていないよ。火の輪にはね」
波留は笑いながら、ルージュの横に並んだ。
「でも、見回りしたい気持ちはわかるよ。
俺も最初は落ち着かなかったから」
「……あなたも、か」
ルージュは意外そうに眉を上げた。
「うん。火の輪って、静かすぎて逆に不安になるんだよね。
でも、慣れると“静けさが守ってくれてる”ってわかる」
「静けさが……守る?」
ルージュはその言葉を繰り返した。
波留は、風鈴の下で足を止めた。
「ほら。
この音が鳴ってる間は、誰も襲ってこない。
火の輪では、風と火が“見張り”なんだ」
ちりん。
風鈴が、やわらかく揺れた。
ルージュはその音に、わずかに目を細めた。
「……だが、ミニョン様を守るのは私の役目だ」
「もちろん。それは変わらないよ。
でも、“守る”って剣だけじゃないでしょ?」
波留は、焚き火のそばでパンを焼くミニョンを指さした。
ミニョンは、ミミルに文句を言いながらも、
生地をこねている。
「……あれは……守られている、のか?」
「うん。火にね。
火の輪では、火が“暮らし”を守るんだよ」
ルージュはしばらく黙っていた。
やがて、剣からそっと手を離した。
「……見回りは続ける。
だが……少しだけ、歩く速度を落とす」
「それで十分だよ」
波留が笑うと、ルージュはほんのわずかに頬を緩めた。
風が吹いた。
風鈴が、ちりん、と鳴る。
火の輪の静けさが、
ルージュの心にも小さな風を吹かせていた。
今回は、ルージュが“守る”という言葉の意味を見つめ直す回でした。
彼女にとって守るとは、
剣を抜き、敵を退け、ミニョンを守ること。
けれど火の輪では、
火と風が“暮らし”を守り、
静けさが“安心”を生む。
その価値観の違いに戸惑いながらも、
ルージュは少しずつ火の輪のリズムに歩調を合わせ始めています。
剣を抜かない朝。
歩く速度を落とす見回り。
それは、彼女にとって大きな一歩です。
次回は、ブランが“剣を研がない夜”を迎える回。
火の輪の静けさが、彼の心にも新しい影を落とします。
それじゃ、また火のそばで。




