37 罪と報い7 近づくその時
ローザは校舎の物陰に座り込んで空を眺めていた。
「風邪ひくよ」
春にしては寒い日だった。冷たい風に身をすくませる。千年彗星は気候にも影響を与えているのだという。雪が観測された地域もあるそうだ。
「ファラもサボリ?」
「ん……」
どう答えていいのかわからず、相づちを打った。ローザはが肩をぶつけ、体を預けてくる。腕を私に絡ませる。
「あったかい」
「どうしたの?」
「呪文、忘れちゃったよ」
心臓がきしむ。
ガラスのカケラがまた食い込んだ。息が止まってしまったかのように呼吸ができなくなり、胸を押さえた。
「きれいさっぱり。記憶の彼方へ吹っ飛んじゃった」
ローザが笑った。どうして今もこうして笑おうとするのだろう。ローザは決して弱音を吐かないし、泣こうともしない。私の前だと、それがより顕著になるように思える。
心核血晶の影響がローザに現れ始めている。
全部私の責任だ。一人になりたくないために、単なる私のわがままで、心核血晶を埋め込んでしまった。
でも泣いたらダメだ。それはローザを否定することになる。
「呪文忘れたら、さすがに落第かな」
「一つずつ覚えなおしていこうよ」
世の中には一つの魔法だけを突き詰める人もいる。幾種類もの魔法を扱うよりも、一つのみを磨き続けることによって、誰にも負けない強力な武器を手に入れることだってできるはずだ。急がずゆっくり覚えなおしていけばいい。
「もちろん」
足を振り上げて、反動で立ち上がる。
ローザは親指を立てた。
「改めて、今日から頑張るぞー」
拳を掲げるその姿が、痛々しくて見ていられなかった。
それからローザは呪文を覚えなおすべく暗記を繰り返した。基礎の教科書をもって、これまで学んできた呪文を呟く日々だった。時間がある限り学んだことを反復した。
だが世の中は残酷なもので、勉強をする時間さえもローザから奪ってしまう。
熱を出すことが多くなった。
早退した日から、一日中ベッドで眠る日が続いた。起きると、私が剥いたリンゴを食べ、教科書を開く。しばらくすると教科書を持ったまま眠りについていた。
やつれているのがわかった。
「委員会の調子はどう?」
「うん、ちゃんと出てるよ。私たちの夢のために頑張らないとね」
委員会の活動について訊ねられ、充実していることを報告するとローザは嬉しそうに笑う。私たちが叶えるべき夢への第一歩だから。人々を守れるくらいの強さを身に着ける始めの一歩。夢のために私は毎日委員会を休まず出席してきた。
その決意が表に出るのだろうか。訓練のときには気負いすぎないように注意されることがある。
そして他人にも無意識で同じ振る舞いを要求してしまう。イズルには強く言い過ぎたかな。彼は彼でローザのことを心配してくれてるのに。余裕がなくなってたのかな。彼はそのことに気づいてた?
初めて委員会を休んだ日。今日くらいはローザとゆっくりしよう。
「今日だけにしてね。私のことはいいから」
そんな寂しいことを言うんだね。でも夢のためなら、二人の時間を犠牲にすることも仕方ないことなのか。
キットソウナノダロウ。
だってカケラはこんなに奥まで潜り込んでしまった。私が強さを手に入れないと約束を果たせない。
「ちょっと暑いね」
「え、うん、そうだね」
さっきローザは寒いと言った。
それから部屋を暖めたのだ。それでも私にはまだ少し寒いくらいだった。
ローザの顔は白く、少し青ざめている。小刻みに震えているような感じもして、とても暑そうには見えない。
外では学生身が縮めて歩く。ローザが暑いと呟く。熱のせいだよと答えを返すと、ローザは部屋の気温のせいだと言った。
私はとてもそうは思えない。でも、ローザがそう思うのならと温めるのをやめた。すると「今日はちょっと寒いね」と言い出した。
その時が近づいているのだと思った。
何かが狂い始めている。
その日が境目だった。
予想に反してローザの体調は回復していった。原因は分からなかった。