表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

1話:オリジン

体育館に響くのは、シャトルが弾ける乾いた音。

一見、羽のように軽やかに見えるその小さな球は、空気を裂き、想像以上の速さで飛ぶ。

人の反応を嘲笑うかのように、瞬きの間にネットを越える。


――バドミントン。

その実、『世界最速のラケット競技』と呼ばれる。

目にも止まらぬスマッシュは時に時速500キロを超えるかと思えば、ドロップの速度はわずか時速数十キロにしか満たない。

わずかな予測の狂いが即失点へとつながる。

俊敏さと持久力、そして冷静な駆け引き――そのすべてを要求される。


軽やかさの裏に潜む、苛烈な消耗。

ラリーをつなぐたび、選手の足は何度も前後左右に刻まれ、呼吸は荒れ、心臓は燃えるように脈打つ。

それでもなお、次の一歩を止めることは許されない。


羽は軽く、だが勝負は重い。

そのコートに立つ者は誰もが知っている。

一球のシャトルに込められた重みを。

夏の熱気がこもる体育館はうねるような歓声であふれていた。

小学6年生の春日大翔かすがはるとは、友達と並んで観客席に座り、目を見開いたままコートを見つめていた。


「うわっ!はええ!!!」

隣で叫んだ友達の声も耳には届かない。


インターハイ 男子シングルス 決勝戦の舞台。


コートの中では、二人の選手が光の速さでシャトルを打ち合っている。

白い羽が見えたと思った瞬間には、コートに突き刺さっている。


互いに一歩も譲らない。

シャトルが天井の高さまで上がったと思えば、次の瞬間には銃声のような音が鳴り響く。

点差は――20vs19


その時――


「スマッシュ!」

観客席から誰かが叫んだ瞬間、再び銃声のような音が鳴り響く。

わずか数センチ、相手のロブが浅く入ったのを見逃さなかった。


その選手は小柄ながらも強靭なバネと身体能力で、鋭い三連続スマッシュを叩き込む。

相手も必死に凌ぐが、体勢を崩し、前に上がったシャトルは甘い。


次の瞬間。

彼は全力で飛び、渾身の力を入れてラケットを振り下ろす。


――バシィン!


会場の床を震わせるほどの音が鳴り響く。

シャトルは相手のコートに突き刺さり、勝敗が決した。

最後のシャトルを打つ姿。その姿はまるで、空中で止まっているかのようにも見えた。


会場が割れるような音声に包まれる。

大翔は立ち上がり、息を呑んだままその光景を目に焼き付ける。


選手はラッケトを下すと、すぐさま相手に一礼し、次に審判、コーチ、観客席に向かって深々と頭を下げる。

その姿は勝者でありながら、とても謙虚で、凛としていた。


「......かっけえ......」

思わず大翔の口から声が漏れた。


その選手は大歓声の中、コートを後にして去っていく。

胸の奥が熱くなり、手のひらが汗ばむ。

ただ「勝った」というだけではない。

全身でバドミントンを体現する姿に心を奪われた。


試合が終わった後に、コートを出るときに友達が言った。

「なあ、大翔。俺らもあんな風に打ってみたくね?」

その顔には大翔同じ、あの姿への憧れが宿っていた。


「......やるか!バドミントン!」

気づけば大翔は自然に答えていた。

言葉は自然に出た。心の底からそう思って出た言葉だった。


あの夏から数か月。

大翔は小学校を卒業し、期待と希望を胸に中学へ入学する。

大翔が真っ先に向かったのは、部活動説明会だった。

けれど、どれだけ一覧を見ても「バドミントン部」の文字はない。


サッカー、野球、バスケ、卓球......体育館競技はいくつもあるのに「バドミントン」の文字だけがない。

「......ない、のか」

胸の奥がストンと落ちていくような感覚と、連動するかのように肩を落とす。


一緒にあの光景を見に行った友達なら、きっと隣で「じゃあ、俺らで作るか!」と笑っただろう。

けれど、彼は、小学卒業と同時に、親の仕事の都合で他県へと引っ越してしまった。

その張り紙の前に残されたのは、大翔ただ一人。


それでもあきらめなかった。

自然と足が職員室へ赴き、担任の先生に話をする。

「バドミントン部どうしてないんですか?」


すると、先生は思い出したかのように言う。

「ああ。前はあったんだけどね、人が集まらなくて無くなっちゃたんだよ」

その言葉にさらに肩を落とす。


それでも、大翔はあきらめなった。

地元の公民館では週末に「愛好者会」とよばれる集まりがあった。

社会人や年配の人に混ざり、新品のラケットを握る。

イメージと程遠い。

当たらない・・・・・。


それでも、楽しくてラケットを振り続ける。

大人の人に打ち負かされる日々だったが、必死に食らいついた。


そのころ、地元ではインターハイのバドミントン競技が行われたのを期にスポ少まで立ち上がっていた。

地元の子供たちが集まり、指導者の下で練習する。

人数は少なく指導する大人も手探りのような感じだったが、それでも大翔には貴重な練習場所であった。


部活の時間は一人で体育館の隅で練習をする。

卓球台の後ろや、バスケのリングの影に追いやられながら、壁に向かってシャトルを打つ。

先生への直談判が功を奏して、大翔のみ部活に入らず、部活動の時間にバドミントンの練習をすることが許された。

しかし、相手はいない。

ひたすら壁と向き合い、週末にスポ少で教えてもらった練習を繰り返す。

人が少なくなると、わざとシャトルを高く上げて、一人でスマッシュの練習をしてみる。

あの日見た光景を真似るかのように。

天高く。空中に羽ばたくように。


――カコン。


あの日、大翔が見た、ジャンピングスマッシュには程遠い、フレームショット。


後ろからは「ドン、ドン、ドン」という乾いた音がむなしく響く。

誰も見ていなくても、手の皮が剥けては剥がれ落ちを繰り返した。


周りからは楽しそうにプレーする声が響聞こえる。

大翔はひとり、黙々とフットワークをする。

汗が落ちるたびに、「俺はここから強くなるんだ」と言い聞かせた。


仲間との笑い声が響く中、ひとり、黙々と動く姿は、孤独そのものだった。

けれども、その孤独こそが、着実に一歩ずつ、大翔を鍛えていった。


中学三年生の夏。

ついに『新羽中しんうちゅうバドミントン部』が誕生した。

といっても、部員数はわずか5人。

スポ少に入っていた子たちが入学してきたことで、要望が増え、形式的に『部』として認められただけだった。


それでも、大翔にとっては夢にまで見た「公式戦」の舞台だった。


体育館の扉が開いた瞬間に、熱気がぶわっと押し寄せてきた。


「.......すげぇ」


大翔はその雰囲気に、思わず足を止めてしまう。

見渡す限りの選手、応援の声、拍手。

体育館全体がうねるようなざわめきで包まれている。

二回の観客席からは、壁一面覆いつくすような横断幕。


立ち止まっていると、後ろから、スポ少で一緒に練習してきた一年生が、大翔の背中を突いた。


「先輩、行きましょう!」

まだ声変わりもしていない、小さな声がどこか浮きだっている。


「お、おう!」

大翔は慌てて足を進めた。


胸には、顧問の先生と一緒になって作ったばかりの「新羽中」の文字が入ったユニフォーム。

白地に青いラインが入ったシンプルなデザインだが、大翔にとっては宝物だった。


「......これ着て、コートに立てるんだな」

鏡で何度も見直した自分の姿を思い浮かべて、胸の奥がくすぐったくなる。


後輩たちも後ろで

「なんか、プロみたいっすね!」

と笑いあいながら袖を引っ張り合っている。

緊張よりも、少し浮かれたような無邪気さが勝っている。


アナウンスが流れ、入場の順番が近づく。

列に並ぶと、大翔の手のひらはじんわりと汗をかいていた。


隣に立つ一年生が、小声で大翔に声をかける。

「先輩.....足震えてますよ」


「お、お前だって震えてんじゃん!」

互いの顔を見合わせて、つい笑ってしまう。


その瞬間に少しだけ、肩の力が抜けたが、それもつかの間。


会場にアナウンスが流れる。


「コールします!」


その音に呼応するかのように、大翔の心臓は大きく跳ね上がり、血液が全身をめぐっていく。


「第三コート。第一試合。『新羽しんう中学校 対 飛北とびきた中学校』の試合を始めます。選手の皆さんは第三コートにお集まりください」


そのアナウンスが終わると同時に、コートへ続く通路を歩きだす。

観客席から響く拍手が波のように押し寄せる。

目の前には真新しいコートの縁が広がっていた


「行くぞ!」


最初で最後の公式戦。

対戦相手は県内でも名を馳せる強豪校『飛北中』

今年は選手が揃っていて、優勝候補の一角として名高い。


大翔たちがコートの端に整列をする。

観客席からはまばらな声とともに「あそこどこ?」「今年できたんだって」「新庄北にバドミントン部なんてあったんだ」という子声が聞こえる。


だれも、この小さな新設チームには期待していなかった。

それに少し遅れて、日南中が整列を始める。


その瞬間空気が一変した。


「......やべぇ」

一人の一年生が小声で話す。


その、足音だけで迫力がある。

胸を張り、そろったユニフォームの群れは、まるで軍隊のように見える。

彼らの纏う覇気に、大翔の背筋は思わず、ぞくり、と震える。


そして、その中に、ひときわ目を引く選手がいる。

背の高さもさることながら、一歩一歩の動きにほかの選手とはまるで違う重さとしなやかさがある。

冷たい光を宿した瞳が一度だけこちらを流しただけで、大翔の心臓はぎゅっとつかまれたようにはねた。


――ごくり。

自然と大翔の喉が鳴る。


「......あいつ、完全にオーラが違う」

それが、神谷陸だった。


挨拶を終えると、両チームがウォーミングアップに入る。

ラッケトを持ち、軽くシャトルを打ち合う。

大翔にとっては、試合前に少しでも緊張を和らげられる時間になるはずだった。

だが――その目に飛び込んできたのは、相手の圧倒的な実力差だった。


――ズバァン!!


神谷が流れるようにクリアを打つ。

ラッケトを頭上に振りかぶり、シャトルを高く後方へ飛ばすショット。

その軌道は美しく弧を描き、天井に届くかと思うほどの高さから相手コートの後方へと落ちる。


続けざまに、そのまま相手のスマッシュをレシーブして、ドライブへと入っていく。

そして、相手がシャトル上げたのを見て、さっと下に入ると、足を止め悠々と構えた。


――ズバァァァアアアン!!!

神谷のラケットが閃く。


「――スマッシュ!」

鋭い一撃が床に突き刺さる。

一瞬、空気が揺れるような音が響き、周囲の選手すら息をのむ。


バドミントンの中で、最も攻撃的なショットを見せる。

上から鋭角に叩き込む一撃は、目にとめることすら許されない。

その衝撃を大翔にまだ、ラリーの最中でもない、ウォーミングアップで見せつけてくる。


「な、なんだよ......あれ......」

一年生がごくりとつばを飲み込む。


その隣で大翔も震えるほどの圧を感じていた。

(......あ、あんなの、返せるのか!?)


だが、同時に胸の奥に熱が灯る。

そのスマッシュに、3年前に見たあの燃えるような感情を感じた。

(俺も、あんなふうにスマッシュ打ちたい!)


そして、いよいよ試合が始まる。

ネットを挟んで、相手プレイヤーと握手を行い、一礼をする。

「ファーストゲーム。ラブオールプレイ!」

その声が響き第一ダブルスが始まる。


新庄北の第一ダブルスは一年生コンビ。

外から見ても、緊張でがちがちなのが伝わってくる。

向こうのコートには去年の新人戦で優勝をしているダブルスの三年生が立つ。


相手の素早い動きと、強烈なショットに対応できずに、あっという間に点数が開いていく。

わずか十数分でファーストシングルスが終わる。

結果は「21ー6」「21ー5」

完敗だった。


続くセカンドダブルスも同じ。

一矢報いようと必死に声を張り上げるが、強豪の壁は厚く、流れを引き寄せることができなかった。

あっという間に点数は離され「21-8」「21-9」で終わる。


ベンチの空気はすでに重い。

「......やっぱり、だめか」

観客のだれもがそう思っていた。


そして、三試合目。ファーストシングルス。

「行ってこい!」

そういわれて、コートの中央に立ったのは――神谷陸。

同年代ながら、県最強と呼ばれる存在。

背丈はすでに大人に近く、フォームも洗練され、一球打つごとに会場がざわつく。


大翔はユニフォームの裾を握りしめると、試合ができる喜びと、相手に対する恐怖感の震えを隠そうとした。

「......行ってこい」

監督に背中をたたかれ、コートの中に一歩を踏み出す。


エンドラインを超え、コートの中に入る。


――その時。


世界が変わった。

体育館の床にひかれたたった一本の線。

しかし、その向こう側は別世界だった。


今まで聞こえていた観客の声が遠のき、天井のライトがやけにまぶしく感じる。

広さも距離感も、さっきまで見ていたはずの景色が一変した。


大翔はごくりと喉を鳴らす。

ラケットを握る手のひらからはじんわりと汗がにじみ、血が体にひいていく。


ネットを挟んだ目の前には、神谷陸。

ただ、立っているだけなのに、彼の周囲だけ空気が違う気がした。

強者が放つ、圧倒的存在感。

まるで、別の生き物が目の前にいるようなオーラを放っている。


大翔はもう一度ラケットを握りなおす。

(......ここで戦うんだ俺は)


大翔の胸の奥で、恐怖と興奮がせめぎあう。

膝は緊張で震えているのに、不思議と一歩も退きたくはなかった。


体育館の光と音が、今はすべて鮮明に響いている。

羽のこすれる音すら、耳を突き刺すように感じる。


「これが......公式戦のコート」

無意識につぶやいていた。


主審がネットにたち、二人に声をかける。

「両者、ネット前へ」


大翔は一つ呼吸を整えると、一歩ずつネット際へと進む。


『神谷陸』

目の前に立つと、より大きく見え、その眼光は冷たく見下ろされている印象を受ける。

差し出された手を、大翔は思わず強く握りしめた。

その瞬間に、骨まで響くような強さを感じる。


「......っ」

握手は一瞬だったが、神谷は目をそらさずに、大翔をまっすぐに見つめている。

言葉はないが、強者としての強さを伝えてきた。


(こいつが.....県最強......)

大翔の喉が鳴る。

だが、胸の奥では小さな炎が確かに燃えていた。


審判が静かに手を挙げコールをする

「ファーストゲーム!ラブオールプレイ!」

試合開始の合図。


神谷のサーブからスタートする。

男子シングルス特有のショートサーブ。

しかし、そのサーブはためらいがなく、ネットのすれすれを超えてくる。

自分の想像を超えたサーブ。

ロングサーブも考えて少し後ろに下がっていた大翔は、慌てて前に飛び込む。

しかし、ラケットが少しかすっただけで、シャトルは床に落ちた。


「ワン・ラブ!」

主審の声が鳴り響く。


観客席からは小さなざわめきが広がる。

明らかに神谷を見ようと二階の観客が増えている。

その中には、保護者だけではなく、高校生の姿も見える。


「なんで、高校生なんか見に来てるの?」


「神谷陸。来年、高校だろ?どんなもんか見に来たのよ!」

「あれ、お前勝てるか?」

「なめんな!こっちは高校生様だぞ!」

そんな会話が観客席から聞こえる。


その後も神谷の多彩なショットが大翔を翻弄していく。

後方のエンドラインへと正確に落ちるクリア。

ネット際に意志を持ったかのように入るドロップ。

そして、触れることも許されない速度のスマッシュ。


どれも、これも完成されていて、中学生離れした速度だった。

そして、そのフォームに大翔は翻弄され、体勢を崩し、シャトルを追うたびに床に転がった。

スコアはみるみる離れていく。


「イレブン・ラブ! インターバル!」


「......やっぱり、別格だな」

体育館にいた観客から声が漏れる。


インターバルが明け、試合が再開する。

それでも――大翔はあきらめなかった。


床に擦りむいた膝が熱を帯び、呼吸が荒くなっても、全力でシャトルを追った。

床に叩きつけられるシャトルに、指先だけでも届かせようと飛び込む。


「......まだだっ!!!」


その声は半ば叫びにも似ていた。

会場に響くユニフォームがこすれる音と、シャトルを必死に拾う音。


しかし、試合は一方的だった。

鋭いスマッシュが容赦なく次々とコートに突き刺さる。

大翔はなすすべなく、コートの中を走らされる。

点差は開く一方。


すでに、ファーストダブルス、セカンドダブルスは落としているため、これで負ければ後がない。


観客席からは、ため息と同時に小さなどよめきが漏れる。

「......まだ追うのか」

「......すげぇな、あの子」

「......もう勝負は決まっているのに」


神谷は冷静にラリーを支配しながらも、その視線の端でその必死さを感じ取っていた。

神谷の胸には点差以上に、わずかな”ざらつき”が残る。


1セット目、最後のシャトルを神谷がコートにたたきつける。


「ファーストゲーム・ワン・バイ!神谷陸さん.....21対5」


審判の声が響くと同時に会場に拍手が沸き上がる。

圧倒的な点差。

誰がどう見ても一方的な試合。


神谷はコートを出ると、ベンチに戻りタオルを手にする。

汗を拭くしぐさ一つにも後輩の視線が集まる。


「神谷さん、やっぱすげえっすね!」

「あんな雑魚に、本気出すまでも――」


面白がったように笑う後輩の声を神谷はちらりと見ただけで遮った。


「......お前らは、あれを見ていないのか?」

そういう声は、冷たく、低い。

後輩たちは思わず口をつぐんだ。


「勝負に楽勝なんてものはないし、絶対なんてものもない」

神谷は水を一口飲むと、コートに再び目を戻す。


そこには、コートの先で荒い呼吸を繰り返しながらも、まだラッケトを離さない春日大翔の姿があった。

額から汗が滴り、ユニフォームは汗とほこりにまみれている。

それでも、まっすぐにネット越しに見る瞳の中には確実に闘志が宿っている。


――まだ、折れていなかった。


「あいつの目。まだ、あきらめていない」

静かな一言を後輩たちに放った。


神谷はタオルを握りしめながら、胸の奥で小さなざわめきを感じていた、

圧倒的な点差をつけて勝っているはずなのに――

なぜか、目の前の敵を完全に抑え込めていないような、不気味な感じを残していた。


インターバルが明ける。

「セカンドゲーム・ラブオール・プレイ!」

主審のコールが鳴り響く。


再び試合が始まった。

しかし、序盤から流れは変わらない。

2セット目になっても1セット目と変わらない、神谷のフットワークと試合運び。

神谷の正確無比なショットが、大翔をコート中走らせる。

点差は一方的に開いていき、観客席からは「またワンサイドだな」という声すら聞こえた。

二階で見ていた大人たちは、1セット目と変わらない試合展開に飽きて、去っていく。

残ったのは、少しの保護者と、来年の偵察に来ていた高校生。


それでも、大翔は歯を食いしばってシャトルに食らいつく。

床に飛び込み、立ち上がり、汗と埃にまみれながらシャトルを追い続ける。


試合終盤。15ー4

神谷の痛烈なドロップが突き刺さる。

しかし、大翔の執念がそのシャトルを神谷のコートに押し返す。


返ってくると思っていなかった神谷が一歩出遅れる。

あげたロブはわずかに浅くなった。


「......今だ!」


大翔は転げた大勢をすぐに戻すと、一直線にシャトルに跳んだ。

無理やり飛びつくようにシャトルを振り下ろす。


――ガシィン。


鋭い音ともにシャトルは相手のコートに返る。

しかし――サイドラインから外れてアウトになる。

それを打った反動で、大翔はコートの外に大きく転がる。


会場に小さな笑い声が漏れる。

「もう、決まってるんだから、そんなに必死にならなくても」


しかし、神谷の目にはそうは映っていなかった。


「......飛んだ?」

「......しかも、バックアタック」


(......一度転んだ体勢から立て直して、あんなに後ろまで飛びつけるか、普通......)


それは、まだ拙く、形になりきっていない。

だが、確かにそこに”片鱗”はあった。


スコアは刻一刻と開き続け、気づけば20ー4。


誰もが次のラリーで終わりだと思っていた。


だが――


次のラリー。

大翔が打ったショットがネットに引っ掛かり、神谷のコートに想定していたよりも浅く入る。

少し体勢を崩された神谷は冷静に返球するが、そのロブはわずかに甘かった。


その時――


大翔は迷わずに富んだ。


「うおぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」


全身の力を振り絞り、振り下ろされたラケットが閃く。

シャトルは一直線にコートに突き刺さった。


「......ッ!」


観客席が一瞬静まり返り――次の瞬間にどよめきが起きる。


「決まった......!」


「中学生で、あんなジャンピング......!」


中学生にしては異例のフォーム。

まるで、その姿は、あの時インターハイの決勝で見た光景。

背中に翼が生えたかのように天高く。

空中でのスイングはまだ少しぎこちなかったが、それでも確かに形になっていた。

シャトルは鋭く相手コートに突き刺さる。


神谷はその一球を拾えなかった。

いや。反応することもできなかった。


目を見開き、思わず大翔を見つめた。


(......中学生で、もうこれを?)

(いや......それよりも、なんだあの異常な高さ)


審判の声が鳴り響く。

「5-20」


たった一点。

だが、大翔にとっては無限の意味を持つ一点だった。


「21-5 ゲーム。神谷陸さん!」


審判の声が体育館に響いた瞬間、会場に大きな拍手が巻き起こった。

誰もがわかっていた結果。

県最強の名を揺るがすはずがないスコア。


けれど、その中でただひとつ、観客の記憶に残ったラリーがあった。

――20対4で、大翔が放ったジャンピングスマッシュ。


たった一点だった。

しかし、その一点は会場の空気さえ変えた。


「あれ、もしかしたら、化けるんじゃねえか?」

「え?たまたまじゃない?」

「たまたまで、あの高さまで飛べるか?」

「面白いのがいたな」

そんな声が観客席のところどころから漏れる。


ネットを挟み両者が向き合う。

大翔は肩で息をしながら、ラケットを握り直し、震える手を伸ばした。


神谷は一瞬目を細め、無言でその手を握り返す。

骨の中まで伝わるような強い握手だった。


離れる直前、神谷の口がわずかに動いた。

「......お前、名前は?」


荒い呼吸の合間に、大和は絞り出すように答える。

「......春日......大翔」


神谷は、それを聞くと、小さくうなずいた。

しかし、それ以上は答えない。

だが、その瞳の奥には、確かに”何か”が刻まれていた。


「――覚えておく」

それだけ言い残し、神谷はベンチに下がっていった。


残された大翔は、その光景をじっと眺める。


全身は痛い。

スコアも惨敗。

最初にして最後の公式戦が終わった。


勝利には、程遠いスコア。

それでも――。


(次は......絶対に負けない)


その思いは、言葉にならない叫びとなって、胸を貫いた。


観客席のざわめきも、仲間の声も届かない。

ただ、目の前から去っていく神谷の背中だけが、大翔の視界に大きく焼き付いていた。


「男子学校対抗戦 第一回戦 新羽中 対 飛北中の試合は3対0で飛北中の勝利です」

ネットを挟み、互いに整列をすると、審判がコールする。

団体戦は、1回も勝つことなく、あっけなく終わった。

試合時間にしてわずか30分程度。


互いに挨拶をする。

「ありがとうございました!」

その声は震えていた。


飛北中の選手たちと握手を交わす。

強豪校のユニフォームは眩しく、手のひらに伝わる力強さが、悔しさを際立たせた。


最後に神谷と握手をした瞬間――。

押し殺していたものがこみ上げてきた。


「......っ!」


視界がにじみ、頬を熱いものが流れる。

はっきりとした負けた実感。

自分の無力さ。

そして、心の奥底から湧き上がる強烈なくやしさ。


「俺......もっともっと強くなる。お前にだって、負けないくらい強くなる」


大翔は涙を流しながら、陸に言う。


神谷はじっと見つめ。

何も言わないまま、去っていく。


それからの日々、体育館での壁打ちはより激しくなった。

足には鉛のような重しをつけ、フットワークを繰り返した。

誰もいない早朝の公園でのシャトル打ち。

シャトルを高く上げて、ジャンプのタイミングを何度も繰り返す。

シャトルは風に流され、上げた位置からずれるが、徐々にそれにも飛びつけるようになっていく。


スポ少でも、年上の社会人相手に何度も挑む。

「おお!大翔やる気が違うな!」

「気合入ってるな!」

「神谷を倒したいんだと!」

「あれをか!すごい目標だな!」

そんな声が周りから聞こえる。


しかし、返り討ちにされ、何度もコートに倒れこむ。

そのたびに、何度も立ち上がり、シャトルを拾い続けた。


掌の皮が破れて、血が滲んでも、ラケットを離すことはなかった。

体育館に響くシャトルの音こそが努力のあかしだった。


季節は巡り、卒業式を迎える。

大翔の体は一回り大きくなり、動きはしなやかさを増していた。

かつて、形にならなかったジャンピングスマッシュも少しだけ鋭さを帯びていた。

そして、彼の胸には一つの願いが燃え続けていた。


――次は、あの舞台で必ず勝つ。

――神谷陸を倒す。


その誓いを胸に刻んだまま、大翔は高校へと進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ