9 イズルがなくしたもの
放課後はレヴィアによる魔法学の補習だった。
まずは魔法理論からだ。
魔法の発動はイメージを具体化することが重要である。呪文は具体化を助けるための補助としての役割を担っている。
呪文を紡ぐことは、魔法の外郭、つまり骨組みを作り上げ、イメージを肉付けしていく工程だ。レヴィアが例として挙げたのは、炎の魔法についてだった。
呪文は術者が魔法のイメージを具体化させる補助として機能するように設計されたものだ。
呪文を紡ぐ過程で、炎の色、熱、輪郭を形成させていく。このイメージが詳細になるほど、威力のある魔法となる。
イメージが重要であり、呪文つまり言葉の意味は重要ではない。極論を言えば氷の呪文を唱えながら炎をイメージすれば、それは炎の魔法となる。
だが人は言葉の意味からイメージを形成する。氷の呪文から、炎を発動させるのは、高度に魔法を操るレベルに到達していなければ難しい。
ゆえに、具体化を最適化させるために、呪文を覚えることが必要となる。
この理論に基づくならば、魔法の構造を理解することで、イメージを組み上げることができれば、呪文は必須ではなくなる。つまり無詠唱での発動も可能だ。
属性を混合させたり、威力の高い魔法になるほど、その構造は複雑で、魔法を構成する難易度は上がる。
また無詠唱のように瞬時にイメージを組み上げることは、精神力も魔力の消費も課題となる。
精神力はイメージを具体化する力で魔法の威力の基礎となる。魔力は実際に発動できる回数や量といえる。
魔力の総量が少なければ無詠唱で発動したとしても、すぐに底をつきてしまう。
難易度、魔力消費量ともに、呪文詠唱、高速詠唱、呪文短縮、キーワード発動、無詠唱の順に上がっていくこととなる。
威力に関しては逆の順になる。呪文詠唱での発動が最も強力で、呪文短縮、キーワード発動、無詠唱の順に弱まっていく。
時間が短くなるほど、イメージの具体化が困難になるためだ。
無詠唱で高出力の魔法を何発も打ち出そうとするならば、相応の精神力、魔力を要する。
練習が必要な段階では、呪文を覚えて魔法を構成するためのイメージを形作る助けをしてもらい、弱い威力の魔法を繰り返し発動させることが肝要となる。
徐々に威力と回数を増やしていくことができれば、次の段階高速詠唱へと移行できる。
この理論は中等部までの復習らしい。通っていなかったイズルにとっては初めて聞く話であった。
なら、どうやって魔法を使っていた。イズルは自らに問いかけていた。
彼女の自由をどうやって奪った? 彼女の嘘を知りながら受け入れた。確かにあの時、オレは彼女を救うことを諦めていた。
永い間、彼女は力を持て余していた。彼女には大きすぎた。深紅の両眼に潜む力は、いつ彼女自身を壊してもおかしくなかった。生死の狭間で、それでも明るく彼女は妹の手を引いていた。
制御の喪失は時間の問題だった。
近づくことすら困難だった。
何とか暴走した彼女を抱きしめた。それだけで精一杯だった。彼女を救う術があるとは思えなかった。
私を奪って。
受け入れたのは彼女を見放していたからだ。あんな魔法に呪文なんてない。無理やりイメージを組み上げ、魔力を注入した。
彼女は自らの力を忌み嫌っていた。それを奪うだけだった。
唇を伝って流れ込んできたのは彼女の忌むべき力、彼女が受けた代償は意思縛りの呪い。
積み上げてきたすべてを差し出した。術式は全てを吸い上げた。
あれは魔法だったのか、呪いだったのか。
そのまま……そのまま……
彼女の言葉だけを覚えている。
このまま私を……
気づいたときには彼女の姿はなかった。
そして、オレは魔法の技術を失った。
「イズル!」
レヴィアの一喝が響いた。その声がイズルを過去から引き戻す。先ほどまで感じていた彼女の重みとぬくもりは、手のひらから失われていた。
イズルは訓練場にいた。レヴィアは腕組みをし、ローザはきょとんとしている。放課後の訓練場には日中のようなざわめきはない。夕日の穏やかさが静けさに拍車をかけていた。
「ボケっとするな」
「ああ」
そうか、オレは魔法の訓練中だった。
イズルは的を確認する。
「炎の魔法だ。授業を思い出しながらやってみろ」
魔法、そうだ。呪文だ。まずは一番初歩の魔法だ。イズルは呪文を紡ぎながら、言葉に従って炎のイメージを虚空に描いていく。炎の色や熱、どのように燃え盛っているのか。
このイメージを具体化する工程に精神力を要する。魔法の枠が出来上がると、体内で練り上げた魔力を火力に変換させて、炎と連結させる。
結合させようと突き出した手にふわり、と彼女のぬくもりが蘇った。
彼女の姿と炎が重なる。腕の中の彼女と言葉。記憶が輪郭を乱す。炎が揺らぐ。炎の色は? 熱は? イメージを再構成させようと息を吐く。
築き上げたものが瓦解していく。炎が揺らめくと、ふっと消えた。
思わず舌打ちする。呪文に気を取られて魔法の外郭を保てない。呪文を無視すればイメージすら湧かない。何かが歯止めをかけている。そんな気がした。
天を仰いだ。たった一度、初歩の魔法を失敗しただけでこれだけの疲労か。剣で何戦もした気分だ。さすが透明の器といったところか。
力を抜く。すると冷たい空気の流れを感じた。気だるさを感じたまま意識を向ける。
隣でローザが呪文を紡いでいる。冷気が彼女を中心にして広がった。
魔法を発動させるための言葉の羅列は、耳には届くが聞き取れない。彼女の唇は見慣れない速度で動き、聞き慣れない言葉を発する。
高速詠唱の技術だ。唇の動きを魔力で補助して呪文を唱えている。
高速で呪文を詠唱するということは、魔法の骨組みも高速で脳裏に展開させなければならない。精神の消耗は通常詠唱よりも倍増する。
氷の矢が三本、的へと放たれた。地に描かれた魔法陣から伸びる人影に矢が突き刺さる。
「いぇい!」
ローザがガッツポーズを取る。レヴィアが頷いた。
「高速詠唱は問題ないな。魔法部門では、合格の最低ラインだからな。威力も精度も問題ない。ただ」
完璧に映った一連の所作もレヴィアに言わせると違うらしい。
「呪文を言い淀むところがあったぞ。帰ったら曖昧な部分を確認するんだ」
「はい」
背筋を伸ばして、ローザが返事をする。
「イズルは剣術試験だから受験に関しては問題ないとして」
「魔法だろ。これからもちゃんとやるってば」
アルフレッド戦で理解した。魔法に長けた相手を剣だけで相手をするのは不利だ。
「呪文以前の問題だ。だが、無理はしなくていい」
魔法に対する心理的な抵抗感を払拭しろ、ということだろう。
彼女を失ったこの腕だけがやけに軽かった。