46 これが私たちの最後の……
時計塔に馬車が到着した。ニエ、ニエと踊り狂うゴブリンの声をくぐって、ファラは馬車に乗り込んだ。
何人かの少女が乗っているのを軽く確認しただけで、彼女たちの姿を消すように目を伏せる。
出入り口近くに腰を下ろすと、曲げた膝に腕を回した。
馬車は走り出す。
彼女たちはローザに差し出されるのだろうか、否定しきれない疑問がファラに浮かび、渦を巻いて広がっていった。
車輪が軋む。馬車が跳ね、車内を揺らした。蒸れた空気と生温い温度が不快感を煽り、心臓を昂らせる。
止めなければならない。
言い聞かせるように繰り返したのは、反芻しなければ決意が鈍りそうになるためだ。
馬車の激しい揺れが鼓動と連動した。
ファラは事の発端が自分にあるものだと思い込んでいる。自傷行為ともいえるほど自分を責め、苛んだ。
ローザを止める決意をしながらも、何とか助けたいという矛盾を抱えている。気持ちの揺れを完全に消し去ることはできない。
なんだって差し出せるのに、救う術はどこにもない。
私にできることはもうない。私に出来るのは、そう、この手でローザを……
それが二人の約束。
「た、すけて」
嫌だ。
絶望の淵に立たされて、ようやくファラは弱音を吐いた。
表に出すことなく抑え込んできた想いを堰きとめることはできなかった。
誰に届くでもない。そんなことはファラ自身がよくわかっていた。ただ一度くらい弱音を吐いてもいいではないか。
囁きにも来た声は、誰に聞かれることもない。ただこの暗闇に溶け込むだけ。それを確認して、決心を固めるはずだった。
「まかせろ」
予想を裏切って声が届いた。
確認のはずだった。
頼れるものはどこにもいないのだと再認識するはずだった。
なのにどうして声が聞こえてくるのだろう。
聞き間違い?
「俺が助けてやる」
確かに聞こえた。
顔を上げる。視界がぼやけた。斬り裂かれた幌の隙間から月明りが忍び込む。
降り立つ影を前にして、目を拭う。心臓が暴れた。
馬車が小石で跳ねる。荒れた路面の状況が車輪を通して、ファラの胸にも届いた。
鈴が鳴る。
強い鼓動を感じる。力強く苦しい。なのにその苦しみは心地良かった。
イズルがいた。
息が、止まった。
見つ、けた。これが私の……私たちの最後の……だ。
唇が渇いている。声を出せない。喉を開いて絞り出そうとする。無理だ。
打ち込まれたガラスのカケラが、少しだけ、浮き上がった気がした。
ファラはイズルの首にすがりついた。
額に温もりを感じる。そっと耳を当てると、彼の鼓動を感じた。
音に包まれる。あれほど暴れてた心臓が、簡単に落ち着きを取り戻した。
「泣きたきゃ、泣け。我慢するな」
無言で首を振る。
「泣かない」
本当は泣きたかった。
人目もはばからず大声で泣きたかった。
「お前は辛い想いをしてきたんだ。泣いてもいいんだぞ」
「次はローザと一緒がいい」
後悔の涙でなく、喜びの涙をローザと共に。
そのためにすることがある。
「イズル」
この人を信じる。
答える代わりにイズルはファラの髪に手を置いた。
「私を、ううん……」
言葉を噛みしめる。
「私たちを助けて」
初めて救いを求めた。
「まかせろって言っただろ」
自分の力ではどうにもならないから助けを求める。
どうしてできなかったのだろうか。
ほら、こんなに簡単だ。