彼女の幸せ
最終章
「・・・っ」
夏樹はドアに寄りかかりながら
声を殺して泣いていた
沙羅の部屋を出たあと
無我夢中で帰ってきた
気を抜いたら涙が流れそうで
自然に足は速くなっていた
「・・・・っく」
それでも押し殺しきれなかった
嗚咽がたまにこぼれてしまう
乱暴に涙を拭って
部屋に入る
髪を縛りなおして
洗面所に向かうと
冷たい水で顔を洗った
ふと顔をあげると
鏡の中の自分と目が合う
“・・・酷い顔”
思わず笑ってしまう
タオルで水をふき取り
リビングに向かい腰をおろす
大きく息を吐いて
天井を仰ぎ見る
ピンポーン
来訪を知らせる音が響き
夏樹は眉間に皺を寄せる
今日は来客は無いはずだ
約束もしていない
ゆっくりと立ち上がり
ドアをあける
「・・・和人」
いるはずの無い恋人に出会い
二の句を告げられずにいる
走って来たらしく
彼の息は切れていた
「どうしたの・・・?
何か急ぎの用事?」
何度も瞬きをしながら訊ねる
「会いたかったから」
彼は夏樹の目を見て応えた
その返答に内心苦笑してしまう
この恋人は思った事を素直に言ってくれる
そんな彼に何度救われた事だろう?
「ありがと・・・寒いし入らない?」
頬を朱に染めながら中へと促した
彼は頷いて靴をぬぎ中に入った
夏樹はキッチンに立ってお湯を沸かす
「コーヒーでいいかしら?」
振り返ることなく聞く
「悪いね、気を使わせて」
彼はおそらくコートを脱いでいるのだろう
布のすれる音がする
お茶菓子を探そうとした彼女を
和人は後ろから優しく抱きしめた
驚いて振り向く彼女に
そっと触れるだけのキスを落とす
「何かあった?」
彼は彼女の目じりを指でなぞりながら
訊ねた
「・・・それは・・・」
言おうとして
考える
「勘違いならいいんだ」
彼は彼女を抱きしめながら
言った
「何だか・・・夏樹が泣いてる気がして
そう思ったらここへ来てた」
和人は腕を緩め
目を伏せながら言った
その言葉に目を見開く夏樹
“敵わないわ・・・・”
苦笑いをして彼を見つめる夏樹
お湯が沸いたのだろう
やかんが湯気を噴いている
和人は夏樹を離しコーヒーメーカーに
お湯を注いだ
コーヒーのいい香りが部屋に広がる
「夏樹はブラックだったね」
彼はカップに注ぎながら
彼女のほうを見る
夏樹はそれに頷いて
お茶菓子を取り出す
カップを持とうとすると
和人が先に進んでいた
仕方なくお茶菓子だけを持って
リビングに向かう
お茶菓子を置き
和人の隣に腰をおろす
コーヒーを一口飲んで
ふと外に視線を移す
先ほどまで止んでいた雨は
また降り始めていた
夏樹はカップを置くと
和人に向き直った
「和人・・・話さなきゃいけないことがあるの」
それは自分の過去の話
いつかは話さなければならない
「聞いてくれる・・・?」
夏樹は和人を見上げて訊ねた
「もちろん」
彼は笑顔で応えた
夏樹は話し始めた
天界と地界が存在する事
そして自分はかつて
天界で暮らしていた事
だがある日を境に
天使たちに追われ数えるほどに減ってしまった事
そして
そんな天界を滅ぼす為に
地界の者とともに戦ったこと
そして
素性を隠し
自分の居場所を探していた事
そして
唯一である仲間の沙羅の事
ずっと共にいたからこそ
道具として扱われる場所へ送り出したくなかった
だが彼女はそれでも
愛しい者の傍にいる事を臨んだ
その思いの深さを知って
彼女に別れを告げた事
和人は黙って聞いていた
時折相槌を打ちように
頷きながら
「辛かったね・・・」
彼は夏樹を強く抱きしめた
「信じてくれるの・・・?」
夏樹は抱きしめられた事に驚きながら
聞き返した
「疑う必要なんて・・・何処にも無い
僕は“楢沢夏樹”という人間に心を奪われたのだから」
彼は夏樹をあやすように
頭をぽんぽんと撫でた
「ありがとう・・・・」
夏樹は涙を流しながら言った
「これからは
ずっと支えあっていきていこう?」
彼は体を放し涙を指で優しく拭いながら言った
夏樹は笑顔で頷いた
どちらからともなく
唇を重ね
深く口付ける
お互いを抱きしめて
ここにいる幸せを分かち合った
沙羅や夏樹たちが
捜し求めた
楽園―エデン
それは何処の国にも
ありえる物なのかもしれない
ただ
その場所は
誰にもわからない
住みやすい場所が
エデンになるのではない
そのものの
心休まる場所が
彼らの、彼らだけの
エデンに成り得るのだから
Fine




