8 査定と共鳴
研究塔に来ると、イズルは部屋の前に立ち、ノブを回そうとする。
「おっと、ノックをしないと怒られるんだった」
ドアをノックすると「どうぞ」とややけだるげな低音が室内から聞こえた。
「失礼しまーす」
これで怒られないはずだと、ゆっくり室内に入る。窓から夕日が差し込み、床をオレンジに照らしている。レヴィアは大きな机に広げられた書類のうちの一つを手に取り、目を通しているところだった。
その背後には壁一面の本棚にぎっしりと本が敷き詰められている。微かにインクの匂いが漂う。
オレには一生かかっても読めそうにないな。
顔をしかめそうになると、書類から目を上げたレヴィアと視線がぶつかった。お前の考えなど読めているぞ、と言わんばかりに唇をほころばせる。
「別に君にこれを読め、などとは言わんさ」
「いわれても困るけど」
「要件はわかってるな」
会話を遮るようにレヴィアが言う。
「授業をもっと真面目に受けろ、だろ?」
「分かってるくせになぜやらん」とレヴィアは冷ややかに返すと椅子を指さし、座るよう促す。イズルは背もたれに体の正面を預けて腰を下ろす。
「ちゃんと座れ」
ため息交じりにレヴィアが言うと、イズルはしぶしぶ言われたとおりにした。
「とりあえず、明日の補習はサボるなよ。サボったら週末の二日間、補習を行う」
「うそぉ!」
イズルは手の平で頬を挟んで顔を歪ませた。週末を補習で埋められると、ギルドで仕事もできなくなる。
「当たり前だ。魔法理論も呪文詠唱も、魔法を極めるために必要だ。君には特に基礎となる理論が必要だ」
「無駄になりそうだけど」
「どうしてそう思う?」
「査定結果知ってるだろ?」
「透明か。私はあてにしていない」
レヴィアは持っていた書類を机に置く。
イズルの名前、年齢、魂の査定情報が記入されていた。魂の色の欄には透明と記載されている。
「毎年の査定は簡易的なものだ。ほとんどの場合はそれで事足りるが、確実ではない」
レヴィアはイズルの前に立ち、口元を小さく動かし呪文を紡ぎだした。言葉の一つ一つが静寂の中を漂って耳元に届く。鼻先に広げられた指先から仄かな光が灯ったかと思うと、虚空に小さな輝きが出現した。
「見えるか?」
頷く。コップのような器が確認できる。努力や訓練を繰り返して、器に色を付けていく。すべてが色で染まったとき、才能が完全に開花したことになる。
イズルの器は透明だ。生まれたばかりの赤子に査定を施すと、色はなく透明だという。つまり現時点で赤子同然だと判定されたに等しい。
「この魔術は、より詳細に判定できる。が、それなりに魔力を消費するため、一般的には使われていない」
キラッ、と一瞬だけ、何かがきらめいた。
「器の下を見るんだ」
注意深く見ると、ようやく微細な虹色の輝きを捉えることができた。
「透明というのは正確ではない。これは虹色だ」
「分かりにくいな」
「天邪鬼な君にぴったりだな」
ふふっ、と小さく笑って、レヴィアは術を解除すると、机に体を預けて腕組みをした。
「器は現時点での成長の到達地点だ。器を満たすのは、達成感もあるだろうが、向上の余地がほぼないと言える。君は器が透明に見えるほど、成長の余地があるんだ。おまけに君の器を満たすものは虹色だ。」
「ほとんど見えないけど、何滴分だ、これ。意味あんの?」
「君くらいの年齢だと、半分近くにはなっているはずだ。それがたったの数滴だぞ? これは少量ではなく、濃縮されていると私は考えている。虹色にな。魂の査定は何人もしてきたことがあるが、虹色は見たことがない」
「そんなものかね。査定見てると半分超えてるヤツばっかだったけど」
「君の場合は視認しにくいだけだ。君と魂の共鳴をした私が言うんだから間違いない」
「あー、それ聞こうと思ってたんだ」
夢を見て思い出した言葉だ。他人と意識がぶつかりあうような感覚。以前にも説明を受けたが忘れてしまっていた。
「昔、簡単に説明したことがある程度だったな」
レヴィアは懐かしむように目を細める。
「魂の共鳴は魂が深く結びつくことで、互いを高めあう現象のことだ。長年連れ添った夫婦や、苦楽を共にしたパーティー間の結びつきで、生まれることがある。そのような感覚は通常は何十年もかかるし、そこまでの域に達するには人生でも一人いるかいないかだ」
「オレと先生ってそんな深い絆で結ばれてたのか、凄いなオレ」
わざとらしく驚くイズルの額をレヴィアが指で突く。
「実際、私の器はほぼ満たされていたが、魂の共鳴によって、成長の余地ができた。同じことが君の中でも起きているはず。自慢じゃないが私は人類屈指の魔法使いだぞ。その私と共鳴したんだ、小さい器なら、それだけですべて満たされてもおかしくない。なのに君の器はほぼ透明のままだ」
レヴィアは20代前半でありながら、世界に名を轟かせるほどの大魔法使いだ。素性のしれないイズルが学院に入学できたのは、肩書のあるレヴィアの推薦があったからだ。
「しかも、君は今までにも共鳴を起こしているな?」
「そう、なのかな?」
イズルは首をひねる。
それが共鳴との実感はなかったが、かつて意識下で強い繋がりを感じたことはある。
今朝見た夢もその一種なのだろうか。
レヴィアの話を聞く限り、違うように思える。共有というよりは、一方的に意識の衝突を起こされた感じだ。
双方向で互いの意識が結びつく共鳴とは、やや異なる感覚だ。
魂の共鳴でないのなら、あれは何だ? 思い出そうとしてもそれは儚く崩れてしまう。
ただ胸を穿つような痛みだけが残る。
「ほとんどの人間は、魂の共鳴を一生に一度起こせるか起こせないかだ。効果は相手によって左右される。極端な話、何の特徴もない人間同士が共鳴を起こしたところで、ほとんど変わりはないが、相手が特別な能力を有している場合、しかもそれを複数回起こしているとなると」
レヴィアは一呼吸入れて、イズルの目を見る。
「効果は絶大だ」
「それ聞くと、なんだか凄く感じるな」
「調子に乗るな。今はそんなことよりも」
イズルの鼻をつまんで左右に振る。
「君が本気になるかどうかだ。伸び盛りの今こそ、器を満たす絶好の時期であることは確かだからな。サボってる場合じゃないぞ」
「分かったよ」
「器を言い訳にするな。魔法と向き合え」
見透かすような視線に思わず顔をそむけた。
脳裏をよぎるものがある。あのとき、オレは確かに救うことをあきらめていた。
失い、そして奪った。この手に魔力が戻ることはあるのだろうか。そもそも、それを望んでもいいのだろうか。答えはまだ手の届かないところにある。
イズルは無意識に手を見つめていた。
「基礎から学びなおしてみろ。後悔するのは後でいい」
「どこまで伝わってるんだよ?」
「君の過去に何があったかまでは分らんが、せき止められないほどの強い感情、想いが共鳴者には流れ込んでくる。違うか?」
つまり、オレが魔法を使えない理由までは知らないが、過去を思い出して抱く感情についてはレヴィアに伝わってるってことか。
「こっちを向け」
レヴィアはイズルの頬を固定し、唇を寄せる。
「その私が言ってる。どうやって魔法が組み立てられるのか基礎を固めながら、この胸に手を当てて考えろ」
レヴィアの手がイズルの胸に添えられる。
「私にごまかしは効かないぞ。明日の補習は、今の気持ちも含めて、よく考えて受けるんだ」