ep.144 灰の下、灯るもの
夜が明けきらない空の下、
旅人は、ひとりで火の輪の前に立っていた。
火は、静かに揺れていた。
まるで、何も問わず、ただそこに在るように。
「……まだ、怖いよ」
旅人は、火に背を向けたままつぶやいた。
「でも、逃げるのも、疲れた」
その声に、誰も答えない。
けれど、風がそっと吹いて、
火の輪の光が、彼の背中を照らした。
「……あのとき、全部焼けたと思ってた。
でも、ひとつだけ、残ってたんだ」
旅人は、懐から小さな布包みを取り出した。
中には、黒く焦げた木片がひとつ。
「これは、俺の家の柱だった。
焼け跡から拾った、唯一の“かけら”」
彼は、それを火の輪のそばに置いた。
「これが、俺の“灰”だ。
ここに置いてもいいか?」
火は、ふっと揺れた。
まるで、やさしくうなずくように。
旅人は、そっと火壺を手に取った。
昨日、孝平がそばに置いていったもの。
「……火よ。
俺は、おまえを憎んでた。
でも、今は……少しだけ、
おまえのことを、知りたいと思ってる」
彼は、火壺に木片をくべた。
火が、じわりとそれを包み込む。
ぱち、と小さな音がして、
焦げた木片の中から、
かすかな赤い光が立ち上った。
「……ああ、まだ、生きてたんだな」
旅人の目に、光が映った。
それは、かつて失ったものではなく、
これから灯すものだった。
「俺の火は、まだ名を持たない。
でも、ここでなら――
もう一度、灯せる気がする」
火が、やさしく揺れた。
“灰の下に残っていた火”が、
旅人の手で、再び灯されました。
それは、名を得る前の、
**もっとも静かで、もっとも強い選択**。
火を憎んだ者が、
火を受け入れるということ。
それは、過去を赦すことではなく、
未来を選びなおすこと。
Von Voyage――灰の中から、灯るもの。




