ep.109 旅支度の火
翌朝の火の輪は、いつもより早く動き始めていた。
焚き火の赤はまだ弱いが、空気には“出発前”の匂いが混ざっている。
孝平は、火のそばで縄を結びながら、
火の輪の面々がそれぞれ準備を始める様子を見ていた。
「……本当に行くんだな」
波留が、海から引き上げた木箱を抱えて言う。
「行くよ。
火の輪が決めたことだ」
孝平が答えると、波留は短くうなずいた。
「じゃあ、舟の準備は任せてくれ。
風の国まで持つように、補強しておく」
「頼む」
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ミミルは、荷物を詰めながら跳ね回っていた。
「これも持ってく~!
あ、これも~!
あ、これも必要~!」
ヒメルがため息をつきながら言う。
「ミミル、それは“必要じゃないもの”の山よ」
「え~? でもね~、
旅って“なんでも持ってく”のが楽しいの~!」
「違うわよ。
旅は“必要なものだけ持つ”のが正しいの」
ミミルはしばらく考え、
結局、荷物を半分に減らした。
「……これだけにする~」
「それでも多いわよ」
ヒメルは笑いながら、ミミルの荷物を整えていく。
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トモエは、鍋の前で腕を組んでいた。
「旅の間、火の輪雑煮は作れないからねぇ。
代わりに“持ち歩ける火の味”を作っとくよ」
「そんなものがあるのか?」
カイが尋ねる。
「あるさ。
干した野菜と、火で炙った塩。
これだけで、どこでも火の輪の味になる」
トモエは、鍋から香りを立ち上らせた。
「……風の国でも、食えるといいがね」
カイは、火壺を抱えたまま静かにうなずいた。
「……ありがとう」
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ルアとモントは、風鈴の下で地図を広げていた。
「風の国までの航路……
通常なら三日ですが、風が乱れている今は読めません」
「ええ。
風の流れが変われば、もっと早く着くかもしれませんし、
逆に進めない可能性もあります」
ルアは手帳に書き込む。
“風の国への航路、不確定。
風の乱れ、旅に影響”
モントは風鈴に触れた。
「……でも、火の輪の火があれば、
風も道を開くはずです」
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レーゲンとガルドは、剣を磨かずに舟の側で立っていた。
「……剣を持っていくのか?」
孝平が尋ねる。
「持っていくが、抜かない」
レーゲンが答える。
「火の輪の旅は、戦いじゃない」
ガルドもうなずく。
「剣は“守るための道具”だ。
火を守るためなら、持っていく」
孝平は、二人の言葉に安心したように息を吐いた。
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ソレイユは、焚き火の前で膝を抱えていた。
胸の“名前の種”が、またふわりと温かくなる。
「……旅に出るの、こわい」
ネーベルが隣に座る。
「ええ。
でも、火はあなたを守ります。
そして……あなたの名前も」
「名前……」
「旅の中で、きっと芽を出しますよ」
ソレイユは、焚き火に手を伸ばした。
「……行く」
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孝平は、火壺を抱えたカイの前に立った。
「準備はできたか?」
カイは、火壺の灯りを見つめた。
「……できた。
風の国へ行く。
風を鎮めるために」
孝平は、静かにうなずいた。
「じゃあ――
火の輪、出発だ」
風鈴が、ちりん、と鳴った。
火の輪に、ひとつの“旅の火”が灯った。
今回は、火の輪が“旅支度”を始める回でした。
・舟の準備
・食料の準備
・地図と風の確認
・それぞれの思い
・ソレイユの小さな決意
・カイの覚悟
火の輪の静かな暮らしが、
ゆっくりと“旅の形”へ変わっていきます。
次回 ep.110 では、
火の輪がついに海へ出て、
風の国への航海が始まります。
それじゃ、また火のそばで。




