五、夜の街を歩く
僕には見えた。遠くに大きな外壁と、ゆらゆらと灯された松明が。そして直線状にゆっくりと閉まる巨大な扉を目にした。僕らは言葉にもならないような音を出して門を閉めるのを遅らせてもらおうとした。魔物か何かだと思われてしまっているだろうか。そう思っていたが、奇跡的にも扉はピタリと止まった。僕らが数分後、壁の中に駆け込むと同時にズシリと閉まった。
「危なかったー」
僕ら二人は地面に倒れこみ、痰を吐き出した。深呼吸しながら立ち上がろうとする僕らの前に、筋肉質の男が現れた。背中には巨大な斧が装備されており、上半身は何も来ていない。顔、および胸には大きな傷跡があり、僕のような素人から見てもただ者ではない雰囲気を纏っていた。その巨体は上から僕らの顔をじっと覗き込んだ。彼は両手を腰に当て、アキラの方を向いた。男が急に腕を振り上げたかと思うと、ポンとアキラの肩の上に掌を置いた。
「おうアキラ。森の警備を手伝いに行くんじゃあなかったのか?まさか途中でビビッて引き返してきたんじゃないだろうな?」
と男は笑いながら親しげにアキラと話した。
「違うさ、彼が森に魔物がいないって言うんだ!」
アキラが説明すると男も同じように目を大きく開いた。
「それは本当か?!」
「あのう……知り合い?」
会話に入れず躊躇っていた僕は思い切ってアキラに聞いた。
「ああ、この人は僕と同じギルドで働くゲナートさん」
アキラに紹介され、僕はペコリとお辞儀をした。
「陽と言います」
「挨拶かい?」
すると彼はアキラにしたと同じように僕の肩にポンと手を置いた。彼の手は大きく、今にも握り潰されるのではないかと思った。
「それで、森に魔物がいなくなったってのは本当かい?」
今度は僕に質問をしてきた。最初は躊躇ったが、アキラの仲間だから信用していいだろうと思い僕が転生してきたことを含めて全て話した。聞き終わると彼は難しそうな顔をして考え込んでしまった。
「確かにそれは前例のない事だなぁ。セナに聞いてみるか?」
彼は僕の方を見ながら背後にいるアキラに問いかけた。
「いやあ、セサさん忙しいと思うから……」
アキラがそう答えるとゲナートはニヤリと歯を見せた。
「またまた、恥ずかしがっちゃって。アキラはな、セナに一目惚れ中なんだぜ」
ゲナートは僕の耳にコソッと伝えたが、アキラにも届いていたようだ。
「う、うるせえ!ゲナート、お前だってそうだったろ!」
アキラは必死に対抗すべく彼の過去を曝け出し、ゲナートを指差した。
「お、俺は良いんだよ。もう何十年も前のことだから。ほらほら、セナに会い行くぞ」
とゲナートは言い逃れした。
ゲナートが何十年も前に惚れた女性セナ。アキラが今は惚れているらしいが、となるとセナという女性は一体何歳なのだろうか。アキラは老婆が趣味なのかもしれない。あるいはゲナートが幼女趣味ってことかも?どちらも想像しただけで吐きそうになった。
「顔色悪いよ?」
アキラが僕の顔を覗くと僕は口に手を当ててゲナートに着いて行った。
大通りの両側には煉瓦のような造りの建物が並んでいた。すれ違う通行人は武器を腰や背中に付けているものは少なくなく、喧嘩を挑んだら一発で僕は潰されてしまうだろう。
途中、近道だとアキラ達に言われ、裏道に入った。裏路地は灯りのある大通りとは違って薄暗かった。そこには子供が入ってはいけないような店が建ち並んでいて、看板娘達が僕らを呼び込もうとした。
「あらっ?この前の人じゃないですかー!」
体躯の良く育った茶髪の女性がゲナートを見ると彼に手を振った。それに対し、ゲナートは僕らの前で恥ずかしそうにしながら手を軽く振り返し、急いで通り過ぎて先に行ってしまった。
噴水のある広場だと思われるところを抜けて、T字の交差点で二人は止まった。目の前には木製の看板のかかった柱二本に挟まれた扉があり、中からの音楽や笑い声が漏れ出ていた。
ドアを開けて中に入るゲナートとアキラに僕は連れて入った。すると中は小学校の体育館ほどの広さの部屋が大勢の大人たちで大変賑わっていて、丸いテーブルをいくつも囲んで酒を飲んでいた。彼らの机にウェイトレス達が男たちの注文したであろう料理が次々と運ばれてきた。こちらに来てからあの塔でいくつかパンの入った袋をもらい、それを食べたものの、鼻に運ばれる久しぶりの料理の香りは僕にとって垂涎の的であった。袋のことを僕は思い出し、右手を握りしめたが、そこには袋はもう無かった。そのまま右手はポケットの中へと入って行き、スマホを探す。だが僕のポケットは未だ空だ。
僕は後ろの扉を閉め、再び食べ物のほうへ目をやると、椅子に座る一人の男性冒険者のような方に話しかけるゲナートを目にした。二人は何か話していたが、周りが盛り上がりすぎていたので何も聞こえなかった。そこへアキラも会話に入って行ってしまい、僕は二人の背後で突き立っていた。アキラが何かを訪ねたように見えると、座っていた男性は部屋の奥の方に指をさした。彼の指さした方向には木の長机があり、受付のカウンターのようなものが設けられていた。そのホテルのロビーのような雰囲気から、僕はやっとここが行けと言われたギルドだということに気づかされた。
カウンターの奥にはただ一人の女性がいた。僕から彼女までは二十メートルほどあるはずなのに、彼女の容姿が僕の目の中へ繊細に写った。それはとても美しい女性であった。僕の位置からでも彼女のその長身に皴ひとつないということが分かった。僕ら三人は彼女の方へと歩いて行った。白いドレスを身に纏う彼女はまるで天使のようだった。黄金の滝のような髪、そして初雪のような肌。彼女のエメラルド色の目は僕の心臓を射抜いた。どうしてこのような女神が存在するのかと自分の目を疑った。しかし何度目を擦ってもカウンターの反対側に立つのは紛れもなくこの世で一番美しい女性だった。彼女に見とれすぎて、いつの間にかカウンター前に立っていることに全く気が付かなかった。
「ど、どうもセナさん」
「セ、セナ、戻ったぜ」
一拍置いて口にする二人。その名前を聞いて僕は突如我に返った。
この美しい方がゲナートの何十年前に惚れた相手?アキラの惚れている相手?たしかにこの人は大変お美しい。美しいだけで表せていいものか。しかし彼女は三十を超えているとは到底思えない。ということはゲナートがロリコンだったということだろうか?またいらない想像が僕の頭を過った。
「お帰りなさい、二人とも」
女神が微笑んだ。いや、この方は女神以上である。
「あら、見ないお顔。私、このギルドの管理者を務めさせていただいているセリナ・グルージャと言います。どうぞセナと呼んでください」
彼女は僕にも微笑みをくださった。そのあまりにも慇懃な挨拶に僕は気絶しそうになった。
「セ、セリナさん!僕……私は今村陽と言います、よ、よろしくお願いします!」
僕はすぐに挨拶を返したつもりだが、変に声が強く出てしまった。何よりも、致命的なミスをしてしまった。
「まあっ!私もイマムラくんと呼んでもいいかしら?」
そう、僕は日本人に挨拶をするような形で彼女にそのまま言ってしまったのだ。下の名前を先に言う、彼女の自己紹介でこの世界の常識を頭に入れるべきだった。さらに、僕は彼女の唇が動いているのに集中しすぎて彼女のファミリーネームは全く聞いておらず、初対面で下の名前で呼んでしまった。幸い、アキラは父親の名前で日本の文化を学んだのだろう。すぐに違和感に気づき、僕の名前を訂正してくれた。
「セナさん、彼は実は異世界人で、イマムラは苗字の方だと思うんだ。彼の名前はヨウでなんです」
「あら、ごめんねヨウくん」
その一言に僕の脳は完全に停止した。下の名前で呼ばれてしまった……この一言だけで僕は一生生きていけるかもしれない。僕は何も考えられなくなり、その後どうなったかは全く覚えていない。
次回、第六話 魔王の暴走
12/22 月曜日 16:00公開!




