六、魔王の暴走
目を開けると、天井が見えた。当然、それは僕の部屋の物ではなかった。見慣れない、けれどなぜか安心する木目の走った天井。僕は大きくあくびをすると、頭を横に倒した。目が覚めてすぐにベッドから出られる人は少ないだろう。僕は目覚ましが鳴っていたとしても、止めてから一時間近く毛布をかぶってしまう人たちの仲間だ。
僕の天井はもう二度と見られないだろう。そう思いながら僕は今度白い壁紙を目にした。僕の壁も、枕も。僕の部屋とはもう永訣してしまった。僕はあちらには戻れない。そんなことを考えながら乾燥した指で鼻を触った。僕に友達は多くなかった。時折逢いに来てくれた親友も、時が過ぎるにつれて疎遠になってしまった。今は顔や声も思い出せない。僕が向こうの世界から突然消えたところで涙を流してくれる人はいない。血縁関係にあった人々は他界し、行方不明、あるいは夭逝と言われ、すぐに存在ごと薄れるだろう。アキラに彼の父親のところまで連れて行ってもらいたいと言ったが、帰還方法を見つけたところでどうなる?戻ってもすぐに行き止まりだ。かといって、残ってもここに僕の居場所なんてない。それよりも女性を片っ端から蠱惑するような勇者が助けになるとは思えない。
僕は反対を向いた。視界の端に扉を見つけ、誰かが入ってくるのではないかとしばらく睨みつけた。ちょうど僕が目を逸らそうとしたとき、軋むような音とともに誰かが入って来た。僕は入って来た人物を目にすると急いで起き上がり、ベッドの端に座った。
「セ、セ、セリナさん?!」
彼女は朝御飯をトレイに乗せてわざわざ持ってきてくれた。僕に近づいてきたかと思うと、くるっと横を向いてベッドの隣にある小さな箪笥の上に置いた。
「昨日は大変お疲れだったのですね。しっかり休めましたか?口に合うかは分かりませんが……」
彼女は昨日初めて会った人をここまで心配して気遣ってくれている。元の世界に帰ったらこんな素晴らしい女性はいるだろうか?彼女は容姿と性格ともにどの世界でもナンバーワンを獲得するだろう。
「合います!食べます!ありがとうございます!」
パンを口に運びながら僕は頭を下げた。
「あらよかった。ゆっくり食べてくださいね?」
彼女は着替えを持ってくると言っていったん部屋を出て行ってしまった。
彼女によると、ゲナートとアキラは僕が目覚めた森に向かっているらしい。他の腕の利く冒険者数人と現地の兵を連れて調査隊を組み、森に魔物がいないことを確認し、地形などのデータを取りに行くらしい。勇者、アキラの父親が魔王を倒したときに魔王領は周辺の王国に分け与えられた訳だが、魔物が多すぎて資源を利用できないどころか、自国に被害が出てしまっていたらしい。魔物の多さが隘路となって森を探索できなかったため、魔物がいなくなったということは森や他の元魔王領を所持している各国が動き出すということ。森を制圧をするために一刻も早く探索するためにアキラたちは僕を残して森に行ったということらしい。僕は何となく理解できたが、国々との関係を全く知らないし、セリナさんで頭を埋め尽くされて他の話が入りづらかった。僕は魔王のすごさを知らない。魔王が勇者に倒されたのはすでに十六年前のことなわけだが、セリナさんはその時からもこのギルドの管理者をやっていたらしい。
「あのう、魔王ってどんな感じだったんですか?」
僕が控えめに聞くと、彼女はとても辛そうな顔をしてしまった。
「あ、大丈夫です!聞いてごめんなさい、いやなら聞きません!」
僕は手を合わせて彼女の顔をもう一度見た。すると一滴の涙が頬を伝いながら、彼女は語りだした。
「私の最初に視たのは黒い煙だった……大きな赤い炎が音を立てながら街を焼き尽くす。人々の叫び声が瓦礫の下から漏れでていた」
彼女の瞳は小さくなり、部屋のただ一つの窓の外を見て震えていた。
「はるか上空、一人だけ逃げ回る私たちを見て笑う者がいました。その不気味な笑い声は私を包み、苦しめました」
僕は息をのんだ。僕は戦争経験者じゃない。だが彼女の悲劇は経験者から聞く東京大空襲とそれほど変わらない。空から降り注ぐ炎にすべてが呑まれる。彼女はとても辛い目に遭ったのだろう。
「魔王の顔は勇者様しか見たことがありません」
彼女が言い表したのは黒いマントに黒いフードをつけた銀の鎧に包まれた魔神。
「魔王はかつて魔物や魔人を束ねる者として彼らの神のような存在でした。魔王は周辺国とも一時的に国交を結び、人間達にも神と崇められるようになりました」
「どうしてそのような魔王がセリナさんの街を?」
一体なぜ人類と共存している魔王がセリナさんの街を滅ぼしたのだろうか。セリナさんに聞いたが、彼女は知らないと答えた。
「魔王は5年間の間に数々の王国を滅ぼしました。なぜ魔王はそんなことをしたのか、なぜ私たちが狙われたのか、生きるのに精いっぱいだった私には思い出せません。いえ、忘れようとしています」
彼女の声はそこで途切れた。喉の奥が震え、苦しげな沈黙が落ちた。
僕は何か言わなくてはと思ったが、出てきた慰めは薄っぺらく、彼女の背負ってきた悲劇に触れられるようには思えなかった。僕は彼女のことを全く知らない。彼女の元々住んでいた街でさえも知らない。彼女がどれだけ必死になってこの街までたどり着いたのか、僕は想像することしかできなかった。
「す、すみません……僕が軽々しく聞いてしまって……」
しどろもどろに言うと、セリナさんは微笑んだ。目には涙が今にもこぼれ出そうに溜まっていた。
「いいえ。私の方こそヨウくんに私の辛い過去をぶつけてしまってごめんなさい。あの時代は皆苦しんでいたのに、私だけ弱音を何も知らないあなたに聞かせてしまって……」
僕は彼女に再び名前で呼んでもらったことに胸が熱くなった。
「大丈夫ですよ、いつでも聞かせてください!僕もセリナさんの辛かった過去を忘れさせるのを手伝えると思います!」
僕なんかがこんなことを言っていいのか分からないが、どうにかして彼女の力になりたかった。
彼女は涙を細い指で拭うと、少し姿勢を正し、喉を整えた。
「ずっと部屋にいては木が滅入ってしまいます。街を見てくるのはどうでしょう?ギルドのお仕事があるので私はいけませんが……森に魔物がいなくなったのは良いことですけれど、国に報告書などを出さなくてはならないのは少々手間ですね」
にっこりと僕に笑いかけるとセリナさんの背後にある部屋の扉からもう一人女性が入って来た。
「あら、パンジルちょうど良いところに来てくれました。ヨウくんにこの街を案内してくださるかしら?」
セリナさんは僕の方を見ていたので気づかなかったかもしれないが、パンジルという背の高い女性は僕のことを汚い濡れ雑巾のように睥睨していた。
セリナさんが先に部屋を出ると、残ったパンジルという女は僕と目を合わせずに怒鳴った。
「アキラ様がせっかくお帰りなさったのに何であんたの世話係をしなくちゃいけないのよ!私はアキラ様に会うためだけにここでバイトしてるのに!」
浮かんだことを全てを吐露し、彼女は部屋を出た。
「さっさと準備して頂戴!」
と彼女の声が開けっ放しにされたドアから聞こえる。
アキラはこのとんでもない女性に懸想されていることをご存じなのだろうか。モテる男は辛そうだなと初めて思った。
そしてあの女性のせいで僕らは対面十秒ほどで軋轢が生じた。パンジルに一日中愚痴愚痴言われるよりも自分一人で街を歩いたほうがよっぽど耳に健康だと考えた。僕は朝ご飯を口に詰め込んで着替えると、ウェイトレスの仕事をするパンジルの背後を通ってギルドの入り口に来た。忍び出る前に少し躊躇ったが、意思を固くして僕は扉を押し開けた。一瞬だけ十二時を指す時計が目に入った。
次回、第七話 少女の街案内
12/26 金曜日 16:00公開!




