41 罪と報い11 この世の果てで望んだものは……
馬車が止まって外へ出た。屋敷が目の前にあった。外はもう真っ暗で街灯もなく、頼りになるのは月と星の光だけだった。
はっきりしない。私もゴブリンの魔力に当てられたのか、これこそが千年彗星の影響なのか。ぼんやりとした感覚の中で、風の音だけが響いていた。
私は、何をしたかったんだろう?
ちりん、ちりん。
魔物に殺されて悲しむ人がいなくなりますように。
そう祈って頑張ってきた。
その結果、何が残ったというのだろうか?
その問いかけすら、精神を削る。
体の芯が重い。
どうすればよかったのか。
何も考えず、ローザといられる時間を享受していればよかったのだろうか。
アルテナ学院に入学しなければよかったのだろうか。
魔導士になるなんて言わなければよかったのだろうか。
そうすればこんなに思い悩むこともなかったのだろうか。
大けがをしたローザをそのままにしておけばよかったのだろうか。
ローザの命を助けようとした瞬間、この結果に導かれてしまったのだろうか。
だとすればこれは逃れることできない運命だ。
神が定めた、抗うことのできない絶対的なもの。
月明りに影が伸びる。
「やっと来た」
ローザであってローザでない声。
やっと会えた、ここにいたんだ。
愛しく、懐かしい。
ああ、そうだ。ようやくわかった。
私はローザ生きていて欲しかったんだ。
さみしかったとか、偽りの命とか、そんなことじゃないんだ。
答えはもっと単純だった。
ピクニックの日の、あの笑顔を見ていたかったんだ。
指から鈴が、抜け落ちた。
ちりん……
最後の希望が音を立てて、地面を転がった。それは二人がずっと一緒にいるという証だった。
「また、泣いてるんだ」
ローザの瞳に私は映っていない。彼女の瞳には、もう何も映らない。
違う。
これはあのことを後悔しての涙じゃない。
最後のお別れのための涙。
ローザになら、伝わってるよね。
「さあ、始めよう。彼女の弔いのためにも、最初はやっぱり、肉親から」
ローザが両腕を広げて言った。
もう……いないんだね。
ごめんね、結局、私ができるのはこれだけ。
心の中で呟き、腕に魔力を集める。
最後に目が合った。ローザの瞳に様々な色が交錯した。
唸りを上げて襲いかかってきた動きには、魔人としてのキレはない。
どうして?
疑問を感じながら、胸に手を当て打ち込んだ。氷の刃が心臓を確実に貫く。
崩れ落ちるローザの体を抱きとめた。彼女の体は軽かった。一緒に生まれてきた妹にしては、あまりにも軽すぎるその体は、まだ幼く、成長しきれていない。
霞がかった意識が晴れ、実感が戻ってきた。腕で眠る彼女の髪を見て、息を飲んだ。
鈴が、小さな鈴がまだローザの髪に飾りつけられていた。
『これで、離れていても一緒だよ』
頬に張り付いた髪をそっと流す。
ローザはまだここにいた?
取り込まれることなく、最後まで意識のせめぎあいをしていたんだ。
私は髪の鈴を外していた。
ローザはまだ、髪の鈴を残していた。
動きが鈍かったのは、ローザが私のために最後の抵抗をしてくれてたからだ。
私が彼女との約束を果たすために。
よかった。
ガラスのカケラは無事、私を引き裂いてくれた。
「あり、がとう」
微笑んだローザの顔が血に染まった。口いっぱいに血の味が広がった。何が起きたのだろう。考えようとすると、ずぶり、と深く背中に異物が差し込まれた。肉を裂いた異物は体を突き抜け、胸の下から現れた。
赤く染まった剣が、鈍く光っていた。
「せっかく千年彗星まで待ったというのに、こんな結末になるとはな。ローザがお前を殺せば、より強力な魔人、完璧な『娘』となっただろうに」
白髪の貴族のような出で立ち。彼が黒幕なのか。
私の力だけではどうにもならなかった。これが罪を犯した報いなんだ。
ローザ、ごめんね、私のせいだね。
もう離さない、これからはずっと一緒だよ。血の海に沈んでやっと私たちは自由になれる。
だけど、もしも。
もしも誰かの力を頼っていれば何か変わっていたのかな。
例えばイズルに助けてって言えば、変えることができたのかな。
同じかもしれない。運命に逆らうことなんて誰にもできないから。
意識が遠のいていく。これが生と死の狭間、例えるならこの世の果てとでも言うのだろうか。
飲み込まれる。
でもね、まだ私は望んでるんだよ。
奇跡が起きて、都合良く何もかも解決して、ローザと笑いあえるそんな日常を、今でもまだ望んでるんだ。
届かなくたっていい。
最後まで足掻くこと。
それがローザの命を弄んだ私のせめてもの償い。
ちりん。
想いに呼応するかのように、血に染まった私の鈴が音を立てた。
苦しさに息を吐き出そうとすると、髪飾りが宙に浮いた。
「パン」と鈴が弾ける。
仰向けになり、血の海でローザに寄り添った。
雲が去り、やっと家族の星が見えた。
私たちを見守る星は、今日も輝いてる。
空に大きな星が流れた。巨大な尾を引く。暗闇に光の軌跡を残して。
ああ、あれが千年彗星か……綺麗だな。死ぬ前に見れてよかった。
願い事か……
もしも、もしも願えるなら、またローザと一緒に……
目を閉じて広がった暗闇に、光が漂っていた。光は優しく私を照らそうとしてくれる。懐かしい感じ。遠い昔に失くしてしまったものが、帰ってきたような気がした。
なぜか思い出したのは、幼い私をあやしてくれたお母さんの匂い。
お母さんは幼い私の手を取り、頬に当てる。
そっか、伝わったんだね、私の想いが……
両手で触れようとすると、光は消えてしまった。
残されたのは、暗闇だけだった。