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見捨てられた國のヒミコ 20Ⅹ0 cアイザック

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  ヒミコは大型タンクローリー車のハンドルを握っている。十五トンの液化水素を搭載できる車だ。まだ二十歳になったばかりの彼女は勇ましい格好をしていた。左胸のホルスターに大型拳銃をぶち込み、さらに予備の弾倉が差し込まれたベルトをクロスに重ねていた。油断なく辺りに目を配りながら車を北上させる。目的地は旧青森と呼ばれていた地にあるアメリカ軍基地だ。そこに発電用の液化水素を受け取りに行く。それがヒミコの今回の任務だ。

 ヒミコは国家公務員であり、複数の職責を担っていた。一つは内閣府国民援護局次長、もう一つが科学技術開発庁副長官だ。なかなかの肩書だがヒミコは単純に使命感とボランティアの精神で取り組んでいる。というのも日本は崩壊したと諸外国に受け止められていて、実際に国内では政府の組織のほとんどが失われ機能しなくなっていた。日本列島と呼ばれた国土に残っているのは僅か十数万人。その日本政府が最後に採用した公務員としてヒミコが働くようになったのには特別な事情があったのだが、それよりもまず日本という国がたどった運命を説明しなければならない。


 西暦2000年代になって誰しもが認めざるを得なくなったのが地球温暖化による気候変動だ。世界各地で森林や原野の大規模火災が頻発した。温暖化による高温と乾燥が原因と考えられた。一方で豪雨による水害が世界各地を襲った。

 そして数十年を経て、ついに地球環境が回復不可能となる分岐点を越えたのではないかという学説が発表された。北極圏に近いあらゆる氷河が融解し続けており、それを止める気象条件が存在しない。つまり今後も氷河は溶け続け、変動した気候がもとに戻ることは無いというのだ。この説は賛否をもって受け止められたが、世界中の人々に不安を与えたのは確かだ。

気候変動によると思われる異常気象のなかでも豪雨による水害が多くの人命を失わせた。これも世界のいたる所で起きたことだが、もともと降雨量の多い日本ではその災害は常に身近なものと言えた。

それが深刻になったのはスーパー台風の影響だった。凄まじい雨と風が列島の各地を襲った。森林は崩れ落ち、耕地は原型を失い、住宅は圧し潰され、道路や港湾などのインフラは壊滅的な姿を晒した。その復旧が進まぬうちに次の台風が襲ってくる。もはや台風が季節に限定された現象だという常識は通じなかった。

各地の惨状を目の当たりにして国民に絶望感が広がった。災害の復旧は困難だと誰しもが考えた。その理由は気候環境が回復しないという学説の影響もあったが、何よりも国の財政事情にあった。この頃の政府の国債発行残高は四千兆円を超えていた。つまり国はあまりにも莫大な負債を抱えていたのだ。

まず企業、そして富裕層が資産のほとんどを海外に移した。それは自身の財産を守ろうとする行為だったが、やがて災害の少ない国や地域を目指して日本を脱出する人々が急激に増加していった。

 政府は慌てて復興特別財政制度を打ち出したが、結局は二百兆円の復興国債を新たに発行して財源に充てるというものだった。しかしこれは国民の多くが予想したとおり、その予算の執行は不可能だった。円が暴落し、復興のための資材をどこからも輸入できないばかりか、国内の労働力さえ確保できずにいた。かつて国債は日銀が引き受けるのでわが国では経済危機が起こらないと主張した学者や評論家はすでに外国に移住していた。

 雨の季節はとうに去り秋が深まるころ、追い詰められた政治家たちはある決断を下そうとした。当時日本の外貨準備高は三百兆円を超えていたのだが、これを復興の直接的な財源に充てればすむというのだ。しかし本来は邦貨である円の流通を保証しひいては国の債務の償還の信用性を保つための資産を目的外に使用することは前例が無かった。日本はたちまち信用を失いデフォルトに陥ることにならないか。議論の末に国連が関与する金融システムに融資を申し込むことを決めた。日本が出資した世界銀行に日本が縋りつくしかなかった。

 その担当部署と人員を決めるさなかに巨大地震が首相官邸を襲った。数十年以内に起こる可能性が五十パーセント以上と予想されていた首都直下型地震だ。そしてその破壊力は想像をはるかに超えるものだった。震源地のマグニチュードは9・9。2011年に起きた東日本大震災の数十倍のエネルギーを放出し、首都圏は壊滅した。房総半島と三浦半島の一部は海中に没し、東京の海岸線も姿を変えた。高層ビルの多くが倒壊し、残されたビルが砂泥に杭のように立ち、押し寄せる波に洗われるさまは、それまでの首都の景色とは異次元のものだった。

さらにもう一つ残酷な偶然が重なった。首都地震のわずか一時間後、和歌山沖を震源とする巨大地震が起こった。いわゆる南海トラフ地震だ。二つの激甚な地震の連続による破滅と破壊は広大な地域におよび、北海道、東北、九州を除いたほぼ全部の土地がその影響から逃れられなかった。そして国土がどう変貌しどれだけの人命が犠牲になったのか、その被害の全体像は数日間にわたって国民は勿論のこと海外にも知られなかった。政府も民間の組織も一瞬にしてほとんどの機能を失ったからだ。首都への一極集中を考えれば当然の結果と言えた。

 日本を襲った天変地異の実情を最初に知ったのは国連の緊急援助物資の輸送に関わる調整事務所と在日アメリカ軍基地司令部だった。国連の調整事務所が日本側と連絡が取れなかったためアメリカ軍基地に情報を求め、アメリカ軍は衛星写真のデータを提供してこれに応じた。日本国民が過酷な運命に曝されていることを世界は知ったのだ。

 世界各国から災害救助隊が派遣された。だが彼らに出来ることはほとんどなかった。陸地は津波と地盤沈下により水中に没していた。地下鉄や地下街は水で充たされ、余震の度に夥しい遺体を水と共に吐き出し、また吸い込んだ。水没をまぬかれた地域は地震後の火災で焼き払われ、どこにもインフラは存在していない。生き延びた人々は食料、医薬品を求めて彷徨った。

「地獄のような光景だ。」と救助隊は自国に報告し、ある国のジャーナリストは「ここに希望があるとは思えない。」と伝えた。

 ヒミコの両親はこの地震で命を落とした。二人とも政治家だった。父親は官房長官として官邸に詰めていた。母親は都議で、羽田空港を所用で訪れたさなかに震災に襲われた。

当時七歳だったヒミコは福島県いわき市の科学技術基地に歳の離れた兄を訪ね、宇宙ロケットを見学していて惨事に巻き込まれずに済んだ。科学技術基地は天才科学者として有名なヒミコの兄の提唱で設立され、衛星の軌道投入ビジネスで外貨を稼ぐことを主な目的としていた。ロケット発射塔二基を備えた基地は頑丈な造りで、激しい揺れにびくともしなかった。

 ヒミコが顔を見知っている政治家、敷島太郎も生き延びた。すべてのインフラが壊滅した中を三日間かけて科学技術基地にたどり着いた彼は、すぐにヒミコの兄と面会し衛星を使った通信の再開を求めた。兄はすでに通信環境を再生するために数十個の衛星軌道を調整する作業に取り組んでいた。

この時ヒミコに気付いた敷島は憔悴した顔に微笑を浮かべ「無事だったね、良かった。」と声を掛けた。それから「今お父さんと連絡を取るからね。」と付け加えた。

 不安を感じてヒミコは兄に尋ねた。

「パパは? ママは?」

兄はいくつも並んだモニター画面から目を離し優しく微笑んだ。

「今はまだわからない。でもきっと無事だと思うよ。」

その言葉とうらはらに瞳に痛々しい悲哀が映っている。彼は独自に両親の日頃の位置情報のデータを衛星で知ることが出来るようにしていた。ちょっとしたイタズラ心から発したものだが不幸にもそれが情報を伝えた。父のデバイスは瓦礫に埋もれた首相官邸で電波が途絶え、母のものは東京湾の羽田沖で発信を断った。それらが何を意味するか推察はできた。両親の顔が思い浮かび、胸が張り裂ける衝撃と悲しみに打ちひしがれながら、この絶望を幼すぎる妹もいずれ知るだろうと苦悩した。

 通常の十万分の一という回線レベルで何とか通信が復旧すると敷島はヒミコの父をはじめ政治家、政府の関係者、省庁の職員など手当たり次第に連絡を試みた。敷島はヒミコの父の片腕といわれた人物で優れた調整力で事務方や他の政党にも幅広い人脈を持っていた。

結局超党派による数十人の国会議員で臨時内閣を発足させ、敷島が代理の総理となった。首相の消息が不明だったからだ。いわき市の庁舎内に仮の事務局を置き内閣府とした。差し当たって実働可能な国家公務員が百人足らず、防衛省からは関東と東北、そして中部からようやく五千人ほどの人員が確保できそうだった。

しかしどこから手を付けていいのかわからない状況だ。そこで人命救助と避難者の保護を最優先し、同時に被害の実態を集約する方針を立てたがそのどれもが容易ではなかった。

やがて倒壊を免れた自治体の施設や医療設備の位置が衛星による画像データで示され、救助活動の拠点となるところが決められた。各国からの援助物資を数十の防衛隊基地で受け入れ、救助拠点へ次々とヘリで空輸した。スピードが第一という意識だった。

 並みの災害への対応ならそれで効果が見られたかもしれない。しかし有史以降の人類が初めて経験したと思える巨大地震の被災地域はあまりに広大だった。この実情を敷島たちはなお正確には知り得ていない。

救助活動の努力はあまりに空しかった。それは砂漠にコップの水を撒くようなものだった。救助拠点と定めた各地の施設の多くは、形を留めていたものの水も電気も失われていた。さらに周囲の道路が寸断されて孤立しているところが多かった。とても拠点となり得ない場所だ。病院や診療所の内部はもっと悲惨な状況だった。傷を負ったまま治療もなく息絶えた者が床に幾人も横たわり、布やビニールが被せられている。まるで野戦病院のような風景に、救援物資をヘリで運んだ兵士たちの心は重く沈んだ。

時間が経つにつれ、各地の被害の実相を理解した臨時内閣は被災現場での救援活動は事実上困難と判断した。医療のためのインフラが保たれていて安全な環境へ被災地の住民を移送する必要があった。それは北海道なのか、東北なのか。いずれにしても限界があるのは明らかだ。敷島は日本人を災害難民として各国が一時的に受け入れるよう国連に要請した。

傷病者に限らず、国外避難を希望する人々が港湾に集められた。そこから船で受け入れが認められた国へ運ぼうというのだ。防衛省の輸送船、民間の貨客船、巡視船などあらゆる輸送手段が動員された。   船は瓦礫と夥しい流木が漂う海を、避難民をいっぱい乗せて陸地を離れていく。この惨たる景色を目にした船上の者たちの心には、限りない虚無感とそして密かな安堵があった。結局、数年後には彼らの全てがそのまま海外に移住し、日本に帰ることは無かった。

臨時政府は多忙を極めた。僅か数百人で事に当たるしかなかった。大きく三つのセクションを設けた。まず一つは北海道と東北にかろうじて残った医療資源を活用するために防衛省が五千人の隊員を投入し、各地の要救助者を移送する。合わせて諸外国からの救援物資を配分する。その全体状況を把握し調整する医療救助支援局。

更に重要なのが被災者の安否確認だ。同時に行方不明者の捜索と遺体の身元を調査する。被災地で動ける地元の自治体職員を募り、活動を支援する救助調査局を置いた。それから災害難民として海を渡る人々を受け入れる各国政府との連絡調整にあたる国外調整局。この三つに振り分けた業務に全員で取り組んだ。

最も困難を極めたのが各地の行方不明者の捜索だった。圧倒的に人員が不足していた。震災を生き延び、そのうえで自身の問題を一先ず置いて取り組んでくれる行政経験者はごく僅かだった。救助調査局は余震による二次被害の防止を理由に行方不明者の捜索を断念する方針を決めた。もし生存が予想される状況が認められる場合には自衛隊の捜索班を派遣する、と活動規模を縮小した。というのも各地からそれ以外の切実な問題が提起されていたからだ。それは遺体の処理についてだった。

ある町長が訴えた。「この地域ではご遺体が四千人を超えています。町の焼却施設ですと百数十日かかります。人出も足りませんし、何より燃料が続きません。それに全員の身元が判明しているわけではありません。どうすればよいのか…。」

またある港湾都市からは「港が大変な数の遺体で埋まっています。助けてください。」と悲鳴が伝えられた。

敷島は決めた。いや、決めるしかなかった。遺体の身元調査を当面は行わない。しかし可能な限りDNA型の鑑定に必要な組織の一部を採取する。遺体の処理は焼却、埋葬などに捉われず現地の実情に応じたあらゆる方法が認められる。またこれに携わった者は、そのことによって後日いかなる責任も負わない、などの方針を示した。

DNA型については外国人を含めて国民の全てが登録することが義務化されていた。だからそのサンプルを取っておけばやがては行方不明者の身元の特定につながるだろうとの考えだったのだが、サンプルの採取が困難で非現実的なものだと知ることになる。結局は生存者の求めに応じてそのつど国のデータベースの情報と照合して身元を確認するしかなかった。国外に避難した人々がパスポートを必要としたからだ。つまり誰が亡くなったかではなく生きている者は誰かを調べるのだ。この作業は日を追って膨大な量に膨れ上がった。

敷島たち臨時政府は国民と日本の国土が想像を絶する破壊に見舞われたことを心底で理解した。死者はおよそ全国民の半数に迫る約三千万人と見込まれた。人類の歴史でこれほどの自然災害は無かったはずだ。それが日本という島国で起きてしまったのだ。そして今、この間にも国外避難が際限なく続いている。まさに国家が滅亡に瀕していた。

こうした中で国連と世界各国から臨時政府に対していくつかの懸念が示された。まず原子力発電所の処理について。日本ではすでに原発が稼働しておらず廃炉の作業が行われていたが、このプロセスを中断し、急ぎコンクリートで固めて外部と遮断する必要があると指摘した。  

次いで防衛省が保有する軍用の兵器の全ての管理がどのようになされるか説明が求められた。

もう一つが財政破綻の回避の取り組みだ。世界銀行が日本政府に緊急の融資を行う前提として負債と保有資本の総額を完全に透明化するよう促された。国連側もまた日本を襲った巨大地震の想像を絶する被害を正確には理解していなかったのだ。

破滅的な状況にはそぐわない要求に敷島はこう答えた。原発は炉、燃料棒全てをコンクリートで覆う。試運転にすぎない核融合炉については無期限で停止する。軍用設備、兵器については完全に国防省の管理下にある。日本政府が抱える債務についてはほどなく償還される見通しで、その時が来れば規模と期間を明示する。デフォルトは無い。とにかく今出来ることをやる、敷島は悲壮な決意を固めていた。


さて、この後日本が辿った滅びゆく道筋については追々に知ることになるが、今は二十歳のヒミコに話を戻そう。大型の拳銃を身に付けているが、彼女は一度も銃を撃ったことが無い。つまり拳銃はハッタリだ。自分を勇気づける意味もあった。それにヒミコには護衛が付いていた。彼女が運転するタンクローリー車の後ろに装甲車が続いている。タイヤがバカでかいトラックだ。操縦するのは「アースボーイ」。荷台の辺りに「隊長」が伏せている。名付けたのはヒミコ。どちらも彼女の兄、タケルが製造したAIロボットだ。ヒミコは二体に愛着を感じていて時々人間に対するように話しかけたりする。するとロボットも日本語で応えるのだ。ヒミコはアースボーイと隊長の性能を深く信頼していた。それは兄タケルに抱く気持ちと重なっていた。

一行は北に向かっている。もとは三沢と呼ばれていた地域のアメリカ軍基地が目的地だ。そこから液体水素を受け取る。フィリピン沖に早々と台風が発生した影響で日本政府の輸送船が足止めされてしまったからだ。

運転台から見渡す限り、荒れ果てた景色が続く。相次いだ豪雨と地震によっていたる所で山や崖が崩れている。季節は五月、本来なら美しい新緑の時期だが、剝き出しの斜面と倒木だらけの森を掠めて、かろうじて道が延びているのだ。

やがて岩手に入った。慎重にハンドルを握っていたヒミコだが、前方が倒木で塞がれているのに気づいて車を止めた。インカムの小さなマイクで訴えた。

「アースボーイ、通れないわ。」

「了解。」

子供のような声が応えた。

…ボーイの声はいつ聞いても可愛いわ。これはお兄ちゃんの仕業?とヒミコは考える。

装甲車からドローンが飛び立った。道路の様子を調べるのだろう。すぐにアースボーイから連絡が入る。

「二十メートルに亘って倒木と一部斜面の崩落がある。通行の恢復に約一時間必要だ。」

「分った。お願い。」

 装甲車がヒミコのタンクローリーの前に出た。荷台から長いアームが延び、巨大なハサミで倒木を持ち上げ、路上から撤去していく。ハサミは岩や土砂などの障害物を押しのけることも出来た。

「一時間はかからなそうね…。」

 一安心したヒミコは車を降りて背筋を伸ばす。大きく深呼吸した。ふと見ると林の上空に一筋の細い煙が上っている。ヒミコは小さく叫んだ。人がいるに違いなかった。

「残留民かも…。」


 巨大地震から十数年。復旧、復興を諦めてほとんどの人が国外に脱出した。当初、臨時政府は数地域に限って予算を投入し、まずインフラを復旧する方針を発表したが実現しなかった。東京の主要区だけでも二千兆円が必要と試算されたのだ。その資金は無かった。結局、福島県に避難者用仮設住宅として五千棟のプレハブ住宅を建て、病院を建設した。発電所を作り、小規模ながら空港と港湾施設を整えた。これを復興の拠点と位置づけ、やがて全国に展開する計画であるとした。

 しかし国民はこの施策に失望し、次々と国を離れたのだ。二年を経て、国内に残るのは二百万人程度という状況に至った。そしてその二百万人すらほとんど何の援護措置も受けられない有り様だった。やがて「残留民」と呼ばれた彼らはその後も数を減らし続け、今では約十五万人が国内の各地に散在していると推定されていた。そのほとんどが高齢者で、住居近くの農地で作物を育て、湾岸で漁をし、川の水を汲み、電気の無い生活を送っていると思われた。

 政府は残留民への呼びかけを続けている。福島県内のコロニーで数万人を受け入れる用意が整っていること。病院施設があること。海外への移住を手伝うことなどを機会あるごとに伝えているが、政府の施設を訪ねる残留民は少数だ。かといって彼らの人数や生活する地域、実情を調査するのが困難だった。空軍が所有する航空機を使って空から住民の生活の痕跡を探し当ててもそこに至る道路が消滅しているケースがほとんどだ。政府の呼びかけを報せるのに空からビラを撒いたらどうかと真面目に議論され、それは一部で実施されたが効果はほとんどなかった。住民自身が通信手段と移動の手段を失っていたからだ。

 日本人の海外移住が一段落した頃、政府の対外債務の償還問題が再燃した。国連中央緊急対応基金が日本への一億ドルの拠出を前年どおり決めたのだが、このとき奇妙なコラムが世界的に有名な経済誌の片隅に載せられた。内容は日本の債務と納税制度について述べたもので、「日本国民は消費税などの課税を頑なに拒み、巨額の国債発行による財政運営を国に強いた。今は国外に移住して自国の経済破綻を素知らぬ顔で眺めている。国とは何か、国民とは何か。興味深い問いだ。」というものだった。

 ある小国の反応が皮切りとなった。この国は日本人の移民約五十万人を受け入れたが、保有する日本国債の償還に日本政府が応じないことに関して、巨大地震災害をその理由としていることに理解を示しながらも無期限の延期を容認する代わりに日本人移民に対して自国民とは異なる課税制度を導入する事を検討している、と表明した。つまり日本人移民から日本国債の償還に相当する税金を徴収しようというのだ。この動きに数か国が同調する可能性があると報じられた。どの国も日本の国債を保有していたのだ。

 日本の国債残高約四千兆円の二十パーセントが国外、つまり外国政府が保有していた。日本は外貨建ての国債は発行していなかったのだが、海外の金融機関がいくつかの国債を組み合わせた商品をドル建てで流通させ、その中に日本国債が混じるというややこしい事態になっていた。地震災害を契機に国債償還の期限を繰り延べる以前からドル建てなのか円による償還なのかが問題になってはいた。日本政府は円建てを主張し、海外の所有者は為替差損を一方的に押し付ける物だと批判していた。

 日本人移住者に対して特別税を徴収しようという数か国の動きは敷島ら政府に衝撃をもって受け止められた。その理由が日本国債の償還問題にあると主張している以上、何らかの対応を示す必要に迫られるものだった。

 敷島らは決断した。日本の復旧復興のよすがとしていた準備外貨三百兆円を外国政府保有の日本国債八百兆円の償還に充てる。その際あくまでも円建て決済を基本とするも暴落している円の為替状況を考慮して可能な限り保有側の損害を減らす努力をする。これに応じられない場合はあらためて二国間で協議する。敷島らはこの方針で臨み、結局八百兆円の国債を三百兆円で買い戻すことに成功した。政府の外貨準備高三百兆円のほとんどをアメリカ国債で保有していたからだ。

 日本政府がドルと円の為替レートをあからさまに利用したことを知りながら各国は敢えて異議を唱えなかった。円の暴落は日本の責任では無かったし、何より凄まじい災害に見舞われた事実の前にそれ以上の要求は憚られたのだ。

 決着の報を受けた敷島は椅子に座り込んだ。虎の子の外貨をすべて失ってしまったのだ。だがそうしなければ三千万人の日本人移民が肩身の狭い思いをして暮らすことにもなりかねない。移民はいつでも攻撃の対象に成り得る。歴史が教えている。敷島は移住を受け入れた国に対して日本政府が出来る限りの事をしたと示したかったのだ。

 だが無一文になってしまった。国連の緊急対応基金だけが頼みだ。その僅か三百億円で茨城の新都市を経営し、全国に取り残されている国民を援護し、移住の希望があればこれに応える。その他たくさんの政府の役割を果たさなければならない。病院の機能を維持するだけで年間百億は必要だろう。

 頭を抱えたが敷島にはある計画があった。それは簡単に口に出せないものだったが、以前の内閣で外務政務次官だった男が言った。

「まだ金は作れる。日本には売るものがある。防衛装備品を外国に売るんだ。陸、海、空軍の装備、今の国土には不釣り合いだ。良かったら私が海外と交渉しよう。」

 まさに敷島が考えていたことだった。しかし自身でも抵抗があった。国防が疎かになるのが避けられないからだ。迂闊な決断はまさに国を亡ぼす。とはいえ航空機や艦船の充分なメンテナンスも出来ない現実を前に、敷島は悩んだ。

 事態を一気に進めたのは又しても災害だった。スーパー台風が福島を襲ったのだ。臨時政府が福島を拠点に定めたのは豊富な水資源にあった。十万人の避難者が暮らすために水は欠かせない。大きな湖がある福島を適地とした理由だった。しかし広大な湖と流域は同時に水害と隣り合わせでもあった。人々が怖れたとおり、台風がもたらした豪雨は瞬く間に堤防を破壊して見渡す限りを濁流で覆った。多くの住宅が流されてしまった。

 またしてもインフラを再建しなければならない。敷島は防衛装備つまり兵器を売却することを決意した。

 これを伝えられた防衛省の幹部らは装備品を売却するならばその金銭は今も国内に留まる一万人の隊員の海外移住のために優先して役立てられるべきだと主張した。

 この意見は日本人の海外移住を制限しようとする動きが表れ始めたことを受けたものだった。当初、つまり大地震より以前の移住希望者は多額の金融資産の保有者だった。専門的な技術や能力を持つ者がこれに続いた。この頃の移住者はどこの国でも歓迎されていた。だが大地震が起きてからは国連が災害難民と規定したように、さほど豊かではない中間層の人々が半分以上を占めた。時間が経つにつれて貧しい境遇の者の割合がさらに大きくなった。ようやく被災地から脱出できた人達で、着の身着のままの境遇だった。

 こうした災害難民を受け入れるコストが膨らむ懸念から、受け入れの人数を国情に照らして制限も止むを得ないとの世論がいくつかの国で勢いを増した。海外の空気が変化しているのを見れば、防衛省幹部の意見はもっともに思えた。一般社会の経験が少ない隊員が不安なく移住できるように手当てしなければならない。敷島はそればかりではなく、移住を済ませた人々のうち必要な者に対して現金の給付を考えていた。軍用兵器の売却はそれらを可能に出来る。イージス艦などがアメリカ軍の管理下に置くことになるのは止むを得ないとしても、とりあえず百兆円くらいにはなる。敷島はこの計画を推し進めた。

 結果的に希望の金額には届かなかった。日本が兵器の独自開発を進めたことにその一因があった。高性能の兵器を自国製にすることが出来た一方で、諸外国の装備品と規格がまったく同じとは限らなかった。例えばボルト一本にしてもミリとインチの違いがあった。部品の製造が困難な事を理由に買い叩かれた例も生じたのだ。

それでも数年を経て敷島が意図した国外移住者への現金給付を行うことが出来た。胸を撫で下ろすと同時に、もうこれ以上臨時政府が出来ることは無いと思わざるを得なかった。日本の国土の復旧は部分的な地域を除いて不可能に近いと考えられたからだ。日本に住み続ける人口が激減したからに他ならない。

福島を襲ったスーパー台風は他ならぬ政府職員の心理にも大きな影響を与えた。もはや日本に安全な場所は無い。彼らは自らが立ち上げた国外調整局のチャンネルを利用して次々と国を去った。人が周りからいなくなる。敷島が呆然とした数日を過ごしたのは事実だった。


そんな彼に新たな生き甲斐を与える問題が提起された。天皇の処遇をどうすべきかという相談が持ち掛けられたのだ。震災で皇居は壊滅したが天皇とその一家は幸運にも栃木の山荘で難を避け、そこで生活していた。

震災から数年。生き延びた宮内庁の職員がほとんどいなかったこともあり、敷島はそれまで天皇の存在を失念していたのが正直なところだ。そんな余裕は無かった。だが問題を提起されてその重要性に気付かざるを得なかった。世界に散らばった日本人にとって天皇がどのように重要な意味を持つか容易に想像できた。

では天皇に国内にとどまってもらうのか。それが象徴的な意味を強調する効果が認められる一方で、いつ何処で自然災害が発生するか分からない。世界中の風水害の三分の一が日本で起きているという統計が示されていた。天皇が居住するにふさわしい安全な土地はあるのか。敷島は懊悩した。

暫くして臨時政府は南太平洋の国から一つの島を百年の期限を設けて借り受けた。かつての世田谷区ほどの面積があった。敷島はここを天皇の居所と決めた。海面上昇を除けば水害の危険が少ないことに着目した。かなり乱暴ではあったが、臨時政府は人数が少ない所帯。話は簡単だった。

天皇自身の許諾を得ると、敷島は「遷都に天皇をお迎えし新世紀を開く」として世界中の日系企業、日本人コミュニティに寄付を呼び掛けた。これに応じて最初の一週間で三十億ドルが寄せられ、その額は日を追ってさらに増え続けた。

予想を遥かに超える寄付を受けて敷島は消滅していた宮内庁を復活しその長官に就いた。天皇の御所を建造し、宮内庁、さらにちゃっかり日本新政府の庁舎、総理大臣官邸などの建築計画を公表した。同時に港湾、飛行場を整備し、日本人の移住を毎年一万人ずつ受け入れると表明した。この敷島の計画は大きな問題も起こらず着々と進められた。


ヒミコは兄タケルと共に科学技術基地で暮らしていた。十七歳の時に腹痛と高熱で同じいわき市内の国立病院を受診した。大腸の一部に炎症が見つかり抗生剤の点滴を受け、二日間入院して症状が消えた。看護師から「治癒した」と説明をうけたが診察した医師の姿が見えない。

「先生はいないの?」

ヒミコの問いに看護師が答えた。

「今、お忙しくて…。もう帰っていいわよ。」

 ヒミコはある違和感を覚えた。院内を移動する際にほとんど人と会わないのだ。医師や看護師を見かけない。病院は政府が管理する施設の筈だった。なぜこんなに閑散としているのか、それがヒミコには疑問だった。

 病院の玄関口でようやく年配の看護師と出会った。老齢の患者の車椅子を押していた。

「なんだか、随分と人が少ないわね。」

ヒミコが声を掛けると彼女は歩みを止め、背筋を伸ばして息を吐いた。

「そう思うでしょ。最近さらに減っちゃって。患者も病院スタッフも。」

それからまじまじとヒミコを見た。

「あんたどこから来たの?」

「科学技術基地。」

「そう…。」看護師は要領を得ない顔で頷いた。「あんたみたいな若い娘さん、久しぶりに見たわ。」

「あの…、なぜこんなに人が少ないの?」

「移住よ。どんどん外国に行っちゃうのよ。」

国民が次々と海外へ移住して人口が激減しているという情報はかなり以前から科学技術基地にも届いていた。しかしヒミコの想像以上に事態は進んでいたのだ。

「仕方ないわよね。何しろ総理大臣が南太平洋の島に移住しちゃったくらいだから。」

「えっ、そうなの?」ヒミコは初耳だった。

「それでも私はお給料がしっかり頂けるのが救いだわ。」

「おばさんは移住しないの?」

「するわよ。フィリピンにいる娘夫婦が一緒に暮らせる家を探してくれてるの。それまでは少しでも稼がないとね。」

 ヒミコは浮かない気分で病院を後にした。駐車場には一台も車がいない。その隣のヘリポートへ向かう。乗用の小型ドローンが置かれていた。ヒミコが自動操縦で乗って来た物だ。

 傍に誰かがうずくまっているのに気付いてヒミコはギョッとした。よく見ると母子のようだが、その姿は衝撃的だった。二人ともボロボロの服を身に纏っているのだ。潰れた帽子を被り首に汚れたタオルを巻き付けている。母親は四十代、息子は十代後半か。

「誰?…。」ヒミコが怖々声を掛けた。

ヒミコの様子が母親を不快にさせたらしい。彼女はヨロヨロとだが立ち上がり、肩を聳やかした。声に力を込めて言った。

「この辺りに政府の役所があるらしいが、知ってるかね。」

「場所を知ってるわ。」

「外国に行く手続きをしてくれる役所だよ…。」

「そうよ。」

ヒミコの言葉に二人が土気色の顔を見合わせた。安心したのか母親が僅かな笑みを浮かべた。

「おばさんたちどこから来たの?」

「…北海道だよ。」

母親はヒミコが驚くのを満足そうに見守った。

「どうやって来たの。まさか歩いて?」

「そうだよ。エリモまで歩いてそこから苫小牧、函館と来て青森まで逃げて、また海伝いに歩いてここまで来たよ。」

「食べ物はどうしたの?」

彼女は息子が胸に抱えた鼠色のリュックを差した。

「サツマイモとワカメ昆布でこの一か月生き延びたよ。サツマイモはうちの畑の物で、ワカメは舟に乗せてくれた函館の漁師が呉れた。」

 ヒミコは目を丸くした。サツマイモを食糧にし、水洗いしたワカメを食べて福島まで歩いてきたという話は驚く他なかった。あらためて二人の様子を窺うと、栄養不足のせいか顔は瘦せ細り、唇は白くひび割れている。ヒミコは母子がいっそう気の毒になった。

「体調は…大丈夫?」

それからあることに気付いた。

「いま青森まで逃げてきたと言わなかった?」

「そうだよ。家にもついにロシア人が来たんだ。土地が狙いだよ。新しい農機を貸すから国営農場に登録しないかと持ち掛けてきた。その話に乗った人達がいつの間にかいなくなるのさ。それを知っていたからね、一晩考えさせてくれと伝えてその夜のうちに息子と二人逃げ出したのさ。」

「いなくなるって?」

「さあ…、多分シベリアあたりに連れていかれるのじゃないかね。」

「そんなの犯罪だわ。」

ヒミコは怒りで真っ青になった。

「彼らが北海道にいること自体が不法侵入なのに…。」

 

ロシアが共産主義国家に回帰してネオ・ソヴィエト連邦となって二十年が経っていた。ネオ・ソヴィエト連邦の東アジア政府は日本を襲った巨大地震の数年後、国後島などに暮らすロシア人の安全を確保するという理由で北海道の納沙布、知床に調査団を派遣した。地質、地形の調査は長期におよび、現在も続けられている。やがてネオ・ソヴィエト連邦は北海道の東部を実効支配しているとし、在住する連邦人民の権利を擁護する為にあらゆる手段を取るだろうと世界に表明した。日本政府は無視された形だったが、これを非難する国は少なかった。

 世界は大きく変化していた。とくにアメリカ合衆国の分裂は驚愕すべき出来事だった。この国では二大政党による激しい選挙戦が国民に対立と分断をもたらし、ついにはそれが修復不可能になってしまったのだ。勝者がその州におけるすべての機会を独占し、敗者は何一つ得ることが出来なかった。このため敗者は自身が支持する政党が勝利した州へ移住するしかなかった。そこからは逆の立場の人々が締め出された。こうして共和党支持者だけが暮らす州、民主党を支持する者だけが住む州が生まれ、やがて同じ価値観を持つ州だけで連邦政府を形成した。アメリカが赤い州と青い州に色分けされ、まるでパッチワークのような形で分裂したのだ。ある連邦はUSAをそのまま使用し、一方はUTSAを新たな呼称とした。Tは「真実の」を意味すると表明された。

 中国もまた変化した。東南アジアの一国とアフリカの二か国を加えて中華連邦と国名を改め国勢を増していた。日本に対しては荒廃した土地に暮らす九州人を保護するために九州人自治区を設けて積極的に関与すると通告した。太平洋に面した軍港が欲しかった中華連邦がアメリカの分裂による混乱に付け込んだと言えるだろう。

 こうした世界の変化をヒミコが正確に理解しているわけでは無かったが、日本を取り巻く情報は不完全ながらも知ることが出来た。だがいま目の前の疲れ切った母子が口にした北海道東部の状況は受け入れがたいものだった。ヒミコは唇を噛んだ。短い沈黙の後、母親に問いかけた。

「あの…、お父さんは一緒に来なかったの?」

「旦那はね、一昨年の水害で亡くなってしまって。農地も二年に一度は水浸しになって玉ネギやイモが腐ってしまうのさ。だから未練なんか無かったね。さあ、役所に案内しておくれ。」


 その夜、ヒミコは敷島に電話した。

「やあ、久しぶりだね。」

相手が出ると開口一番に尋ねた。

「おじさん、南太平洋の島に移住しちゃったの?」

「いや、そうじゃない。天皇陛下の御所や政府の建物を造っているところさ。だから私はそっちとこちらを行き来しなくちゃならない訳さ。」

「ふーん。」

ヒミコの「ふーん」は幼さを感じさせると同時に辛辣な響きを持っているようにも受け取れた。

「どうしたのかね?」

「おじさん、私を働かせて。日本の残留民の助けになりたいの。」

敷島はしばし無言だった。

「聞こえてる?」

「ヒミコちゃんはいくつになった?」

「もう十七歳よ。」

「そうか…、十八歳にならなきゃ採用できないね。それにもっと勉強しなきゃ。英語をマスターするとか。」

「外国語? それなら翻訳端末があるわ。何か国語でもOKよ。」

「なるほど、でもあと一年は勉強しなきゃね。」

「試験があるの?」

ヒミコの声が頼りない。

「いやいや、試験は無いさ。日本の公務員になろうという人がほとんどいないからね。とにかくあと一年、何か勉強して。タケル君に相談したらどうかな。それで気持ちが変わらなかったら話を聞くよ。」

「分った。約束だよ。」

ヒミコは決心した。このボロボロの国の公務員になってやるわ!

 さっそく兄のタケルに相談した。

「勉強は大事だよ。ではとりあえず量子力学でもやれば。分らないところがあれば僕が教えてあげるから。」

「うん。そうする。」と答えたヒミコだったが、二日後に訴えた。

「あの勉強は私には向いてないみたい。他には無いの?」

タケルは少しだけ考えて「取っ付きやすいのは材料力学かな。」と勧めた。

「他のにして。」

ヒミコの即答にタケルが首を傾げた。

「ヒミコは何がしたいの?」

「私は残留民を助けたい。力になってあげたいわ。」

「僕の良く知らない分野だ。社会科学だね。」

「大型ドローンや装甲車を操縦して皆を助けるのよ。」

「ヒミコ、それはAIがやってくれる。君は社会と政治、そして自然科学を学ぶ必要があるようだ。良かったら準備するよ。」

「有難うお兄ちゃん。でも私には時間が一年しかないの。そこはちょっと考えてね。」

 ヒミコにとって瞬く間に一年が過ぎた。ヒミコは勉強のため科学技術基地に蓄えられたデータ群に触れるうちに基地の大まかな内実についても知ることが出来た。衛星の打ち上げが基地の主な目的だった筈だが、それは年間を通して一個あるくらいだと分かった。基地を維持するほどの収入になっているのかとヒミコは危ぶんだ。そのせいかヒミコが幼いころは沢山いた職員の数が激減していた。それでも不思議なことに基地には発電用の液化水素や金属類、ステンレス、アルミニウム、銅、金、レアメタルなどの搬入が続いている。

 地下五階建ての基地の建物は地下三階から先が限られた者しか出入りが出来ず、そこでタケルが何を研究し開発しているかは秘密とされていた。ヒミコは兄に問い質した。

「何かを造っているんでしょ?」

タケルはあっさり答えた。

「敷島さんから軍事用の装備品を開発してほしいと相談を受けた。政府の収入を少しでも増やしたいとね。だから気が進まないけれど兵器を開発している。」

「つまり新型のミサイルを造っているのね。」

「ミサイルじゃない。でも完成すれば核以外では最強の兵器ということになるだろう。」

 ヒミコは無言で兄を見つめた。兵器の生産などに関わって欲しくなかったが、責めるつもりにはなれなかった。兄がいつかその天才的な頭脳で日本の再生を果たしてくれるだろうという期待を持ち続けていたのだ。

そんな妹の気持ちを察したのかタケルが言った。

「その代わり僕の研究を続ける許可をもらった。量子コンピュータによるウルトラ・コンピュータの開発だ。日本がどのように進むべきか答えを出させる。それからAIロボットを開発している。基地の様々なシステムを運用する複雑な機能を持ったロボットを製作しているんだ。いまでは精密機器の設計から製造までの大半を自動で行っているように、そのうちヒミコと二人でこの基地の全てを制御できるようになるかもしれない。たとえ他に人がいなくなってもね。」

「ウルトラ・コンピュータの成功を祈っているわ。お兄ちゃんならきっとできるはずよ。」

 

ヒミコは十八歳になった。敷島はまだ南太平洋の島にいた。

「おじさん、約束の一年が経ったわ。」

「決心は変わらないかね。」

「ちっとも。さあ、私を公務員にして。」

敷島は大きく咳払いした。

「ヒミコ君。日本のために働きたいという気持ちには感謝しているよ。そして早速にも君の願いに応えたいところだが、これは君が思っている以上に危険なものだ。そう言っても君は考えを変えないだろう。だから約束してほしい。まず北海道と九州には絶対に立ち入らないこと。日本海側の新潟も直接関わってはいけない。つまり君の仕事は今言った地域以外で日本人の残留民であることが明らかな人たちを保護することだ。この約束を守るなら君を国家公務員として採用しよう。どうだね、約束できるかい?」

「約束するわ。でも新潟ってどういうこと?」

「具体的な事はそちらの小名浜港の政府庁舎を訪ねてくれ。そこで数日間の研修がある。充分に注意して、自身の安全を考えて職務に励んでほしい。…それから、もう私をおじさんと呼んではいけないよ。総理大臣だからね。分ったね。」

 ヒミコは小名浜の庁舎に赴いた。気のせいか建物が古びて見える。

入り口の壁に「日本内閣府分室」と書かれた金属板が貼られていた。すぐ脇の狭い駐車場は鉄骨の骨組みだけがあらわで屋根が無かった。マイクロバスが一台、ポツンと止められている。駐車場の近くには装甲車が置かれていた。頂部から短い砲身が突き出ている。その足元にはアスファルトの隙間から雑草が茂っていてその車が動いた形跡がない。不思議な光景だった。

 中に入ると広いワンフロアで、入口側にいくつかソファーが並べられ、長いカウンターの向こう側のスペースで職員が机に向かっている。目にする限り十数人しかいない。小さな村役場の雰囲気だ。

 一人がヒミコを手招きした。中年の婦人だ。傍へ寄ると彼女は立ち上がって親しげに手を差し出した。

「ヒミコさんね。連絡を受けています。私の名はアスカ。」

ヒミコを応接用らしい椅子へ座らせると、パソコンの画面を開いて目の前に置いた。

「これをよく読んでください。職務に関する協約です。また双方の権利義務などがまとめられています。最後にサインを貰いますが、質問があれば何でも聞いてくださいね。」

 ヒミコはページを埋めつくした文字に目を走らせながら思った。

…権利義務? この日本では生きるのも死ぬのも、どんな境遇になるのも全部自己責任よ。それどころか残留する人たちは自分の責任によらない事態をみんな押し付けられたのよ。敷島のおじさん、ちゃんと手を尽くしたのかしら。ヒミコは微かな怒りすら覚えながら画面の文章を読んだ。「サインするわ。」

アスカはヒミコを見つめた。

「聞きたいことは無い? わからないところとか?」

「あるかもしれないけど今は無いわ。」

「では画面上にサインして。このデータはあなたのURLに送るから確認してください。」

「アスカさん、北海道東部と九州の様子は衛星の画像で見たけど、日本海側の新潟はどこかに占有されてるの?」

「新潟には、ネオ・ソヴィエトの体制に反対して迫害された人々が海を渡って逃れ、約一万人の難民キャンプを形成しています。こちらは国連のUNHCRとNGOが人道的援助活動を行っています。

 いずれも政府の職員個人が関与するのが禁じられています。国際紛争に発展しかねないという理由です。」

アスカはそう説明して画面を切り替えた。

「これは残留する日本国民に関するデータです。震災後どこにどれだけの地域住民が避難したか年次を追って記録しています。最後に更新されたのは昨年ですが大震災以後ほとんどの人が外国へ移住しましたので、このデータに示された地域に今も相当数の国民が在住しているかは大いに疑問です。

 ヒミコさんの職責は残留する国民の調査と援護。診療が必要な場合は国立病院へ、そして移住の希望があればここの国外調整局につないでください。」

 ヒミコは心の隅にくすぶり続ける疑問を口にした。

「アスカさん。災害は日本だけの問題では無いはず。それなのに日本人が次々と、信じられないくらい際限もなく海外に移住してしまったのは何故? まるで自分の国を捨てるみたいに…。」

「それは、やはり地震の巨大さが類を見ない規模だったことが一番ね。それと…。」アスカは遠くを見るような眼をした。

「結局は国民自身が自滅の道を選んだと言える気がするわ。」

ヒミコはアスカが何を言っているのか分からなかった。

「あなたのように若い人にはピンと来ないでしょうけど、つまり政治の問題ね。私が政治経済を勉強した学生の時、先生が言われたことがあるの。政治の無能と国民のエゴがいつかこの国を亡ぼすかもしれないと。」

ヒミコは複雑な気分がして小声で不満を表明した。

「私の両親は政治家だったんだけど…。」

「あら、そうだったの…。」アスカが慌てて付け加えた。

「政治家がというよりも政治を取り巻く情勢のことだったと思うの。例えば日本の人口がどんどん減り続け五十年間で半分になってしまったことは知ってると思うけど、政治は有効な政策を立てられなかった。そして各種の行政サービスが縮小していったのに国民の負担は変わらない。人口減少で税収が減ったからだけど、その不満が特に都市部の中間層の間で膨らみ、低所得者の福祉を重視する制度を見直そうとなったの。選挙民は都市部に集中していたから、この主張に賛同する政治家が次々に現れた。このころ参議院が廃止され、国会議員の数が二百人と決められ、選挙区が見直されたわ。議員の定数は有権者数と完全に比例することが決められ、九州の議員定数は二名、四国は一名というように、議員の九十五パーセントが大都市圏から選ばれたわ。その結果、地方ではさらに人口が減って、集落消滅地区、限界地区などの言葉が生まれたのよ。

 そんな地域が台風や豪雨に見舞われ、道路などインフラに大きな被害が出ても復旧されなかった。例えば老人が十人ほど暮らす集落のために数億円を投じて橋を架けるようなことに都市部で選出された議員たちが難色を示したの。費用対効果の理由で地方のいたる所で道路や水道、電気といったインフラが失われた地域が増えていったのよ。集落消滅地区、限界地区は言葉を換えれば人が住めない地域ということ。そんな場所が日本中に広がっていたわ。あの巨大地震が起こるずっと前に…。

 あなたはなぜ国民が国を捨てるのかと聞いたけど、国民を捨てたのは国と政治の側じゃないかしら。国民を捨てた国が国民から捨てられたのよ。」

 アスカは一息に喋った。頬が紅潮していた。

「公務員になって三十年も経つけど、結局は無意味なことをやって来たわ。…さあ、行って。連絡や指示が必要な時はチャットを使用して。私の立場は官房長、あなたは内閣府参事官として国民援護局と科学技術基地の職務に就きます。残留民の調査と救護には危険が伴う側面があるので十分注意して頑張ってください。」


 こうして公務員となったヒミコだが意気込みとは裏腹に国内に残された住民の援護は単純なものではなかった。まず実態の調査に取り組んだのだが、アスカに伝えられた避難民のデータはほとんど役に立たなかった。そこでヒミコは衛星からの画像を参考に無人機を飛ばして住民と生活の痕跡を探した。

首都の惨状を改めて眼にするのは悲しかった。傾いたビルの間を泥が埋め尽くし、草が生い茂っている。車や電車の残骸がなぜかあちこちに寄せ集められたように重なり合い、そこにも緑の植物が枝やツタを生やしていた。人の姿は無い。自然界にあっては人間が植物よりも弱い哀れな存在だと教えているようだった。

山間部の調査は徒労に終わることが多く、一方で沿岸部では漁業者の集落が容易に発見できた。

問題はそこからだった。政府による救助や医療などの援護措置をアナウンスしても住民は呆然と無人機を見上げるばかりだった。政府の施設から近くても百キロメートル、遠ければ千キロメートルも離れた地の住民にとって呼びかけは現実的な意味を持たなかったのだろう。業を煮やしたヒミコがドローンに乗って現地に行くこともあった。

山形地方の小さな漁村では地区の代表者に移転を勧めたのだが、彼が求めたのは医薬品だった。それ以外は国の施設のある福島へ移ることも国外へ移住することも望んでいないというのだ。ヒミコは小さな港に集まった数十人の住民を見回して言った。

「本当にそれがみんなの意見なの? 考えの違う人もいるはずよ。望むなら私が連れて行くわ。」

だが誰もそれを申し出ない。

 ヒミコは衝撃を受けた。残留民はみな救いを求めていると思い込んでいたが違うというのか。年齢かも知れないとヒミコは考えた。その場にいたのは若くても五十代。あとは六十代以上の老人が目立った。若者が見当たらない。歳若い住人はすでに外国に移住したのかもしれないとヒミコは思った。とすれば今この場にいる人々は自発的な意思かそれに近い理由で文明が消え去ろうとする地に居残ったことになる。その理由とは、国への不信?

「持ってこられる薬は限られてるわ。消毒薬、鎮痛解熱などよ。あと…傷テープ、胃薬くらいかしら。」

小さく頷く代表格の男にヒミコがたたみ掛けた。

「実際に病気になったらそうした薬が本当に役に立つかしら。病院がある福島に移るべきだと思うわ。むこうでも漁業は出来る筈よ。船は…小さなものなら私が造ってあげるわ。こう見えても科学技術基地の人間よ。」

男は首を振った。

「ここで生まれて六十年近く生きてきた。どこへも行く気はない。」

そして一人の老人を指差した。

「爺さんは八十五になる。みんなここで長く暮らしてきたのさ。一度も他所へ出たことは無い。せっかくの話だが…、そういう事だ。」

「しかし皆さんには子供や孫がいるのでしょう? その人たちの気持ちはどうなのかしら。」

「ここの若い者は皆、フィリピンに行ったよ。もう七年になる。」

やっぱり、とヒミコは思った。

「一緒に行かなかったんですね。」

「あの子たちは見ず知らずの土地で裸一貫やらなくちゃあならない。年寄は、足手まといになるだけさ。」

男は目をしばたかせた。

「でも俺たちに夢がないわけじゃない。子供や孫たちが外国で立派に暮らして、いつか正月や盆にここに帰省して顔を見せてくれる、その日がきっと来ると俺たちは思っている。」

 ヒミコは言葉を失った。彼らは深刻な不安から目を逸らし僅かな望みを抱いて故郷に埋もれようとしている。医療環境が無い地で暮すのがどういう意味を持つか彼ら自身が一番よく知っているはずだ。それなのに移転の説得に耳を貸そうとしない。ヒミコは無力感に襲われた。


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