ep.82 記録官と、記憶の貝
夕暮れ、風が少し冷たくなってきたころ。
孝平は、風鈴の音を聞きながら、作業台の上に貝殻を並べていた。
「……それは?」
ルアが、手帳を抱えて近づいてきた。
「記憶貝。精霊からの“返礼”だよ」
孝平は、ひとつの巻き貝を手に取った。
「耳を当てると、音が聞こえる。
波の音、舟の軋む音、誰かの歌声……
たぶん、精霊が覚えていた“海の記憶”なんだと思う」
ルアは、そっと貝を受け取った。
耳に当てると、かすかに潮騒が響いた。
「……これは、記録ではない。
でも、確かに“残っている”」
「うん。記録じゃないけど、記憶だよ」
孝平がうなずく。
「言葉じゃなくて、音や匂いや、手触りで残るもの。
クラフトって、そういうのを“触媒”にして形にするんだ」
ルアは、手帳を開いた。
そこには、火の輪の地形、気候、住人の名前、
そして“火の輪の掟”についての記述が並んでいた。
「記録は、正確でなければならない。
でも、正確なだけでは、伝わらないこともある。
……この島に来て、それを思い知らされたよ」
「記録と記憶、どっちも大事だよ」
孝平が、風鈴を指さす。
「これは“記憶”を鳴らす道具だけど、
ルアの手帳がなかったら、誰にも伝わらなかったかもしれない」
ルアは、しばらく黙っていた。
やがて、手帳の端に、小さく書き加えた。
火の輪にて。
記録と記憶は、別々の道を歩きながら、
ときどき、同じ火を囲む。
その夜、風鈴が鳴った。
ルアは、焚き火のそばで手帳を閉じ、
静かにその音に耳を澄ませていた。
「……記録できないものも、あるんだな」
「でも、残るんだよ」
孝平が、火を見つめながら言った。
「ちゃんと、誰かの中に」
今回は、ルアと孝平が“記録”と“記憶”について語り合う回でした。
記録官としてのルアの視点と、
クラフトアルケミストとしての孝平の感覚。
その交差点に、“残す”という行為の奥深さが見えてきました。
言葉で残すもの。
音や手触りで残るもの。
どちらも、火の輪にとって大切な“記憶”です。
次回は、来訪者たちが火の輪に“名乗り”を立てる回。
それぞれが、自分の言葉で“ここにいる理由”を語りはじめます。
それじゃ、また火のそばで。




