39 罪と報い9 嘘つき
結局。
決断なんてできなかった。
先送りする以外の選択肢なんて私には存在しなかった。
翌日、ローザの部屋で寝た。
どうしたの、一人じゃ寝られないの? 子供みたいだね。
からかわれた。
体を寄せ合った。
なくしたくないよ。
この時間も、このぬくもりも。
離したくない。
これからも、ずっと一緒にいたいよ。
深夜、布団の中からローザのぬくもりは消えていた。
イズルと行った時計塔のクエストで、ローザの魔力が暴走した。
体は大丈夫なのだろうか?
心核血晶は?
自問したところで答えは出ている。
限界だ。
ローザにあるのは……かつて私たちが語り合った夢だけだ。
魔導士になって、魔物を倒して、私たちのような人を出さないように、それだけは成し遂げようと、必死になってる。
本人が望んでいる。
応援、するべきなんだろうか。
ローザの命より、夢を優先させるべきなのだろうか。
寝不足のせいか考えがまとまらない。
そういえば、ゆっくり寝たのっていつだったかな。昨日も寝てないや。
「何時?」
時計を見る。もう夜か。考え事をしたり、うたた寝をしたりして、いつの間にか時間が経っていたらしい。
ローザの様子を見に行こう。
今夜はなんだか心がざわつく。不安を揺さぶられるような、こんな感覚は千年彗星の影響なのだろうか。
寝ていたら申し訳ないので、ノックをせずに部屋に入る。何事もなければ、そのまま帰ろう。
こんなに嫌な感じのする夜は、睡眠を十分にとって、やり過ごすのに限る。
月明かりのせいで、薄い暗闇がべっとりと部屋の壁にへばりついていた。
ベッドで寝てるはずのローザがいない。
庭園へ行った?
いつもより早いけど、昨日はずっと寝てたから……
床に影が伸びた。
いたんだ、眠れなかったの?
そう声をかけようとした私の首に、ローザの指が触れた。指に力が込められる。首に食い込む。呼吸を奪われた。かろうじて喉の奥で声を漏らす。
名前を呼んだ。
瞳に私は映っていない。子鬼を握りつぶしていたときの目だ。床に押し倒された。馬乗りになって、私の喉を絞める。
ローザの手首を掴んだ。その姿が滲む。波打ち、揺らぐ。
ファラが止めてね。
あの時の言葉を忘れたことはない。ずっと胸に刺さっている。
「わ、たしは」
私は……
罪を犯した。
ローザを不幸にした。
一人になりたくないばかりに、ローザに偽りの命を与えてしまった。いつ失うかわからない命によって、苦しみの毎日を強いている。これが報いなら、このままローザに殺されるのも……
悪くはない。
意識をなくしかけたとき、悲鳴に似た叫びでローザが手を振り払った。
「逃げて!」
ローザが叫ぶ。再び指が絡みつく。
私は抵抗しなかった。
「いやだ。いやだっ!」
ローザが激しく首を振る。手が離れた。髪を掻きむしりながら、床に爪を立てた。
「卑怯だ、ファラは卑怯だっ!」
え?
「ファラは自分のことばっかりだ。私のことなんか考えてない。私はっ……」
ローザは後ろ手で逃げるように体を引きずった。その動きが、止まった。
「私はファラといられて幸せだったのに!」
私、は?
ローザだけじゃない、私だって。
「私だってそうだよ。私だってローザといられて幸せだったよ」
ローザは首を振る。
どうして否定するの?
「私はファラといるのが楽しかった。だからファラにも笑ってもらいたかったけど、ダメだったね」
何を……言ってるの?
「笑ってたよ、私笑ってたよ。ローザがいたから私笑えてたんだよ?」
伸ばした手が弾かれた。
「私に合わせてただけ」
「ち、がう……」
違う違う違う違う。
私は笑ってた。入学して、ローザと勉強して遊んで、友達もできて、私は楽しかった。
私はずっと笑ってた。
と、そこで。
気づいてしまった。
あるときを境にして、そんな感情が欠落していることに。
震える小指を見つめた。
約束の日だ。だってガラスのカケラはあんなに鋭いのだから。
カケラがもたらしたのは、痛みだけ。
後悔と罪悪感に苛まれるようになって、表面上の笑顔で取り繕うようになっていった。そんな私とは反対に、ローザは不自然なくらいに笑ってた。
ああ、そうか……
ようやくわかった。
ローザは私を笑わそうとしてくれてたんだ。
でも一度だけ。
心の底から笑ったときがあった。
「記念碑広場で」
「そうだね、笑ったね。イズルがいたことで、やっとファラは笑えた」
「だったら」
「そういうことじゃないんだよ。笑ったとか笑わなかったとか、本質はそこじゃない」
ローザの言葉は、私が必死で隠し続けてきた真実を暴く。自分でも意識をせず、ずっと殻の中に閉じ込めて考えないようにしてきたこと。
「ファラは幸せじゃなかった」
貫く言葉は私たちの絆さえも壊してゆく。
「幸せじゃなかったんだよ。私じゃファラを笑わせられない。私じゃ……ダメなんだ」
誰にも知られてはならない。ローザにだけは隠し通さなければならなかったことだ。
私はローザを不幸にした。
私の罪がローザから希望を奪い、夢を奪った。
ずっと、そう思いこんできた。
『ファラは悪くない。だから、謝らないで』
『私は感謝してる』
『私、幸せだよ』
ローザはずっと本当のことを言っていたんだ。
私はローザの言葉を信じていなかった。
彼女を不幸だと決めつけてきたのは、つまり。
私自身が幸せを感じなかったから。
お父さんとお母さんを亡くし、寂しさを紛らわせるために、ローザに偽りの命を与えた。その罪悪感を消すことができなかった。私はずっと苦しかった。ローザのことで悩み、泣くことが贖罪になるのだと。
偽ってきた。
楽しいのだと。
ローザと勉強できて。
遊べて。
友達もできて。
楽しいと自分を偽ってた。
「そんなはずは……」
そんなはずはない。
認めたくない。
認めたら私はローザに対して何も与えられなかったことになる。
「だったら……」
ローザは目を伏せる。
「なんでまた泣いてるの?」
凍てつくような冷たい声。
指摘されて頬に触れた。
指先が濡れていることを知って、慌てて袖を拭った。
見られた。見られてしまった。
「泣かないって約束したのに」
「違うの、これは」
ローザが瞼を閉じて、そっと開いた。
一筋の滴が、流れ落ちる。
「私の幸せもなくなっちゃったよ」
「待って!」
逃げ出すローザにしがみつく。再開したあの日以来、初めてローザが泣いた。どんな辛いことがあっても笑っていたローザが泣いている。離したらダメだ。離したらどこか遠くへ行ってしまう。
「ごめん、もう限界なんだ。理性を保てそうにないんだよ。こうして抑え込んでるだけで精いっぱい。このままだと、またファラを襲っちゃう。いつ誰を襲うか分からない。そうなる前に……」
コロシテ。ローザの心が叫ぶ。
でも、たとえそれで犠牲者が出たって。
たとえ、私たちみたいに、悲しむ人が増えたって。
ソンナコト、デキルワケガナインダ。
「嘘つき」
腕の中の温もりが消えた。
もう手は届かない。
私は一人になった。