ep.70 交換のはじまり
朝、棚の上に置いた干し実が、ひとつだけ消えていた。
代わりに、白くて平たい石が置かれている。
表面には、◎のような模様。
「……また来たな」
孝平は、そっと石を手に取った。
昨日の“気まぐれ石”とは、また違う手触り。
今度は、ひんやりとして、すこし湿っている。
「水の精霊、か?」
「うんうん、それ“しずく石”だよ~♪」
ミミルが、パンをかじりながら言った。
「水の精霊さん、干し実が好きみたい~。
特に、ちょっと酸っぱいやつ!」
「……好みがあるのか、精霊にも」
「あるある~! あとね、交換って、けっこう大事なの~」
「大事?」
「うん。“あげる”だけじゃ、だめなの。
“もらう”ことで、関係ができるの~」
その日、孝平はしずく石を使って、
小さな水瓶を作った。
中に水を入れると、冷たさが長く続いた。
「……保冷効果、か。これは便利だな」
彼は、瓶に干し実を詰めて、棚に戻した。
札に、ひとこと添えて。
──ありがとう。また、交換しよう。
夜。
焚き火のそばで、孝平はぽつりとつぶやいた。
「……これが、島との“やりとり”か」
「うんうん。精霊さんたち、言葉は使わないけど、
ちゃんと“見てる”し、“考えてる”の~」
ミミルが、しっぽで◎を描く。
「だから、孝平くんも“暮らしの言葉”で返してあげてね~♪」
「……暮らしの言葉、か」
孝平は、焚き火にパンをかざした。
香ばしい匂いが、夜の空気に溶けていく。
「じゃあ、明日は……あれを焼いてみるか」
翌朝。
棚の上に、小さな木の実が三つ。
それは、見たことのない色をしていた。
孝平は、そっと手に取った。
「……交換、成立だな」
風が吹いた。
棚の札が、かさりと音を立てた。
今回は、精霊たちとの“交換”が始まる回でした。
干し実と石。
パンと葉っぱ。
言葉のないやりとりだけど、そこには確かな“関係”が生まれています。
クラフトアルケミストとしての孝平が、
素材と向き合い、精霊と暮らしを重ねていく。
その積み重ねが、やがて“町”のかたちになっていくのだと思います。
次回は、精霊たちから届いた“見たことのない木の実”が、
思わぬクラフトの種になります。
火の輪の暮らしに、またひとつ新しい風が吹くかもしれません。
それじゃ、また火のそばで。




