ep.73 はじめての漁、はじめての海
朝、海は静かだった。
風もなく、波も穏やか。
空と海の境目が、ゆっくりとほどけていく。
「……いい海だ」
波留が、舟の舳先に立ってつぶやいた。
孝平は、櫂を握りながらうなずいた。
「行こう。火の輪の舟、はじめての海へ」
舟は、ゆっくりと沖へ出た。
波留が網を広げ、孝平が舟を支える。
「このあたり、潮が緩い。
岩場の影に、小魚が集まってるはずです」
「了解。網、こっちから回す」
ふたりの動きは、まだぎこちない。
けれど、風の音と波のリズムに、少しずつ馴染んでいく。
「……来てる」
波留が、網の端を引きながら言った。
孝平も、手応えを感じていた。
網の中で、何かが跳ねる音。
「よし、引くぞ!」
ふたりで網を引き上げると、
中には、小さな銀色の魚が十数匹、ぴちぴちと跳ねていた。
「……釣れた」
「ええ。火の輪の、初漁ですね」
波留が、静かに笑った。
浜に戻ると、ぽぷらんがしっぽで◎を描いた。
「おかえりなさいなのです! ……それ、魚なのですか!?」
「魚だよ。火の輪の海から、もらってきた」
孝平が答えると、ミミルが目を輝かせた。
「わ~い! 焼く? 煮る? 干す? 燻す~?」
「まずは、焼こう。朝の火で、じっくりな」
焚き火の上で、魚がじゅう、と音を立てる。
潮の香りが、火の輪の空気に溶けていく。
「……いい匂いだ」
「海の火は、こういう匂いなんですね」
波留が、焼き魚をひとくち食べて、目を細めた。
「……うまい」
孝平も、無言でうなずいた。
火の輪に、海の味が加わった。
それは、確かに“暮らし”の一歩だった。
今回は、火の輪の“初めての漁”が描かれる回でした。
波留の経験と、孝平の手。
ふたりの動きが重なって、火の輪に“海の暮らし”が芽生えました。
魚を獲る。火で焼く。みんなで食べる。
それだけのことが、こんなにもあたたかくて、
こんなにも“町の芽”になるんだなと、改めて感じる回でした。
次回は、漁の成果をきっかけに、
火の輪に“保存”と“加工”の知恵が加わっていきます。
それじゃ、また火のそばで。




