23 休むべき
「なあ、ファラ」
肘をついて、声をかける。ローザの席に主の姿はない。あれから三日休み続けている。
ファラは教科書と筆記用具を片付けていた。クラスの生徒たちはそれぞれの放課後を過ごすべく、教室の外へ出ていった。
風邪ならそろそろ改善の兆しがあるだろうか、具合を聞くくらいならいいだろう。そう思って、同じ質問をするのも今日で三日目だ。
「ローザの調子はどうだ?」
「もう少しかかるかな」
ファラは黒板を見つめたまま言った。同じ答えが返ってくるのも今日で三日目だ。
声の調子だけが違った。かすれ気味になった声には、疲労がにじみ出ていた。
急な質問に応じる咄嗟の返答は、本人が意図せずとも、隠しているものを差し出してしまうことがある。
「よし、見舞いに行くか」
その前に安全委員の特権を利用して外出し、リンゴを買ってきてやるか。華麗なる剣技でローザにリンゴを剥いてやろう。その間はファラも部屋で眠れる。
名案を思い付き、イズルは早速出かけようとする。
「女子寮は男子禁制」
「オレを誰だと心得る。安全委員様だぞ」
バン!と腕章を突き出した。女子寮へのパスポートにもなる優れモノだ。
「それ職権乱用だよ」
「いいんだよ、黙ってりゃバレないって」
「ダメだよ。今日は訓練の日なんだから」
「ファラも訓練行くのか?」
「行くよ、当たり前でしょ。どうしてイズルはサボったりするの」
珍しいファラの剣幕にイズルはたじろいだ。普段の穏やかな彼女に比べて余裕を感じない。疲れが溜まっているのだろうか。
「どうなの?」
「ええと」
イズルは虚空に視線をさ迷わせた。
「あれだ、千年彗星のせいだ。ギルドも人が足りなくてだな。で、その前に見舞いに行くと。そういうことだ」
完璧な言い訳だ。
千年彗星が学院だけでなく、街にも影響を与えているとの情報は安全委員でも共有済みだ。
魔物の活発化で、ギルドの依頼が増えて、クエストの消化が間に合っていないのは事実だ。
「あなたはその前に安全委員でしょ。学院内の活動が優先されるの」
「ぐぬぬ」
安全委員は金にならないし、と心の中で反論したが火に油を注ぎそうで黙っておくことにした。
「ほら」
促される。
いや、お前はダメだろ。休むべきだ。
気圧されてイズルが教室を出ようとすると、廊下がどよめいた。生徒の波が左右に分かれ道を作る。次々と視線が注がれる。
注目されることを意識する素振りも見せず、人影は教室の前で立ち止まった。安全委員会統括エメリア・アーキルだ。学院中の羨望の的である安全委員会を束ねる彼女の出現は、下級生の関心を独占した。
「エメリア先輩」
ファラも驚きの声を上げた。
「げげ」
「イズル。今日こそは逃がさんぞ。無断欠席ばかりして」
「かわいいけど怖い先輩が来た」
ボン、とエメリアに頭から湯気が吹き出す。
「あ、あほたれ。先輩になんてことを言うんだ」
普段使わない言葉がエメリアから発せられたことで、生徒たちがざわめきだした。彼らが知っているのは、毅然として陣頭指揮を取る彼女の横顔だけだ。そんな普段の彼女からかけ離れた言葉に衝撃を受けたようだ。
エメリアは大きく喉を鳴らして咳払いをした。
「さあ、付いてくるんだ」
声を低くして威厳を保つ。
「捕まってしまった」
イズルはうなだれた。エメリアから逃げ出すのは難しそうだ。
「はい!」
凛としてファラが答える。
「先輩、ファラは今日妹の看病をしたいんだってさ」
「ちょっと」
鋭く非難しようとするファラの意思を無視する。任務をこなして、帰宅後はローザに付きっ切りだと、ファラまで病気になってしまう。
多少強引だが、イズルはエメリアを利用して強制的に休ませることにした。
「妹か。看病なら仕方ないな」
「イズル、何でこんなことするのよ」
納得できない、というふうにイズルを睨みつける。
「オレが見舞いに行けないなら、代わりにお前がいてやれ」
「私たちはこんな事されても嬉しくない」
「先輩先輩。見回りして帰宅して看病して登校して、また見回りしてたら、そのうち任務に支障でますよね? 肝心な時に力を出し切れないかも」
イズルは非難の視線に対して、舌を出して見せた。
「もう!」
やり場のない怒りに、ファラは廊下を踏みつける。それだけ委員会の活動を真剣に捉えているのだろう。彼女たちの目指す、人を守る仕事に続く道だからこそ。
「そうだな。今日は休んでいい。ファラは気負いすぎてるところがあったからな。心身を休めるのも仕事のうちだ」
安全委員会統括エメリアに諭されては、ファラも頷くしかなかった。