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49 千年彗星2

「ローザの身を案じるほど動きが鈍くなる。そんな状態で私たちを相手にできるわけがないだろう。降参しろ。そして私たちのために働くといい。そうすればローザとの時間を享受できる」


「助けてやるって約束だからな」


 イズルは立ち上がる。ファラ、そして……


「あの星との」


 満天に広がる星々の中、イズルが約束を交わしたのは、「家族の星」だ。


 命がけで願いを託された。その対象がイズルの隣で笑っていた姉妹というのならば、願いを拒絶するという選択肢はない。


 イズルが望むのは、ファラとローザが、あの記念碑広場での笑顔を取り戻すことだ。


「ローザ!」


 ファラが叫んだ。名前を呼んだだけなのに、その声は澄み渡り、暗闇を駆け巡った。


「今夜もお父さんとお母さん、見てるよ」


 その言葉への反応なのか、ローザがぎこちなく空を見上げた。


「私たちを見守ってくれてるよ」


 それは単なる偶然だった。偶然でないというのなら、それは奇跡だ。


 ファラの言葉に応じるように、天球に虹色のカーテンがかかった。


 夜には不釣り合いな眩い光が、七色の筆で空間を染め上げた。本をめくるように闇夜が虹色に変貌した。


 千年彗星の開眼だ。最接近することで、彗星の魔力圏内に入ったのだ。千年の準備期間を経て、舞台の幕が開く。


 皮膚にびりびりとした痺れのような圧力を感じる。魔力に覆い隠されていた彗星が初めて姿を現した。同時に最も力が満たされる瞬間でもある。


 彗星の尾が星空をなぞる。


 木々の枯れ葉に緑が戻る。小川のせせらぎが聞こえる。花蕾(つぼみ)が開き、庭園に赤やピンク、黄色をもたらした。かつての庭園を思わせる光景が描き出された。


 敷地内だけではない。風のそよめきに新鮮な空気を感じた。新緑の香が届く。


 真夜中にもたらされた鮮やかな色彩に、イズルは興奮を覚えた。剣を握る手に汗が滲む。


 塗り替えられた景色は、この場にいる者たちに、戦闘中だということさえ、忘れさせた。


 神秘の力が絶え間なく肌に滲み、注ぎ込まれる。体が軽くなった。これが千年彗星の奇跡なのか。


 初めて奇跡の話を耳にしたときは、ほとんど信じていなかった。皆が千年祭で騒ぎたいだけがために作り上げた伝承だという認識だった。


 ぼんやりと、無限に広がる空間に、何かが灯った。


 それは輪郭すらぼやけていて、掴めそうで掴めなかった。


 手を伸ばそうにも、それはどこにあるのか分からない。伸ばす指先が宙をさ迷う。そんな曖昧なものがイズルの脳裏に芽生えた。目を反らせば消えてしまいそうな、その名は……


「まさに奇跡だ。かつてないほどに力が沸き上がる」


 アルフレッドが全身で受けようと肩を開いて空を仰いだ。


 イズルは我に返った。ローザが、降り注ぐ七色の揺らめきに触れようとしていた。ファラが名前を呼ぶ。ローザが声に反応する。


「ローザ!」


 叫んだ。


「イズル」


 ローザの瞳に色が戻った。彼女の背中越しに鮮やかな緑がざわめいた。花々が風を受けて弾んだ。


 いる。ローザの意識はまだ残っている。


 千年彗星の開眼とともに、心核血晶の力を覆した。それはイズルにとっても、ファラにとっても、そして娘たちを案じて時を超えた彼女たちの両親にとっても、垣間見えた希望の片鱗だった。


 掴もうとする。


 その希望はまだ手に収めるには儚すぎた。


 頭への衝撃が平衡感覚を奪った。体が無防備に宙を舞う。噴水に体を打ち付けた。


 イズルは混濁する視界の中、それでもローザを探す。肉体の被害状況を確認する。頭部に触れた手には、血のぬめりがあった。


「私の存在を忘れていないか」


 冷徹なアルフレッドの声が届く。魔人の手に揺らぐ白い煙から、イズルは魔法により攻撃されたことを知った。


「意識を戻された。彗星には再生の力があるのかもしれない」


 ローザが言った。その瞳は昏く沈んでいた。


 イズルは頭に触れた手を見た。既に血は乾いている。再び傷口を確認する。血は止まっていた。


「何? この感覚」


 声音が変化し、ローザの足元がふらついた。

 彼女の瞳の色が目まぐるしく移り変わる。明るい眼差しが戻ると、イズルの元へ一歩踏み出す。昏い瞳が現れると、拒絶するように首を振り歯を軋ませる。


 ままならない感覚に不快感を募らせ、ローザは雄たけびのような唸り声を上げた。


「彗星の力が強すぎる。屋敷内なら血晶の侵食を最大化させられる」


 屋敷内に彼らの能力を底上げする魔法陣を巡らしているのだろう。アルフレッドの言葉に頷き、ローザは足を引きずり屋敷へ向かう。


「逃がすかよ」


 ファラの支援魔法を背にアルフレッドに斬りかかる。イズルに合わせてファラが氷結魔法を打ち出した。


 アルフレッドを捉える寸前、振り下ろした魔力剣が動きを止めた。剣を通してさざ波のような衝撃が、腕に痺れを与える。爆風が生じた。


 アルフレッドの防御障壁だ。

 氷結魔法が跳ね返された。


「これが千年彗星の力だ。魔法のないお前にはほとんど恩恵はないだろうが」


 イズルは体勢を立て直して着地した。

 考えろ。

 ローザの背は遠ざかり小さくなっていく。千年彗星で強化された防御障壁を破るには……


 思考を中断する。

 勘違いするな。

 最優先すべきはローザの笑顔を取り戻すこと。


 それには。


 左眼の奥が重苦しい。瞳の奥で二つの記憶の像が重なる。

 昏い瞳のローザと重なるのは、深紅の瞳。


 リィーゼ。

 言葉が漏れた。それがイズルにとっての呪縛。彼女の力を奪い、左眼に封じ込めた。罪に対しての罰は、魔法の喪失だった。


 千年彗星の恩恵に例外はない。


 虹色の祝福はイズルの左眼に癒しをもたらした。ほつれた糸がほどけるように、呪縛が弱まる。


 ローザを救うためなら、何であっても利用する。それがたとえ、自らに課した罰を破る結果になったとしても。それが願いを託された者の使命。


 いや、違う。


 思わず笑う。

 オレはそんなに殊勝なヤツじゃない。


 オレはオレのしたいようにするだけだ。オレがローザの笑顔を取り戻したいだけだ。リィーゼに対する贖罪よりも優先すべきことだ。


 この左眼に宿る赤い光は彼女の能力だ。それを抑え込むために、魔力を要した。魔法を使えないのはその代償。


 千年彗星の力なら、その代償を賄える。

 イズルの左眼が深紅に染まった。


 千年彗星が七色の滴をもたらし、左眼に波紋を広げる。


 血液が集まる。眼が脈動した。

 鈍い痛みが殴りつけるように響く。腕の中で眠りに落ちたリィーゼが記憶の中で壊れ、溶ける。

 熱を帯び、流れ、魔力として発現した。


 迸った魔力が全身を覆った。波となり、踊り、跳ね、大気に食らいつく。


 アルフレッドが振り返る。


「いいぞ、その感情だ。その執着こそが、ローザを失ったときに私を助けてくれる。私の意のままに動く人形としてな」


「その前にお前の首を落としてやる」


「残念だが」


 仰々しくアルフレッドが右腕を投げ出した。


「ここからは私の妻がお相手しよう」


 入口に女性が姿を見せた。入れ替わりにアルフレッドとローザは屋敷内に姿を消した。


 妻と呼ばれた女性は軽やかだった。手すりで体を支えることはせず、リズムよく音を鳴らし階段を下りる。


 優雅さや気品というよりは、機能性や効率を重視した動きに近い。


 ドレスの裾がテンポよく揺れる。かつてのロイヤルブルーを思わせるドレスは、濁り、くすんだ青色に変わり果てていた。


 誰が相手だろうが同じだ。

 イズルが斬りかかろうとすると、背後で名前を呼ぶ声が聞こえた。


「待ってくれ」


「いい加減にしろ!」


 振り返ることなく怒気をあらわにする。

 こんなところまで付いてきて邪魔するのなら、完全なる敵とみなすしかない。


「あいつは、セレーナのことは俺にまかせてくれ」


 ガルドの叫びは懇願だと言ってもよかった。


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