ep.81 姫と令嬢、パンを焼く
朝、ミミルがぱたぱたと走ってきた。
「ねえねえ~、今日は“パン”焼こうよ~♪」
「パン?」
孝平が顔を上げると、ミミルはしっぽで◎を描くようにくるりと回った。
「うんっ。せっかく小麦粉あるし、
火の輪の“おもてなし”ってことで~」
「……わたしが、焼くの?」
ミニョンが眉をひそめた。
「わたし、料理なんてしたことないのよ?
火の前に立つのも、粉を触るのも……」
「うんうん~、だからこそ、やってみよ~♪」
ミミルが手を引く。
「ソレイユちゃんも、一緒に~」
「……うん。やってみたい」
ソレイユは、小さくうなずいた。
粉をこねる手は、最初はぎこちなかった。
ミニョンは「手が汚れる」と顔をしかめ、
ソレイユは「これで合ってるのかな」と不安げだった。
けれど、ミミルが笑いながら言った。
「粉ってね~、“さわってくれてありがとう”って言うの~」
「……そんなわけないでしょ」
ミニョンが笑いながらも、手を止めなかった。
生地がまとまり、発酵を待つあいだ、
ソレイユがぽつりとつぶやいた。
「……パンって、ふしぎ。
粉と水と火だけなのに、あったかい匂いがする」
「それが“暮らし”ってやつだよ」
孝平が、窯の火を見ながら言った。
「何もないようで、ちゃんとある。
火と粉と、手のぬくもり。……それで、十分なんだ」
焼き上がったパンは、少し形がいびつだった。
でも、香ばしい匂いが、火の輪の空気に広がっていく。
「……なんか、うまくいった気がする」
ミニョンが、照れくさそうに笑った。
「うん。すごく、いい匂い」
ソレイユも、そっとパンに手を伸ばす。
その日、火の輪の食卓には、
ふたりの“はじめて”が並んだ。
火の前で、肩書きも立場も忘れて、
ただ“焼きたてのパン”を囲む時間。
それは、火の輪がくれた、最初の贈りものだった。
今回は、ミニョンとソレイユが“火の輪の台所”に立つ回でした。
火の前に立つこと。
粉に触れること。
誰かと一緒に、何かを作ること。
それは、彼女たちにとって初めての体験であり、
同時に“暮らしの輪”に加わる第一歩でもありました。
火の輪の暮らしは、特別なことを求めない。
けれど、そこにある“あたたかさ”が、
少しずつ心をほどいていくのです。
次回は、ルアと孝平が“記憶”と“記録”をめぐって語り合う回。
記憶貝と記録帳――ふたつの“残す力”が交差します。
それじゃ、また火のそばで。




