58 空はこんなに青かった
「はい」
同時に差し出されたものを見てイズルは顔をしかめた。
「何だこれ?」
「お礼」
二人が同時に答えた。
「いらん」
「どうして?」
ファラが首を捻る。
「何でよ」
ローザは頬を膨らませる。
あ、違う反応になった。
ずい、と二人が息を合わせて突き出したのは、ソフトクリームだった。晴れた日の午後、イズルは記念碑広場に連れてこられた。週末ということもあって、家族連れでに賑わっている。
「二つも食えるか!」
「この前一緒に食べたじゃん!」
ローザがソフトクリームをイズルの口に押し込む。
「私のも食べて」
ファラがねじ込んだ。
「もが、もががが」
息ができなくなる。アルフレッドとの戦闘よりも命の危険を感じる。
イズルは二人の手首を掴んで、かつてない速度でソフトクリームを飲み込んだ。
「はぐはぐはぐ」
「お、おお。凄い」
高速で食べるイズルに驚き、ローザは感嘆の声を漏らす。
「あはははは」
ファラが笑い出した。ローザはファラを見た。瞳に焼き付けるかのように見つめる。ローザの頬に深い笑みが刻まれた。
「イズルってば、ソフトクリーム。好きすぎでしょ。笑わせないでよ」
ローザが体をぶつける。イズルに腕が絡む。
「早く私のも食べて」
コーンを詰め込み、ファラがイズルの右腕を取る。
「ああ、頭がキーンとする。死にそうだ」
「よかったね。好きなもの、いっぱい食べられて」
腕にぶらさがるようにしてファラが顔を覗かせる。
「別に好きじゃないわ。嫌いでもないけど」
「千年彗星ソフト、おいしいって言ってたじゃん。千年祭も終わって、もうないけど。これが代わり。私たちなりに考えたんだよ」
ね、とローザはイズルの体を挟んでファラに相槌を求める。
「うん」
「あの時は一個だったぞ」
彗星が去り、一大イベントは幕を下ろした。期間限定の千年彗星ソフトは店頭から姿を消した。
文字通り、千年に一度販売される奇跡的なソフトクリームというわけだ。
「千年に一度の奇跡を、か」
千年彗星のキャッチフレーズは、あながち的外れでもなかったというわけだ。
真夜中に起きた千年彗星の開眼は、街中の人々の話題となった。時期外れの花が咲いた、枯れた木々が復活した。
あの日の真夜中、空を見上げた人にだけもたらされた小さな奇跡。彗星が目を閉じると花も、木々も奇跡など忘れたかのように、日常へと回帰した。
「いや、違うな」
あれは奇跡なんかじゃない。その証拠に奇跡と呼ばれたものは跡形もなく消し飛んでしまった。その片鱗すら残されていない。
ただ勇気を持った者の背中を押しただけ。ローザが奇跡を掴んで離さなかっただけだ。
ローザが、ファラが、運命に向き合ったから、この時間を勝ち取れた。
「よくやったな二人とも」
二人はそろって首を振った。
「イズルが私の願いを叶えてくれたんだよ」
ローザとはずっと意見が一致しない。イズルにとっては彗星の力を利用してきっかけを作っただけだ。
「ごめんね。また、魔法使えなくなっちゃったね」
ファラの表情が沈む。イズルは代償として、再び魔法を失った。レヴィアには説教され、これから、魔法に関しては補習の嵐と宣言された。
それでも、今までとは違う。魔法を再起動させた事実は体感として残っている。いずれまた、使えるようになるはずだ。
「魔法がなくてもオレは強いからな。ま、何とかなるだろ。というか、歩きにくい」
姉妹の踏み出す方向が少しでもズレると、体を引っ張られる。イズルはよろよろしながら歩いた。
「へへ、美少女二人に腕を組まれてうれしいでしょ」
「うれしいよね?」
ファラが訊ねる。彼女は以前より自己主張が強くなった。
「うれしいに決まってる」
腕を組んで、二人がはにかむ。彼女たちの、この笑顔を守るために命を懸けたのだ。報酬はしっかり頂く。
左右で彼女たちの鈴が機嫌よく踊った。もう哀しみの音はいらない。
広場の中央に着く。太陽の光を浴びて、噴水が輝いていた。二人はイズルを連れて回り込む。
「よお、イズル」
影が伸びる。屈強な巨体が腕を組んでいた。血管が浮き出るほどの筋肉だ。
「もてもてじゃないか」
「うらやましいだろ?」
「ふん、羨ましがってたらセリーヌにどやされる」
男は鼻を鳴らした。
「ガルド先生」
「連れてきたよ、こうしてれば逃げられないでしょ」
ローザはぎゅっとイズルの腕を掴んで離す。ファラも距離を取った。
「すまんな、連れてきてもらって」
「おっさんとのデートは勘弁してくれ。オレはおっさんと話しているとHPが削られていく病なんだが」
ガルドとの待ち合わせならすっぽかして、ギルドの仕事を請けていたのに。
イズルの非難を込めた視線を受け、ファラは手を合わせて謝る。
「少しだけ時間をくれ。あとは好きなだけデートすればいい」
ガルドは姿勢を正し、少女二人に向き直った。
「まずはお前たち二人に対してだ。俺は教師としても、人としても最低の行いをした」
深く、頭を下げる。
ガルドの件についてはレヴィアから詳細を聞かされた。
イズルが葬った時計塔の少年との関係。アルフレッド、妻セリーヌ、そして彼ら家族の間に起きたこと。
熊ほどもある大男の謝罪を二人は恐縮して慌てるだけだ。
「街を出るんだって?」
イズルは謝罪を終えたガルドと向き合った。
「心の整理はしたつもりだが、やはりこの街の記憶はオレにとっては辛すぎる。しばらく旅でもして各地を回ってみるつもりだ」
「それだけか?」
イズルはガルドの瞳の奥を探る。まだ解決していないことがある。
ガルドにとってイズルは息子の仇だ。こんな報告をするためだけに呼び出したというのだろうか。
3歳くらいの男の子が走ってきて、ガルドの傍で躓いた。ガルドは素早く脇に腕を入れて立ち上がらせる。
膝を擦りむきながらも涙を堪える男の子の頭を撫でると、駆け寄ってくる両親の元へ送り出す。ガルドはその背中を眩しそうに見送っていた。
「お前がいたからこそ、セリーヌとの決着を付けられたのも事実だ。が、お前にわだかまりがないと言えば、それも嘘になる」
「で?」
イズルは声を落とし、ガルドを見据える。旅立つ直前でガルドの装備は整っている。イズルは丸腰だ。
「おいファラ、危ないぞ」
焦りを含んだガルドの声。イズルの視線が走る。ファラもガルドの注意喚起に驚き、周囲を見回した。
額を押された。バランスを崩す。日焼けして黒くなった髭面に笑みが浮かんだ。60過ぎのガルドが、悪戯を成功させた少年のような笑顔になった。
ばっしゃーん。
イズルは噴水に落ち、尻もちをついた。
がははは。周囲をどよめかすほどの野太い笑い声が響いた。
「それがお前の弱点だ。女にかまけてると足元をすくわれるぞ」
「おっさん……」
「これが俺の復讐だ。あーすっきりした。じゃあな」
ガルドが背を向ける。
イズルの頭に流水が打ち付ける。大きな人影が遠ざかる。全てが、水に流れていく。
「また、落ちてる……」
ファラが噴き出した。
「また、って、前はお前たちのせいだろ」
髪をかき上げる。
「イズルは好きだね、水浴び」
ローザがファラの腰に腕を回して笑う。
光が噴水に溶ける。光の粒子が二人の笑顔を彩った。
ああ、そうだ、オレはこの笑顔を取り戻したかったんだ。噴水から見上げた彼女たちが眩しかったから、手繰り寄せようとしたんだ。
イズルは差し出された二人の手を握る。引き上げられた。今はこんな近くで眩しい笑顔が輝いている。
「どうしたの?」
笑いすぎて涙を浮かべながらファラが首を傾げる。
「そういえば、空はこんなに青かったんだな、って……」
雲一つない青空だ。見慣れたような、初めて見るような青空だ。ずっと眺めていると吸い込まれてしまう、深い青だった。だから余計に彼女たちが眩しいのだろう。
「本当だ。私、ずっと、こんな青空を求めていたような気がする」
ローザが腕を広げて空を仰いだ。
「私は、こんなに綺麗な青空を見ることができるなんて、二度とないと思ってた」
ファラは胸を膨らませて息を吸う。
「なのに、今はほら……」
目を細めて手を伸ばす。
光が、風が、ファラとローザに微笑みかける。
二人は素直に、自然に、笑顔を返す。
「こんなに近くに。手に届きそうなところにある」
「今夜はお父さんとお母さん、よく見えそうだね」
ローザの言葉にファラはうん、と頷くと、胸元で拳を作り、噛みしめるように瞳を閉じた。
「あ」
彼女は呟く。どうしたの、とローザが訊ねる。
「取れた」
ファラが顔を上げ、イズルを見た。
「取れたって、何が?」
「ガラスのカケラ」
嬉しそうにファラが笑った。
ガラスのカケラ?
彼女が何を言っているのか、イズルには分からない。
「何だそれ?」
「だから、ガラスのカケラが取れたんだって」
「分かんないよ!」
もどかしそうにローザが言った。
「もういいの。私たちの前には夢の世界が広がってるってこと」
ファラは空を掴むほどの勢いで両手を突き上げた。
「この青空の向こうにね」
「よく分かんないけど、そうだ!」
ローザが同調する。そして二人は最高の笑顔をイズルに届ける。
「「ありがと、イズル」」