ep.168 落とした火
リンダは、火把を握っていた。
けれど、その手は震えていた。
通りの向こうから、獣のような唸り声。
黒い影が、地を這うように近づいてくる。
「……だめ、動けない……」
足が、石畳に縫いとめられたようだった。
火把の先で揺れる炎が、風に煽られて揺れる。
その光が、影を大きく映し出す。
リンダは、思わず手を離した。
火把が地面に落ち、火花が散った。
その瞬間、誰かが彼女を抱きかかえた。
ラディだった。
「走れ!」
「でも、火が……!」
「いいから、今は逃げるんだ!」
ふたりは、火を背にして走った。
火把は、石畳の上でまだ燃えていた。
けれど、その火は、誰の手にも握られていなかった。
あとで、誰かがそれを拾った。
誰かが、それをまた灯した。
『秩序の火・捌
落とした火。
恐怖の中で、火を手放した者。
けれど、火は消えず、
誰かがそれを拾い、また灯す。』
“秩序の火”捌つ目は、落とした火。
火を落とすことは、敗北ではありません。
むしろ、それは“生き延びるための選択”でもある。
火は、誰かが拾えばいい。
誰かが灯し直せばいい。
だからこそ、火の章には、
“落とした火”も記録されるのです。
次は、拾った者の火かもしれません。
あるいは、火を恐れなかった者の記録かもしれません。
また、次の火で。




