ep.71 風の実と、町の芽
朝、棚の上に置いた木の実が、ほんのりと光っていた。
昨日、精霊から届いた“見たことのない実”。
丸くて、すこし青みがかっていて、手に取ると、かすかに潮の香りがした。
「……海の実?」
孝平は、そっと鼻を近づけた。
潮と、風と、どこか遠くの町の気配。
「これは……風の精霊の贈り物、か?」
「うんうん、それ“風の実”だよ~♪」
ミミルが、しっぽで◎を描きながら言った。
「風の精霊さん、昨日の“しずくパン”が気に入ったみたい~。
“風通しがいい味”だったんだって~♪」
「……パンに風通しって、どういう意味だよ」
「さあ? でも、風の精霊さんって、そういうの大事にするの~。
“ひらめき”とか、“抜け道”とか、“旅の香り”とか~」
「……旅の香り、か」
孝平は、風の実をそっと棚に戻した。
そのときだった。
「――おーい、誰かいませんかー!」
遠くから、声が聞こえた。
波の音に混じって、低く、よく通る声。
孝平が振り返ると、浜辺にひとりの男が立っていた。
潮風に吹かれた髪、肩にかけた網、そして手には小さな舟の櫂。
「……人?」
ぽぷらんが、しっぽで◎を描いた。
「火の輪に、また誰かが来たのです!」
「名は、波留といいます。漁師です。
……気がついたら、舟ごと流されていて。
でも、気づいたらこの島に着いていました」
焚き火のそばで、波留は静かに語った。
その声には、潮の重みと、旅の静けさが宿っていた。
「火の輪、というのですね。……いい名です」
孝平は、火を見つめながらうなずいた。
「ここは、迎える場所だ。
よければ、しばらく一緒に暮らしていかないか」
波留は、少しだけ目を細めて、火を見つめた。
「……あたたかい火ですね。
ええ、しばらく、お世話になります」
その夜。
棚の上に置かれた風の実が、ひとつ、ふわりと転がった。
まるで、誰かの到着を祝うように。
ぽぷらんが、しっぽで◎を描いた。
その輪の中に、潮の香りがふわりと混じった。
今回は、新たな来訪者“波留”の登場回でした。
彼は、潮風に導かれて火の輪にたどり着いた漁師。
火の輪にとっては初めての“海の人”であり、
これからの暮らしに新しい風を吹き込んでくれる存在です。
そして、精霊から届いた“風の実”。
それは、旅の気配とともに、誰かを迎える合図でもありました。
次回は、波留が火の輪の海を見て、
“漁”という新しい暮らしの種を提案する回になります。
それじゃ、また火のそばで。




