ep.188 継ぎ目の記憶
劇場跡の裏手、崩れたベンチに腰かけて、
老人はゆっくりと語り始めた。
「風の咲姫はな……よく笑う娘だった。
声が大きくて、よく転んで、
でも、誰よりも風を愛していた」
咲姫は、黙って聞いていた。
その手は、無意識に胸元を押さえていた。
「祭りの夜、彼女は鐘を鳴らして、
広場を駆け回った。
“風は自由なのです!”ってな。
あれは、まるで風そのものだったよ」
リオが、記録帳にその言葉を写し取る。
ミナは、そっと咲姫の隣に座った。
「でもな……あの夜を最後に、
咲姫は姿を消した。
風が止んだように、ふっと……」
沈黙が落ちた。
咲姫は、ゆっくりと口を開いた。
「その咲姫と、私は……違うのです。
でも、名前は同じで……
言葉も、少し似ていて……
私、自分が誰なのか、
わからなくなりそうなのです」
老人は、咲姫を見つめた。
その目は、どこか遠くを見ていた。
「名は、ただの音じゃない。
名は、記憶を運ぶ舟じゃ。
君が“咲姫”であるなら、
きっと何かを継いでおる。
それが何かは、君自身が見つけるしかない」
咲姫は、火把の灯りを見つめた。
その火が、風に揺れていた。
けれど、消えはしなかった。
『土の章・八
継ぎ目の記憶。
語られた記憶が、
今を生きる者の中で目を覚ます。
名は、過去と現在をつなぐ舟。
その舟に乗る者は、
自らの“根”を探し始める。』
“土の章”八つ目は、継ぎ目の記憶。
風の咲姫の姿が、初めて語られました。
そして、現在の咲姫がその記憶と向き合い、
“継ぎ目”という言葉に向き合い始めます。
名は、ただのラベルではありません。
それは、記憶を運び、
ときに別の誰かの中で芽吹くもの。
咲姫の旅は、ここから“自分の名を掘り起こす旅”へと変わっていきます。
また、次の土で。




