ep.153 逆走する風
「風の道を、ちょっとだけ逆走してたの~」
うさちぁんが、耳をぴょこぴょこ揺らしながら言った。
祠の前、朝の光が差し込む中で、風がくるくると舞っている。
「逆走って……風って、戻れるのか?」
「うん。たまにね、風が“戻りたがる”ときがあるの。
忘れられた“ありがとう”とか、
言いそびれた“ごめんね”とか、
そういうの、拾いに戻るんだよ~」
孝平は、思わず立ち止まった。
風が、過去に戻る。
それは、記録者にとっても、特別な意味を持つ言葉だった。
「……それ、どこまで戻れるんだ?」
「うーん、風しだいかな~。
でもね、昨日の夜、ひとつだけ見つけたの。
すっごく古い“ありがとう”。
たぶん、十年くらい前のやつ」
うさちぁんは、懐から一枚の札を取り出した。
紙は黄ばんでいて、端が少し破れている。
『あのとき、笑ってくれてありがとう。
あれがなかったら、今の私はいません。』
ミミルが、そっと札を受け取る。
「……これ、誰宛てなんだろう」
「わかんない。でも、風が持ってたってことは、
“届いてない”ってことなんだよ~」
孝平は、石板に記した。
『風の火・七
逆走する風。
十年前の“ありがとう”が、風に乗って戻ってきた。
言葉は遅れても、想いは消えない。』
風が、ふわりと耳元をかすめた。
しゃらん、と小さな音がした。
「……記録してよかったな」
孝平は、札をそっと祠の前に置いた。
風は、それを包むように、静かに吹いていた。
“風の火”七つ目は、逆走する風。
うさちぁんが拾ってきた、十年前の“ありがとう”。
誰宛てかもわからないけど、
それでも、風が覚えていてくれた。
言えなかった言葉、届かなかった想い。
それが、風に乗って戻ってくることがある。
それを拾って、記録するのが、火の人たちの役目なのかもしれません。
次は、風の耳を持たない誰かが、
それでも風に気づいた瞬間かもしれません。
風の章、まだまだ続きます。
また、次の火で。




