ep.156 風のあと
町の昼下がり。
風は、もう通り過ぎたあとだった。
庁舎の前に立つと、あの掲示板も、
今はただ、静かに陽を浴びている。
孝平は、ベンチに腰を下ろした。
ミミルは、となりで水筒のふたを開ける。
「……今日は、風、来ないね」
「うん。でも、なんか、残ってる気がする」
空気は澄んでいて、どこか甘い匂いがした。
団子の香りか、塩パンの名残か。
それとも、誰かの笑い声の記憶か。
孝平は、目を閉じた。
風が吹いていた時間のことを、思い出す。
札を貼る音。
団子を焼く匂い。
耳がぴょこぴょこ揺れる気配。
そして、しゃらん、と鳴ったあの音。
今はもう、なにもない。
けれど、なにもないことが、こんなにも豊かに感じるのは、
きっと、風が通った証拠だ。
孝平は、石板に記した。
『風の火・十
風のあと。
何もない午後に、風の記憶が残っていた。
静けさは、風の余韻。』
「……風って、通り過ぎたあとが、いちばん沁みるな」
「うん。なんか、胸の奥が、あったかい」
ミミルが、そっと水筒を差し出す。
孝平は、それを受け取って、一口飲んだ。
水の味が、やけにやさしく感じた。
風は、もういない。
でも、風がいたことは、ちゃんとわかる。
それだけで、十分だった。
“風の火”十こ目は、風のあと。
風が通り過ぎたあとの、静かな町。
何も起きていないのに、
なぜか“何かがあった”と感じる時間。
それは、風の記憶が、空気に残っているからかもしれません。
静けさって、ただの空白じゃなくて、
誰かがいた証、誰かが通った痕跡。
そんな火も、ちゃんと記録しておきたいと思いました。
次は、風を見送る誰かの背中か、
あるいは、風の宴をもう一度願う誰かの声かもしれません。
風の章、まだまだ続きます。
また、次の火で。




