3 憂鬱な夢
必死だった。
人影へと走る。心臓がバクバク音を立てて暴れ狂う。呼吸することさえ忘れていたのか、どうしても間に合わせたい焦りなのか。起こり得る惨劇を回避するべく、身を投げ出した。
鈍い痛みがした。太い腕が体を貫く。
口から滝のように血がこぼれ出る。
危機を脱したのは一瞬だけ。呆然とする少女に声をかけようとした。声が出ない。
絞り、出す。
「逃げて」
覚えているのはその一言だけ。
きっと、その記憶も、すぐになくなってしまう。
今朝見た夢を思い出すと、憂鬱になる。
夢、というのは適切な言葉なのか。誰かの意識が脳内にぶつかってきた。そんな感覚。レヴィアは確か『魂の共鳴』って言ってたかな。また今度ちゃんと確認しないとな。
偶然なのか、必然なのか。いずれにせよ、この魂の共鳴が誰かの意識なら、その人は生きているのだろうかと疑問が浮かぶ。
無理だな。
イズルは寝ぼけ眼をこすりながら、黒基調で赤ラインのブレザーを羽織った。深く赤いネクタイを締めると、足をよろめかせて黒のスラックスを履き、寮を出た。
眠い。
夜のギルド仕事はやはり疲れる。
寝坊したおかげで、食堂の朝食には間に合わなかった。メインホールを抜け、学術塔へ向かう。
重くなる瞼を指で押し上げる。これならば予鈴に間に合うだろう。ああ、何て優等生なオレ……
イズルはようやく学術塔にたどり着いた。その後方には学院内の魔力を生み出す主塔が聳える。
「よお」
熊が手を上げて挨拶する。イズルはその髭面を見て力が抜けた。暑苦しい顔を見せられて精魂尽き果てそうになる。
「熊肉は間に合ってるぞ」
「俺を喰う気か!」
毛むくじゃらのガルドが叫ぶ。ああ、獣臭い。最近ますます野獣じみてきてないか。
イズルを覆いつくすガルドの影は、威嚇する熊のように周囲の生徒にも威圧感を与える。
「おはようございます」
登校する生徒たちが、身を縮めてか細い声であいさつし、ガルドの脇を通り過ぎる。
驚かせすぎたと反省したのか、ガルドは咳ばらいをし喉の調子を確かめる。
「うむ。おはよう」
威厳のある教師を取り繕うようにガルドは挨拶を返す。
「イズル、ちょっと来い」
ガルドが手を伸ばす。イズルは裾を遠ざけた。
「やめんか、そんなナリだ。どうせ、あんたの手は汗でべちゃべちゃなんだろ」
ガルドの周辺だけ、湿度が上昇しているのではないだろうか。いつもより暑く感じる。
「ん、そうか」
ガルドは手の平を頬に当てる。
「大丈夫だ。今日はしっとりしてるだけだ」
「もういいから、オレに触るな。おっさんの汗なんぞに触れたくない」
イズルは距離を空けて、ガルドの案内する方向へ歩く。
学術塔の裏に生徒たちの姿はない。
「お前、週末はどうするつもりだ?」
「どうって?」
明日が終われば、週末の二連休だ。学費稼ぎのためにギルドでクエストでも探そうか。あ、昨日のあいつに仕返しするのもありか。
「もうあの屋敷には近づくなよ」
「そのことか」
魔人アルフレッド。今月の学費を稼ぐチャンスだったのに、心核血晶はあの男の体内だ。イズルは昨夜の光景を思い浮かべる。
「ムカムカしてきたな。明日と言わず、今夜ぶった斬りに行くか」
「だから、やめろと言ってる」
「なんでだよ」
「あの屋敷を見たはずだ。あの壁から向こうはヤツのフィールドだ。戦うならそれなりの準備が必要だぞ。ましてやお前は苦学生なんだろ?」
「それは、まあ、確かに」
魔法を使えない身で、あの屋敷に攻め入るとなると、相当数の魔法石と結界石が必要だ。資金も必要となってくるし、ギルドにそれだけの在庫があるのかも怪しい。
「お前、あんなヤツに貴重な金と時間を費やすつもりか? デート代もなくなっちまうぞ」
「それは、由々しき事態だな」
あいつにむかつくのは確かだが、話を聞いていると、あんなのを相手にするのは、デメリットの方が上回る気がしてくる。
デート代までなくなると、遊びに行けないじゃないか。
だったら、このイライラはどこへ向ければいいんだ?
「あいつのことは俺にまかせろ。準備ができたらお前も誘ってやるから」
「ほう?」
考え込むイズルにとって、ガルドの提案は魅力的なものであった。アイテム代はガルドにまかせて、おいしいところだけ頂くのもいい。
このむかつきは、その時に発散すればいいわけか。
「俺はクエストだけでなく、教師としての収入もあるからな。お前にとっても悪い話ではあるまい」
熊面でにんまりとガルドが笑う。さながら、獲物を前にした猛獣だ。
「た、確かに」
「浮いた金はデート代にも使えるぞ」
ごくり。イズルは唾を飲み込んだ。
「仕方がないな。本当はすぐにでも、仕返しに行きたいんだが」
「焦るな。お前はデートでもして、機会を待ってろ」
バンバン、ガルドが背中を叩く。
「おい、まさか。オレの服で手汗拭いてないよな?」
「しっとりしてる程度だ、問題ない」