ep.143 沈黙の火、旅人の影
その日、旅人は町の外れにいた。
火の輪から少し離れた、
まだ誰も手をつけていない石畳の広場。
そこに、ひとつの火壺を置いて、じっと座っていた。
孝平は、そっと近づいた。
「……寒くない?」
旅人は、答えなかった。
ただ、火を見つめていた。
「火って、不思議だよな。
何も言わないのに、
見てると、いろんなことを思い出す」
旅人の肩が、かすかに揺れた。
「……火は、奪った」
低く、かすれた声だった。
「俺の町を焼いた。
家も、人も、名前も。
全部、火が……」
孝平は、言葉を失った。
火の輪のあたたかさが、
この人には“痛み”として残っている。
「それでも、ここに来たのは……?」
「火が、呼んだからだ。
あの夜、遠くで揺れてた。
まるで、“まだ終わってない”って言われた気がして」
孝平は、火壺のそばにしゃがみ込んだ。
「火は、奪うこともある。
でも、残すこともできる。
俺たちが灯してるのは、
“誰かの火を守るための火”だよ」
旅人は、ゆっくりと顔を上げた。
その目に、かすかな光が宿っていた。
「……俺の中にも、火はあるのか?」
「あるよ。
消えかけてても、灰の下に、
まだ赤い種火が残ってる。
それを見つけるのは、君自身だけど――
火は、待ってる」
旅人は、火壺に手をかざした。
その手は、少し震えていた。
「……怖いな」
「うん。俺も、最初は怖かった」
「でも、火は、ちゃんと見てくれる。
逃げなくてもいい。
黙ってても、火はそばにいるから」
風が吹いた。
火が、ふわりと揺れた。
旅人の手のひらに、
かすかに赤い光が映った。
旅人の沈黙の奥にあったのは、
“火に焼かれた記憶”でした。
それでも、彼は火のそばに座った。
それは、**名を得るための第一歩ではなく、
火と向き合うための勇気**。
名を持つことは、
過去を消すことではなく、
過去とともに歩くこと。
Von Voyage――沈黙の火が、影を照らす夜に。




