ep.98 火の輪に落ちた名もなき影
舟から降りた青年は、砂を踏みしめるたびに、
まるで“風がついてくる”ような歩き方をしていた。
孝平は、火の輪の中央へ案内しながら、
ちらりと横目で彼の様子をうかがう。
「名前、聞いてもいいか?」
青年は少しだけ迷ってから答えた。
「……名乗るほどのものじゃない。
けど、呼び名が必要なら“カイ”でいい」
「カイ、ね。火の輪へようこそ」
孝平が言うと、ミミルがすぐに跳ねてくる。
「カイくん~! はじめまして~!
火の輪はね、あったかいよ~!」
「……ああ。もう感じてる」
カイは焚き火を見つめた。
その瞳は、火の色を映しているのに、どこか遠くを見ているようだった。
■
火の輪の中央に着くと、
ヒメルが荷袋を抱えたまま近づいてきた。
「新顔ね。旅の匂いがするわ」
「旅……というより、逃げてきたんだ」
ヒメルの表情が一瞬だけ変わる。
だが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「逃げるのも旅のうちよ。
火の輪は、逃げてきた人の味方だから」
カイはその言葉に、わずかに肩の力を抜いた。
■
トモエが鍋をかき混ぜながら声をかける。
「腹、減ってるだろ。食ってけ」
「……いいのか?」
「いいんだよ。火の輪は“食わせる場所”なんだ」
ミミルが横から口を挟む。
「そうそう~! 火の輪雑煮だよ~!
年明けの味なの~!」
カイは湯気の立つ椀を受け取り、
ひと口すすった。
「……うまい」
その一言で、トモエは満足げにうなずいた。
■
少し離れた場所で、
ルアとモントが小声で話していた。
「風の流れが……彼に集まっている」
「ええ。火の輪の風が“歓迎”しているようです」
ルアは手帳にさらりと書き込む。
“新来訪者、風を連れてくる”
■
レーゲンは、剣を置いたままカイを観察していた。
「……戦の匂いがするな」
ガルドがうなずく。
「だが、剣を抜く気配はない。
むしろ……疲れている」
カイは二人の視線に気づき、
静かに頭を下げた。
「争う気はない。
ただ……火を探していた」
レーゲンは火を見つめながら言った。
「なら、ここで休め。
火の輪は、剣を置く場所だ」
■
ソレイユは、少し離れた場所からカイを見ていた。
胸の“名前の種”が、ふわりと温かくなる。
「……あの人、火の音が聞こえてる」
ネーベルが隣で微笑む。
「ええ。
火の輪に来る者は、皆どこかで“音”を聞いているんです」
ソレイユは小さくうなずいた。
「……じゃあ、あの人も……仲間?」
「火が決めますよ」
■
カイは焚き火の前に座り、
静かに手をかざした。
火が、ふっと揺れた。
まるで――
彼を歓迎するように。
孝平は、その揺れを見て確信した。
「……カイ。
お前は、火の輪に来るべくして来たんだな」
カイは、焚き火の光の中で目を閉じた。
「……そうかもしれない。
ここに来て、やっと……息ができた」
風鈴が、ちりん、と鳴った。
火の輪に、新しい影が溶け込んだ瞬間だった。
今回は、新来訪者“カイ”が火の輪に加わる回でした。
全体の流れの中で、
ミミル、ヒメル、トモエ、ルア、モント、レーゲン、ガルド、ソレイユ、ネーベル……
それぞれが自然に反応し、
火の輪が“ひとつの暮らし”として動き始めています。
カイは風を連れてきた青年。
彼の過去には、まだ触れていません。
でも火の輪は、まず“休ませる場所”。
次回 ep.99 では、
カイがなぜ火を探していたのか、
その理由が少しだけ明らかになります。
それじゃ、また火のそばで。




