6 勧誘
実戦演習の後は待ちに待った昼食時間だ。心が躍る。
他の生徒たちも解放感からか足取り軽く食堂へ向かう。
入学して間もないが、生徒たちの間ではグループができていた。名門の学院ということもあって、貴族出身の生徒たちは顔見知りのようで親しげに話している。
室外訓練場を出たところで、ポンと背中をたたかれた。
「イズルっち、凄いじゃん。同学年でファラに勝てる人がいるなんて思わなかったよ」
ローザが並んで歩きだす。
「だろ?」
イズルは片眉を上げ、胸を張る。褒められるのは得意だ。
「かすりもしなかったよ」
駆け足で追いついたファラが、ローザの隣からイズルを覗く。
「そうだろう、そうだろう」
鼻を空に突き刺すほどの勢いでイズルは顎を突き出した。
「でも、査定は透明なんだよね」
「おわっ」
ローザの言葉に、足がもつれる。石畳の継ぎ目に爪先が引っ掛かかり、バランスを崩した。
誇らしかった気分が台無しだ。査定は、魂の器を満たす水の量と色によって評価する。透明とは水がない。つまり、何の才能も開花していないことを意味する。
「剣の才能があるなら、赤のはずだけどね」
「だって、タケリオでも赤だったんだよ」
ローザが声を張り上げる。興奮するほど、賑やかになる性格だ。
「そういえば査定のとき、もうすぐ満杯だって自慢してたよね」
「ファラも聞いてた? 取り巻きどもがヤイヤイもてはやしてたよ」
「タケリオ? 誰だっけ?」
「私との前に、戦ってたでしょ」
「あー、そういえば、そんなのもいたな」
あいつが赤で、オレが透明? うん、分からん。それより腹減った。
三人は石畳で敷き詰められた緩やな坂道を下っていく。
訓練場での模擬戦の後だ。近くの庭園から流れ込んでくる風が心地いい。メインホールへと着くと、半球状の屋根が陽の光を反射していた。
内部に設置された巨大な掲示板は、魔力で文字が浮かび上がり、確認すべき連絡事項やイベントなどのお知らせを生徒が確認できるようになっている。
現在は新入生向けに学院内での振る舞いや禁止事項、クラブ紹介などだ。安全委員会、千年祭、などの文字が踊り、薄暗い天井には流れる彗星の映像が繰り返されていた。
食堂はメインホールを抜けた先だ。
既に大勢の生徒でにぎわっている。
長テーブルには幾人もの生徒が向かい合って食事をとり、屋外では友人同士が澄んだ青空の元、丸テーブルを囲んで談笑している。階段に座り込んで食事をする生徒もいる。
漂う肉の香りと、ぶつかりあう食器の音の中を進んで、イズル達三人も受取口に並ぶ。
メニューを受け取るとパンの香ばしさが鼻孔をくすぐった。アルテナ学院では毎日日替わりランチが支給される。選択の余地がない分、待ち時間も少ない。
屋外の丸テーブルを探してみたが、混雑する昼食時で、しかも天気のいい日だ。空席はなく、屋内の長テーブルに座ることにした。
すぐ近くの柱にはポスターが貼られている。上部にキャッチコピーがあり、中央に長い尾を引く彗星が描かれ、その周囲には星々が煌めく。賑やかな食堂とは対照的に静謐な宇宙だ。
「千年に一度だって。知ってる?」
ローザはパンを飲み込んで言った。
「毎日ホールで映像が流れてるしな」
千年に一度の大彗星の接近は、夜空に美しい七色の尾を描くそうだ。幸福が起きるとか、不吉なことが起こるとか、願いが叶うとか、生命力を奪うとか、与えるとか、眉唾ものの伝承がまことしやかに囁かれている。
「そんな珍しいものに立ち会えるなんて、いいことありそう。学院でも飾りつけ進んできたね」
昂る感情を抑えきれないようで、ローザは腕を振り回す。
「楽しみだね」
ファラが言うと「すっごい楽しみ」とローザが応じた。
天体に興味がないイズルには、祭りで座学の時間が削られるならいいか、という認識だ。
「特に千年彗星の開眼。千年彗星は巨大な魔力で姿を見ることはできないんだけど、魔力の圏内に入った間だけ、この目で見られるんだって」
「千年彗星の開眼かー」
ファラはうっとりと宙に視線を巡らす。
「それが、これか」
イズルはポスターに描かれた七色の尾をなぞった。
「千年祭の影響で、しばらくは安全委員会の活動も忙しくなりそうだってさ。もうすぐ選抜試験なの知ってる?」
「知らん」
というか興味がない。
「治安維持担当の人たちのことよ」
ファラは野菜ジュースを口に運ぶ。
「魔物が侵入したときや、ケンカで大ごとになる前に止めないとね。そんなときに安全委員会がやってくるんだよ」
「そのために実力を見定めるための試験があるの。私とローザはその試験を受けるつもり」
「イズルっちなら、きっと合格できる」
真剣な表情でローザが鼻先にフォークを突き付けた。
危ねっ。ていうかこのお子ちゃまは唐突に何を言うんだ。
「ちょっと、また人の都合も考えずに」
「鼻にかすったぞ」
「さっきの戦いを見てピーンと来たのだよ。君はきっと安全委員に向いている」
ローザは話を聞かずに、一人で納得して頷いている。
「私たちと受験しよう」
「何で、オレを委員にさせたいんだよ?」
「強い人が委員になったほうが、不幸になる人が減るからだよ」
断言したローザの瞳は、大人びた強い意志の光を有していた。
大げさな、と口に出かかった言葉をイズルは飲み込む。軽々しく否定することを躊躇わせる想いを感じたからだ。
「安全委員会ねー。面倒そうだな」
背もたれに体を預け天井を仰ぐ。
「面白そうな話をしてるな」
熊のような影が伸び、髭面が視界を塞ぐ。野太い声だ。唸る熊を思わせるその声に、イズルは身震いし、イスごと倒れそうになる。
太い腕が首に巻き付く。濃い腕毛が頬に触れた。
「お、おえっ、毛が、吐き気がする」
イズルがえずくのもお構いなしに、熊は腕を引き寄せ胸元に抱きかかえようとする。
「何だ、お前、受験するのか」
「やめんかっ!」
イズルは熊を突き飛ばした。熊は白髪の混じったヒゲを撫でる。
がははは、と食堂に笑い声が響いた。生徒の視線が集中する。
「今のでHPが半分になったぞ」
「お手製の薬草をやろうか?」
「オレには毒薬だ」
真顔で答える。
イズルはガルドがエプロンをして薬草を作る光景を想像して、胃を押さえた。
「ガルド先生」
ファラが驚きの眼差しで熊を見上げる。
ガルドは騒がしかった食堂を静寂に陥れるほどの声で笑い、イズルの頭を掴んで左右に振った。
「お前なら大歓迎だ。俺が受験手続を済ませといてやる」
「触るな。オレのこのナチュラルヘアが台無しだ」
「もちろん、剣術部門所属だ。お前がいれば、顧問の俺も楽できる」
ガルド・ブレイカーは一流の冒険者でありながら、安全委員会剣術部門の顧問も務めている。
「承諾した覚えはないぞ」
何考えてんだ、このむさくるしいおっさんは。触れた指の体温が妙に暖かくて湿度が高い。
イズルは跳ねた黒髪を手早く整える。
うむ、オレのこのスーパー適当ヘアスタイルは、簡単でありながら再現性が高く、しかも十二分に魅力を引き出してくれる。面倒くさがりでありながら、おしゃれちゃんのオレにはちょうどいい。長めの前髪を摘まむと元通りだ。
「お前はレヴィア先生の推薦を受けてるからな。一応話を通しておくか。お前は俺がもらう」
ゾゾゾ、腰から背中にかけて肌の表面がうねる。
「やだ」
「何ぃ! なぜだ」
「あんたみたいな、むさ苦しいおっさんとは関わりたくないからだ!」
「ふふん」
ガルドは勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
「安全委員会の特権を知らんな?」
「いらねー」
「まあ、聞け」
ガルドが耳打ちする。吐息がかかる。
「おえっ、やめろ。息を吹きかけるな」
「学費が格安になる」
「え、マジで?」
アルテナ学院は名門だ。学費も相応にかかる。身寄りがないイズルには学費の調達が必要だった。レヴィアの支援はあえて断った。ギルドで戦闘経験を積みながら、学費を稼ぐ、これくらいの苦労がイズルには合っていた。
金銭の余裕が出てくると、遊びに回せる金額も増える。年ごろのイズルには魅力的だ。
「外出規制も緩くなる。ギルドにも行きやすくなるぞ」
「ギルド?」
会話を聞きかじって、向かいのローザが身を乗り出した。ファラも耳を寄せる。
外出機会が増えれば、こなせるクエスト量も増え、儲かるではないか。イズルは熱心に耳を傾けた。
「しかも、安全委員会は美女だらけだ。お前なら調査済みだろ」
「も、もちろんだ」
しまった、知らなかった。熊男に教えられるとは何たる屈辱。
動揺をさとらせないようにイズルは虚勢を張る。
「腕章を見せれば、理由によっては女子寮への入寮許可も……」
「やる!」
「出るかもしれ……ん、んん、やるか!」
太い腕が差し出された。イズルは毛が生い茂った手を握りしめた。しっとりしている。
げっと叫んで、離す。
「て、手汗がっ……べたべたする。やめろ、そんな汚いものをオレに握らせるな」
「やっぱり、受験しなくていいよ」
ローザの目は死んだ魚のようだった。半開きになった口がひきつっている。
「さすがに動機が、ね」
ファラがため息をついた。