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第九話

 『…まずい』

 『旅兄たびあにっ、さっさと奥へ逃げろっ!!』

 呟いた旅兄さんの声はうわずり、ヴァルの警告は切迫した緊張を孕んでいた。

 『お前達も早く逃げるんだ!!早く地下へ…』

 旅兄さんが子グモ達に言った、その時――…

 『そう急く事はないではないか』

 『ウキャアアッッ!!』

 『あっつぅう…っ!!』 

 次の瞬間、この部屋の窓全体が黒紫の炎で一瞬で塞がれ、破れたガラスの窓から侵入した炎が、子グモを2匹触手の様に動き絡めとってしまった。

 『地グモが地上へ出るなど珍しい。さて…どんな味なのだろうなぁ』

 言葉と同時に炎の中から大きな銀色の異形の瞳が5つカッと見開かれ、それを目の当たりにした私は全身総毛立った。

 轟々と音を立てる紫炎の熱は熱風となって室内を一気に暑くさせ、5つの瞳はそれぞれ違う方向をギョロリと見回し、その内の一つが旅兄さんの背に張り付けられた私を見て止まった。

 『…なんと、生きた人間ではないか、これは珍しい。…貴様…―――…もしや選定者ブハヴァアグラなのではないか?』

 「…っ…―――…」

 私の体は無意識の間に後ずさろうとし、しかし動けずにクモの糸のせいでそう出来ないことに後から気付いた。

 『精霊ダイモンの輝きを感じる。―――…なるほど、良い“土産”が手に入ったわ』

 話し終わると同時に、窓ガラスを溶かしながら紫炎が私に向かって伸ばされた。

 「…っ…ヴァルぅうう――――――っっっ!!!」

 叫んだ瞬間私の体は旅兄さんから離れ、思いきり後ろへと引っ張られていた。

 「ぃだっ…!」

 背中から思い切り床へと転がった私は、痛みをこらえて上半身を起こした。

 『面白い――…“影”を操る能力か。人間が直接戦闘するタイプではないようだな』

 見上げた先には――――黒い粒子を全身から放つ、人型の黒い異形が私に背を向けて仁王立ちしていた。

 2メートルほどの全身の各所に、ぬめるような光をまとった黒い金属装甲をまとい、下半身は獣の足で、その腿や膝下にも装甲を装着している。影で出来た尻尾が私の目の前で粒子を散らしながら揺らされていて、不意に私の方を振り返った異形は、装甲からのぞく金色の瞳で私を見て言った。

 『薫…早く逃げろ。こいつは我が―…』

 ヴァルが言い掛けた瞬間。


 ゴヴァアアアアアアア―――――ッッッ!!!


 黒紫の炎が化け物から一気に噴出し、会議室のすべての壁を伝って広がり部屋中を瞬く間に覆いつくしてしまった。

 『誰が逃すものかよ…貴様等は全員、わしの獲物だ』

 5つの瞳がそれぞれに蠢きながら、ニィイッと細められた。

 急いで背後を振り返った私の目に飛び込んだのは、先程まであったはずの2つの出入り口が紫炎に覆われ、完全に塞がれてしまった光景だった。

 『熱ぃいいっっ!!!』

 『助けてえ…っっ!!!』

 『ぎゃあああ…っっ!!!』

 『…ッ!!皆っ…』

 壁に張り付いていた子グモ達が、炎に焼かれて叫び声をあげながら触手と化した紫炎に巻き取られ、化け物の瞳の方へと移動させられていく。

 歯の根の噛み合わない音を聞きながら、四方から吹き付ける猛烈な熱気のさなか、全身の体温が凍り付いてしまうような恐怖に私は身を強張らせた。

 『薫…!!』

 気付くとヴァルがすぐ傍らにやって来ていて、その影の粒子で私を包み込もうとしていた。

 『この炎はまずいな…ひとまず我の中へ身を潜めろ』

 ヴァルは小声で言い、私はヴァルの中へプールに飛び込むようにして体を滑り込ませた。

 「…っ…沈ま、ない…?」

 私の体は闇に包まれるとそのまま宙に留まり、辺りには光も何も見えなかった。

 「ヴァルっ…いるの?」

 『我はここにいる、しっかりスケッチブックを守ってくれよ。―――ー奴がやって来たっ!!』

 何かに吸い寄せられる感覚を覚えた瞬間、なぜか私はヴァルの“視界”と同化し、間近に迫った炎の化け物をドアップで見る羽目になってしまった。

 「ぅわああっっ!!!」

 化け物の触手がヴァルを絡めとろうとしたその時、ヴァルは形を変え、そこら中に転がっていた机やいすの影の中へと自身を隠形させた。

 『む…!?影と同化したか』

 影の中に潜んでも私に見えるヴァルの視界は生きていて、水中から上空を見上げているような歪んだ映像が映っている。

 『このまま移動して、窓から外へ脱出する』

 ヴァルの声は、闇に包まれた空間全体から響くように伝わって来た。

 「ま、待ってヴァル!旅兄さんや子グモも一緒に…」

 『知ったことか。薫…今我々を襲っているのはおそらく魔族と呼ばれる、より高位の存在。しかも奴はその中でも、中級程度の実力を持つものだ。奴等地グモはしょせん魔獣に過ぎぬ存在、中級魔族に勝てるものか』

 その間にも炎の魔族は次々と子グモをその触手で捕獲し、自らの炎の中に飲み込んでいる。耳を塞ぎたくなるような絶叫が辺りに響き渡り、旅兄さんはその中でイスや机を使って炎の魔族を遠ざけようとしているが、子グモ達の数はどんどん減っていき、旅兄さんが捕食されるのも時間の問題だった。

 「…っ…じゃ、じゃあ旅兄さんだけ!それならいいでしょう、早くしてよヴァル!!」

 ヴァルは黙り込んでしまい、じれた私は更に叫んだ。

 「あんたは私の下僕でしょ!!さっさとしろよっ!!」

 『―――逃亡の機会を逃すかもしれんぞ』

 ヴァルはため息交じりに言うと、しぶしぶといった感じで移動を開始した。

 最後に残った旅兄さんは会議室の隅へと追い込まれてしまい、5つの銀の瞳が小動物をいたぶるかのようにその姿を見下ろしていた。

 『あの人間とお前は知り合いか?なら、助けを呼んで泣き叫べ…!!』

 『――――…こ、殺さないでっ…僕死にたく、ないよっ…』

 旅兄さんは恐怖で縮こまると、魔族は目を見開いてさらに近づいた。

 『うわぁ~こ、怖いよお~っ!!』

 旅兄さんは叫びながら魔族に背を向けた。

 『なんとも情けない姿だ。貴様等には地の底を這いずり回るのがお似…』

 『――…そうかもしれないけど、一矢報いることは出来る』

 魔族の言葉を遮り最前までの態度を豹変させた旅兄さんが言った、その瞬間。


 ビビビビビビィイイッッッ!!!


 旅兄さんの背中から発射された細かな“棘”が、魔族の目玉に突き刺さった。

 『ぐぁっ…がぁあああ―――っっっ!!!』

 一つの眼玉が傷つけられた魔族は、叫びながら大きく後退した。

 『貴っ…様ぁあ゛っ!!手足をもいで丸焼きにしてやるぅあ゛あ゛っっ!!!』

 黒紫の炎が旅兄さんめがけ迫った。


 ―――ーッザァアアッッッ!!!


 刹那、床から発生した黒影の“波”が旅兄さんを飲み込んで再び床の影と同化した。ヴァルが変化した影は素早く床を移動し、魔族が侵入してきたビルの窓へ向かって逃げた。

 『待てぇえ゛っっ!!!』 

 魔族が怒り狂いながら、黒紫の炎で床を攻撃してくる。


 ドゴォオッ!!ドゴッッ!!ドゴォオ…ッッッ!!!


 攻撃された床は一瞬で爆散し、まるで私達は凶悪な一発死のモグラ叩きゲームでもさせられているように、右に左に攻撃を回避しながら必死で窓を目指した。

 「ヴァルっ、窓は塞がれてるよ!?」

 『少しの隙間さえあればいい―――…そこだっ!!』

 ヴァルが発見した窓は、ガラスが溶かされ炎との間にわずかな隙間が見て取れた。ヴァルは一気にスピードを上げると壁面から窓へ影を伝わせ、溶けた窓ガラスと炎の隙間に影を這わせ窓外の壁面へと脱出を果たした。

 「わわっわわわわぁあっっ!!」

 ヴァルは地上へ向かって、そのまま壁面を伝って影を走らせた。垂面直下な視界に、自分の体が落下しているような錯覚に陥った私は思わずみっともない声を上げてしまった。

 『…ありがとう…――危機一髪だったよ』

 私のすぐ隣から声がし、真っ黒なヴァルの空間からヌッと旅兄さんのクモの顔が現れた。

 「…っ…よ、良かった。でも、他の皆は――…」

 『うん…でもあんな魔族相手じゃ、勝ち目は無かったよ…』

 「中級ってヴァルが…それってかなり強いの?」

 『うん、たぶん母さんでもかなわない。早く外のどこかに…』


 ――…ッドゴァアアアッッッ!!!


 『ッ!?なっ何っ!!?』

 旅兄さんが言い掛けた瞬間私達のすぐ傍らの壁が爆発し、その中から黒紫の炎が噴出した。

 『どこへ行く―――…わしから逃げられるなど思うなっ!!』

 中級魔族は叫ぶと空中へと体を投げ出して飛行し、炎の触手をヴァルめがけて射出した。

 『くっ――…!!』

 ヴァルは影を急旋回させて方向転換すると、近くにあった破れ窓から部屋の中へと逃げ込んだ。

 射出された黒紫の炎の触手が壁に当たると、そのまま意思を持った蛇のように移動し、ヴァルを追って素早く部屋の中まで入って来た。

 『お取込み中悪いけど…他の兄弟達が心配だから、あまり建物の中ではっ…―』

 『うるさいっ!!そんな余裕などあるか!!貴様は黙って何か対策でも考えていろっ!!』

 ヴァルが入り込んだ場所はどこかの会社のオフィスで、散乱したデスクや棚が部屋中に広がっていた。部屋に魔族の炎が侵入して来ると同時に炎が一気に壁面を伝い、また私達を部屋の中へと閉じ込めようとした。

 『また外に出るんだっ!!外の暗闇に紛れれば奴には見つからないはずっ!!』

 『…っ…!!』

 旅兄さんの言葉にヴァルは部屋の奥へ逃げ込むのをやめ、横に移動して魔族の炎に覆われていない別の窓から外に出ようとした。窓枠から外壁へと脱出したその時、死角からいきなり黒紫の炎が襲い掛かって来た。

 『ぐぁああっっ!!!』

 「ヴァルっ…!!」

 ヴァルの影と黒紫の炎が触れた瞬間、影化していたヴァルは叫びながら元の獣人の姿へと実体化してしまい、そこをすかさず炎が蛇のようにヴァルの全身に巻き付いた。

 「…ッ!?ぁああああっっっ!!!」

 『ぅああああああっっっ!!!』

 途端にヴァルの中にいる私や旅兄さんにも炎の激しい熱痛が襲い、まともな思考を奪ってしまった。

 (熱い熱い熱い熱いぃいいっっ!!!)

 『逃げ切れるとでも思うたか――…わしの力ならば、この建物全体に炎を広げるなど雑作もない。さて―――…とくと見せてみよ、形を得た貴様の姿を』

 声とともに私達の周囲に一気に巨大な黒紫の炎が巻き上がり、その中から4つの異形の瞳がカッと見開かれ私達を取り囲んで凝視した。

 『ぐぉおおあああ…っっ!!!』

 『あぁ、そうだったな。このままでは貴様等は焼死してしまう…これならどうだ?』

 魔族が話し終えた途端、あれだけ扱ったはずの炎が熱を失い激痛が潮が引くように治まっていった。

 『…また逃げ出そうとすれば、貴様等を一瞬で塵に帰すぞ。分かったか』

 ヴァルは荒い息を吐きながら自分を見つめる魔族を見上げた。

 『……分かった。抵抗はしない…』

 『良いだろう。では―――…わしの目を潰した忌々しい地グモを、表に出せ』

 「…ッ!!」

 『さあ、早くせんとまた炎の拷問を開始するぞっ!!』

 『――――分かっ…』

 「ヴァルっ!!私を出して、今すぐ!!」

 『なっ…何を言うのだお前は!こんな魔獣など…』

 「―――…ッ!!」

 私は目の前に投影された外の映像に向かい手を伸ばし、両手をかいて外へ出ようとした。

 『馬鹿者っ!!やめっ…』

 黒い粒子が私を押し戻そうとするが、構わず光に向かい両手足を思いきりかいた。すると空気が変わった瞬間、私の上半身はヴァルの外側へ突き抜けた。

 「それは出来ないっ!!もうあの子は別の場所へ逃がしたから!!」

 4つの銀の瞳が私に集まり、ギロリと睨み付けた。

 『…嘘を言うな。あれだけの短時間にそのようなことが出来るものか。また灼熱の苦しみを貴様に味わわせてやろうか…!!』

 『薫…!』

 紫炎が私の首や上半身に巻き付き、じわじわと温度を上げていく。脳裏に悲鳴を上げながら焼け死んでいった子グモの姿がよみがえり、全身が意思とは無関係にブルブルと震え出した。

 しかし私は、逆に魔族を睨み上げて言った。

 「…っ…それが――…出来る能力なんだよ、ヴァルはっ…」

 取り巻く炎がさらに勢いを増し、私は火だるま寸前の姿となってしまった。熱湯にかかったように全身が痛み始め、強く目をつむり歯を食いしばりながら私はそれにただ耐えた。

 「あんただって――…いっぱい子グモを殺しただろうがっ!!一匹逃がしたからって何だってんだよっ!!」

 『黙れぇえ゛え゛っっ!!!』

 一気に炎が膨れ上がり、高温化した炎に上半身があぶられると、体中に針を突き刺されたような激痛が走った。

 「ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!」

 (死ぬっ死ぬんだ―――…今度こそ、私っ…)

 『薫っ!!待て、魔族っ…』

 「ヴァルぅっ…黙って、ろぉ゛お゛…っ!!」

 あまりの激痛で涙や鼻水まみれになり、狂ったように叫び続けながら何でこんな目に遭ってまで旅兄さんを守るんだろうと、どこか冷静に考える自分がいた。

 黒紫の炎が轟々と耳元でうなり、意識が遠のいていく――――…でも、今ここで誰かを生贄として差し出して自分だけ助かろうとするほど、私は自分の命にそんな価値が有るとは思っていないのだと、ふと気付いた。

 (…だからまぁ…良いや――…)

 そう思ったのを最後に、私の意識はブラックアウトした。



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