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第七話


 上の階からコートや大判のひざ掛けなどを探してきて、ビルの地下階にぽっかりと空いた巨大な“穴”をヴァルと二人でのぞき込んだ。

 穴は斜面になって奥へと続いていて、意外にも転々と蛍色の光が道標の様に灯っている。穴からは今も子グモ達が出たり入ったりしながら、私達の傍らを過ぎて行った。

 『早く~、こっちだよ~!』

 私はヴァルを振り返った。

 「ヴァル、ほらあの姿」

 『ああ』

 赤黒いツタ姿のヴァルが光に包まれると、形を変えながらどんどん小さくなっていく。体長20センチほどに縮むとそれは人型へとさらに変化し、徐々に光が薄まると―――ヴァルの姿は、私が先程描いた“黒い野獣”の姿へと変化していた。

 私は屈みこんで、その小さな野獣に手を差し伸べた。

 「ほんとにちっちゃくなったね」

 ヴァルは私の腕を伝い、素早く肩に駆け上がった。

 『ふむ、身軽になった。お前を“影”で守る事も出来るな』

 立ち上がった私自身の影が勝手に伸び、立体化して私の体をシュルシュルと覆った。

 「うわっ…すごっ!」

 私がその影に触れてみると、それはガラスのように冷たく硬かった。

 『…用心しろ薫。これから、何が起きるか分からん』

 私の耳元で、巻いたストールの中に忍び込んだヴァルが警告した。

 「うん…」

 私は子グモと共に、奥へ続く斜面を降り始めた。

 下り始めて気付いたのは、上にいた時より気温が暖かく感じる事だった。

 母グモが作ったのであろう地中の道は広く、高さが数十メートルで横幅も同じくらいあった。地中にも例の如く界樹ダーツリュージュの根が張っていて、蛍色の光を放つ結晶がその根から所々生えている。

 「ここにも界樹の根があるんだ…」

 子グモが歩きながら説明した。

 『界樹はねぇ…すっごぉおっく硬くて、誰も食べれないし取れないんだよ。だから皆根を避けて穴を掘るんだ~』

 「へぇ…利用する事は無理か」

 私は穴を見上げながら呆けたように呟いた。

 「しかしすごいなぁ…よくこんな道作れたもんだね」

 『ママは力持ちだからね!ここら辺の魔族や魔獣は、皆ママを怖がってるよ~!』

 「…だろうね」

 広い道の途中に横穴がいくつもあり、そこを子グモ達が出たり入ったりしている。前を歩いていた子グモが止まり、その内の一つの横穴を指し示した。

 『ここだよ!ここがあたし達の寝床なんだよ!』

 まさか糸に絡まってそのまま餌になるなんて事は――…と危惧しながら、私は高さ数メートルの入口の中へ進んだ。

 思った通り――――その中は糸だらけだった。

 壁に沿ってそこら中に糸が張り巡らされ、その上で子グモ達が各々体を休めている。

 「…あのさ、多分私…糸に引っ付いちゃうと思うんだけど」

 『だぁ~いじょうぶ!ほら、あれ見て~』

 子グモが前肢で示した部屋の片隅にあるものを見て、私はギョッとした。それは積まれた毛皮の山――――つまり、子グモ達の“食べ残し”の山だった。

 『あれを使えば床が固いのも気にならないでしょ!』

 中身を抜き取られた、様々な種類のミイラ化した死体が積み重ねられている。近寄ってみると、それは微かな腐敗臭を放っていた。

 私が言葉を失いながらそれを見ていると、子グモが声を掛けた。

 『じゃあ案内したから、あたし行くね。じゃね~!』

 「あっ!――…っ…」

 子グモはさっさと部屋を出て行ってしまった。

 残された私は辺りを見回してみた。

 天井や壁のへこんだ部分に糸を張り、子グモ達がモソモソと動いている。私を襲う気はないみたいだけど、それはあまり心安らかな光景とは言えない。

 私は積まれたものの中から、汚れていないさそうな毛皮を引っ張り出してみた。

 「これって何か…――豹みたいな柄だな…」

 だいぶ古い革なのだろう、肉の部分もカラカラに乾き、よく金持ちの家のインテリアにある様な虎の開きみたいになっている。臭いは微かにあるが、これなら地面に直接寝るよりはだいぶましだった。

 『どうだ、大丈夫そうか?』

 「うん…あとましなのが2枚くらいあれば――…」

 私はなるべく下の方の古い毛皮を選んで色々探してみた。

 そうして別の柄の2枚を手に入れた私は、それを一枚ずつ引きずって入り口近くの壁際の地面に2枚重ね、コートやひざ掛けの上に一番ましな状態の毛皮を、毛の部分を下にした状態で上に重ねた。上階で手に入れたタオルを丸めて枕代わりにすると、見た目だけは立派な布団になった。

 私は荷物を下ろすと、その布団に腰を下ろした。

 「やっぱり少し匂うな…まぁ、それはしょうがないか」

 毛並みを手で確かめてみると、結構上等な毛皮のコートみたいに良い毛触りだ。

 「…ヴァル、服脱ぐからどいて」

 『分かった』

 ヴァルは答えた途端“影”と化し、私の体からその気配が消えた。

 「ヴァル…!?どこ行ったの?」

 『ここだ、お前の影の中にいる』

 私の影の中で金色の瞳が輝いた。

 私はボディバックを下にひいた毛皮の間に隠し、靴や身につけていたもの、コートを脱いでから布団にもぐりこんだ。毛皮は匂いが気になり最初は冷たくて体温が奪われたが、しばらくすると徐々に暖かくなってきて、慣れて来たのか匂いもあまり気にならなくなった。

 何だかお腹も空いてきたが、今は睡魔の方が勝っている。思わず大きなため息が口を吐いた。

 ここが、これから次の世界が決まるまでの私達の現実世界―――…きっと弱者は虐げられ、強者はさらに力を握る、これまでの世界よりももっと過酷で恐ろしい世界になるんだろう。

 (ああ嫌だ…くだらない神の座をかけて、また何千何万の弱者が踏みにじられるんだ―――…私だって、きっと誰も助けないし、守ったりなんてしない。…くだらない争いになんて、巻き込まれるのはごめんだ)

 とりあえず今は何も考えたくない。何も考えずにただひたすらに眠りたいと強く思った。

 「ヴァル…ヴァルは寝なくても大丈夫なの?」

 私は半分眠りに意識を失いながら聞いた。

 『基本的には寝なくても問題はない。――…だから安心して眠っておけ』

 何だか――…この初めて出会った精霊ダイモンから、一番多く優しい言葉を掛けられているような気がして、それに気付いても深く考える事も出来ないままーーーー私はいつの間にか深い眠りへと落ちていった。



 私は廃墟の街並みを闊歩していた。

 視界が揺れて、私は自分が“スキップ”をしていると分かった。しかし周囲の光景はとてもじゃないがスキップするようなものではなく、私は恐怖に体を竦ませた。


 辺りは―――死体だらけだった。


 老若男女様々な人間が、大量に死んでいる。

 (ちょっ…これヴェーダラになるんじゃ…)

 私が怯えながらそう思った時、案の定死体が叫び声を上げながら息を吹き返し暴れ出した。私は恐慌状態に陥って早くどこかに逃げなければと慌てているのに、夢の中の私はそこから一歩も動こうとしなかった。

 (な、何で…!!逃げなきゃ食われ…)

 眼前に広がる光景のほとんどが、羽化したヴェーダラによって埋め尽くされようとしていた。


 『…ふふっ』


 その時、私は自分で自分が信じられなかったーーーーは笑い出していた。

 『うふふっ――…ふふ、あはははははははっ!!』

 私は笑い声をあげながら、堪え切れない様に羽化したヴェーダラの間を走り出した。

 『グォウォオ~~~ッッ!!!』

 『ギュイゥアアアア~~ッッ!!』

 『ゴルルルルゥウウ…!!!』

 傍らで様々な形態のヴェーダラ達が羽化し、奇声を発した。なのにヴェーダラは走り回る私の事など見向きもしないで、奇声を発しながら徘徊を始めた。

 誰も―――なぜか誰も私を襲って来なかった。

 『あはははははははははっっっ…!!!』

 私ははしゃいだ子供そのものの様に、奇怪な姿をしたヴェーダラの間を駆けまわり続けた。

 (何、これ…どういう事、何なのこれ…!!)

 ヴェーダラは死体からどんどん羽化している。私はまるでそれを祝福するかのようにして、その地獄絵図のさなかを無邪気に走り続けていた。

 

 

 「…ッ!!―――…」

 目が覚めた私の心臓は激しくバクバクと脈打っていた。私は夢の中の光景を引きずったまま、しばらく鼓動が静まるのを待った。

 「…っ…何、今の夢…?気持ち悪い――…」

 『どうした、薫』

 気付くと、ヴァルが私の傍らに立って顔をのぞき込んでいた。

 「ヴァルおはよ…何か、変な夢見た」

 私は大きなため息をつきながら、そう返事をした。

 見上げた先には岩盤を粗く削り出した壁がそびえ、糸があちこちに張り巡らされてそれが高さ数十メートルの天井まで続いていた。時々その糸の間から子グモ達が顔をのぞかせている。

 「ヴァル…子グモ達、私にちょっかい出そうとしなかった?」

 『む…寝顔を見に来たのは何匹かいたが、まぁおおむね大人しかったぞ』

 「そっか…今日はどうしようかな。囮になるのって夜からでしょ」

 『そうだ。まずはやはり、人や魔族の村や町を見つけた方がいいのではないか?』

 「う~ん。まぁそこなら安全に住める場所も見つけられるよね…――でも、敵に襲われる確率もきっと高くなるはず」

 私は布団の中で伸びをしながら考えた事を言った。

 『そうだな…賊の様に人から何かを奪うような輩もいるだろうし、また魔族にも好戦的なものや、人間を奴隷化して使おうとする者もいるかもしれん』

 「…やっぱそういうのいるんだ。まずは腹ごしらえしながら、子グモ達にこの辺の情報を聞こうか」

 上半身を起こして数十メートル四方ある部屋を見渡すと、子グモが糸にす巻きにされたヴェーダラを“御食事中”で、いくらなんでもこんな場所で朝食を取る気ににはなれない。なので、一階で見かけた社員食堂で食料を探してみることにした。


 地上へ出てビルの入り口近くのエントランスホールへ行くと、辺りは昨日と違い光に満ちていた。

 白に近い黄緑色の光が糸の張り巡らされたガラス窓の隙間から差し込み、自分が改めてこの世界に来た時の時間帯が夕暮れ時だったことが、その時になって初めて分かった。

 「…ッ!?もうヴェーダラのす巻きが無くなってる!!」

 エントランスホールに昨夜あれだけうず高く積まれていたヴェーダラが、ものの見事に無くなっていた。

 『…貪欲な奴等だ。用済みになったらお前もこうなるかも知れんぞ、薫』

 私の巻いたストールの中から、2頭身姿のヴァルが憮然としながら言った。

 「う゛っ…」

 うろたえた私は反論する事も出来なかった。

 今はエントランスにほとんど子グモ達がいなかった。きっと地下に移動して夜に向け休んでいるのだろう。

 おなかがすくと、どうも気分が落ち込んで悲観的な気分にどうしてもなってしまう。さっさと朝食を取ろうと、私は食堂を目指した。


 食堂の広さは数十メートルはあってかなり広かった。

 イスやテーブルが散乱していて、やはり大きな地震か何かがこの世界を襲ったんだと推測出来た。日の光が当たらないので試しに近くにあった照明のボタンを押してみると、それはまだいくつか機能していて、途切れ途切れに部屋を照らした。

 キッチンへ入ると床一面に食器や小物が散らばっている。私はそれを踏み越えながら、ガスが漏れていないか確かめたが、匂いは何もしなかった。

 「電機は通ってるのに―――…ガスは通ってないって事?」

 私はステンレス製の業務用冷蔵庫に近づいて扉を開けた。仲からヒンヤリとした冷気が漂って来て、中は転がった食材や調味料でてんこ盛りだった。

 コンロの方を振り返ってみるとガスコンロの様でそれを使う勇気は私になく、しかもあらゆる調理器具や棚のものまで足の踏み場もないほど落下していて、調理台の上も壊れた物でごった返している。

 私は大きくため息を吐き、オーブンレンジを探し出して稼働するかどうか確かめると、デジタル表示が生きている事で使用出来ることが分かった。

 そこらにあるステンレス製の扉を次々と開けると冷凍庫が見つかり、そこに肉や魚などが保存され、冷凍食品もあった。

 次に床に転がっていた大きな炊飯器を、ヴァルの手を借りて上向きにして中を見てみるとラッキーな事にご飯が炊けていて、しかもかなりの量が残っていた。

 「…ッ!!これラップにくるんで冷凍したら日持ちする。2日間ここにいるからすっごい助かる。…あ~朝食はおにぎりにしたいなぁ。海苔と塩はどっかにないかなぁ」

 私は俄然やる気になると、とにかく片っ端から調べ始めた。

 

 そうして食堂のテーブルの上には、海苔で巻いたおにぎり3個と、オーブンレンジで作ったスクランブルエッグ、千切ったキャベツとミニトマトのサラダといった朝食が並んだ。

 私はおにぎりにかぶりつき思わず声を上げた。

 「んん~!なんかほんと、日本人でよかったぁ~、うまいっ」

 『食は人間にとって、よほど大事なものなのだな。これからは持続的に入手可能にしなければ、ここでは生き残れまい』

 テーブルの上に立ちながら、興味深そうに並んだ食事を見てヴァルは言った。

 「そうだよ。とにかく水、食料、下の世話に寒暖対策…。食事がすんだらご飯を冷凍して、野菜もレンジで下茹でしておこうかな。今日はおにぎりでいいけど、毎日だとさすがに飽きるだろうし、パンとか麺とかあれば本当にいいんだけど―――…食に関する悩みは尽きないな…」

 問題はここを出た後どうするかだ。出たあとすぐに住居は見つかるのか、そこで持続的に食料が手に入るのか――…。

 「…あの人が母親だったとしても――…私は今まで恵まれてたんだな」

 家があって、飢えやお金の心配も無くて、毎日安定した毎日が送れていた事がとてつもなく貴重な事だったんだと実感した。

 だからと言って母親への愛情は湧いてこないけど、でも感謝すべき存在なのは確かだ。まあ家事や食事も私が半分以上やって、母の作る食事はあからさまに手抜きで美味くはなかったけど―――…

 「…何か不安だな。能力が使えたって、ただ強いだけじゃ生き残れないよ…」

 『確かに。我が描かれた性質上、どうしても戦闘面に特化したものばかりだ。敵からお前を守る事は出来ても、お前自身が飢えや寒さを乗り越えられるかは、また別の話になる』

 私はおにぎりを口いっぱい頬張りながら顔をしかめた。

 「じゃあもし…私がヴァルを“食料を出せるクリーチャー”として描いたらどうなるの」

 『うむ…それは確かに可能だろうが、しかしソーマの消費も激しくなるだろうな』

 「…そっか…」

 『食料は生命力を必要とする。ただの物質やエネルギーと違い、有機的なものだからな。その分ソーマの消費も大きいから、それを大量に補う必要が出てくるだろう』

 「…じゃあ食料を作り出すクリーチャーってのは無しだね。自衛のための力まで失ったら、即死亡だよきっと」

 『あの子グモぐらいなら、2,30匹ぐらいはいけるぞ』

 私はテーブルの上のヴァルを睨み付けた。

 「その話はもう無し。あの母グモを敵に回すような事したくない」

 『…まぁ、今はこの世界に来たばかりだ。まずは自衛が第一だな』

 「さっさと食べてご飯の仕込みやらして、そのあと情報集めしよう」

 そう言って、私は再びおにぎりにかぶりついた。


 地下に再び降りていくと、向こうから地響きを立てて母グモがやって来た。母グモはほぼ通路を塞ぐ大きさなのですれ違う事も出来ず、私は横穴の子グモの巣穴へ体をどけた。

 『おはよう、よく眠れたかい?』

 母グモが8つの複眼で私を見下ろしながら聞いてきた。

 「あ~うん。あの…私、ここら辺のいろんな情報が知りたくて、子グモ達に色々聞きたいんだけど、誰か情報通の子いない?」

 母グモは前肢で顔を撫でて思案した。

 『そうだねぇ…大きくなった子は皆旅立っちまってるから…ああ、そうそう、息子が一人長旅から帰って来てたっけ。子グモ達に“旅兄さん”はどこって聞けば、誰かしら答えてくれるよ』

 「そっか、ありがとう。聞いてみる」

 『じゃあね』

 母グモは言うと、地上に向けて歩き出した。


 『旅兄ちゃん?んとねぇ…ビルって所へ行ったと思うよ』

 母グモが作ったであろう巨大なトンネルの側面には、大小様々な子グモの巣穴がずらりと開いていて、私とヴァルは入れる所を巡っては子グモ達に聞いて回った。

 その中の一匹から何とかその“旅兄さん”グモの行方を知ることが出来た。

 「ビルって、私達がいた上のビルの事?」

 『うん。兄ちゃん“景色が見てみたい”って言ってた』

 「あ~…結局行き違いかぁ。ありがとう、行ってみるよ」

 『じゃね~』

 私はビルへ向かい、ため息を吐きながら来た道を戻り始めた。

 『―――薫、我に乗れ』

 「え?乗れって――…わっ!?」

 ヴァルが私の肩から地面に着地すると自身の形を変化させ、小人の姿からライオンほどの大きさの、全身影で構成された4足歩行の獣へと姿を変えた。

 獣は影の顔の中から、金色の瞳をこちらに向けて言った。

 『乗れ、薫』

 「わ、私動物になんか乗ったことないんだけど…」

 不安な気持ちを隠せないまま、私はその背中をまたいで乗り上げた。

 「ぅわ…っ!」

 乗った途端、体がズズ…とヴァルの影の中に少し沈み、その沈み込んだ部分が影にしっかりと固定される感触がした。

 『―――行くぞ』

 「ちょっ…うわぁっ!!」

 私の返事を待たず、ヴァルは走り出した。

 辺りに風を感じ、髪が後ろへたなびくほどのスピードでヴァルは軽やかに走り続けた。影によって衝撃を吸収されているのか、動物に乗っているような振動をほとんど感じない。

 周囲にいた子グモ達がどんどん後ろへ遠ざかっていく。私はその光景を目を見開きながら堪能した。

 「ははっ…すっご…!!」

 ヴァルは地上へと登り坂となった道を力強く駆け抜け、やがてビルの地下一階に到着した。

 『―――着いたぞ』

 ヴァルがスピードを緩めて完全に止まり、私はその体から降りた。

 「凄いなヴァル!これもあれ…スケッチに書いた“様々な生き物や物に変化することが出来る”ってやつのおかげ?」

 『そうだ。この影の能力の姿は非常に便利だな』

 ヴァルは小人の姿に戻らず黒い獣の姿のまま、私と共に歩き出して言った。

 「ほんと凄いなーー…何か、また新しくクリーチャー描くのが楽しみになって来た」

 こんなに鮮やかに自分の描いたものが具現化するんだと目の前で実感し、私は興奮冷めやらぬ思いがした。

 『それは良い事だ。お前の創造性が高まる事ほど、我にとって喜ばしい事は無い』

 ヴァルは満足そうにうなずいた。

 「…旅兄さん、まだ地上にいてくれればいいけど」

 『そこらの子グモに聞いてみるか』

 私達は階段を上り地上へと出た。



 「旅兄さんて―――…君?」

 私とヴァルは12階の屋上へと続く階段に立ち、屋上に出ないまま開け放たれたそのドアの前に佇んでいた一匹のクモに声を掛けた。

 私達が声を掛けるまで、熱心に外を眺めていた体長3メートルほどの子グモは、振り返って興奮気味に答えた。

 『凄いね、これが空の上ってやつかぁ!この扉がもっと大きければ通れるし、壊すのも楽なんだけれど――…それをしちゃうと、下の兄弟達がヴェーダラや魔族に襲われちゃうかもしれないからね…今はこうやって、外を見るだけにしてるんだ』

 「外に出たことないの?」

 『うん。僕等はやっぱり地上に出ると、空から襲ってくる敵に弱いからね。…で、君は異世界から来た人間なんだよね、僕に何か用?』

 私はあごに手を当てう~ん、と思案しながら話した。

 「そうだな…まず、地上にある集落の場所か…それか地下にある集落の場所を知らない?できれば私達みたいな人間が生きていけそうな所――…」

 『悪いけど、地上は無理だね。こんな風に人間の世界のものが現れて、多分地形も変わってるんじゃないかな?となると、後は地下ってことになるんだけど―――…でもなぁ、こればっかりは自分の足で探さないと無理だよ。地図があるってわけじゃないし、地下は道がすごく入り組んでる所が多いからね、。それに、地下にも人間の世界のものが出現するから―――…ここに来たばかりの素人の君が、多分一人で行ける場所じゃないよ』

 「…じゃあ地下に行くって案は、現実的じゃないんだね」

 『人間て、自分でエサを取れるの?取れないのならまず行かない方がいいよ。道に迷って出られなくなって、飢え死にするのがオチ』

 私は大きなため息を吐いた。

 「それじゃ結局、自分で地上を探索するしかないってことかぁ。―――…ねぇ、今ちょっと外へ出てみていい?上からどこか街とか集落が…」


 『それはだぁめっ!!』


 幼い声が私の言葉を遮った。

 後ろを振り返ると、数十センチほどの大きさの子グモが前肢を振り上げながら怒っていた。

 その周囲には同じ大きさの十数匹ほどのクモが集まっていて、どうやらこの子供達が私達の監視役らしかった。

 『そのまま逃げる気だ!!』

 『ママの言いつけは絶対なんだぞ!!』

 十数匹の子グモが口々に抗議して、辺りは一気にやかましくなった。私は何気なくその子グモ達を眺めて、一つの“案”が頭の中で閃いた。

 『ママに言いつけちゃうもんね~』

 『ねぇ~』

 『ねねぇ~!』

 子供特有の甲高い声で姦しく喋る子グモ達に、影の魔獣の姿に戻っていたヴァルが、しびれを切らしたように私の肩の上で仁王立ちになり怒鳴り付けた。

 『うるさいこのこわっぱどもっ!!あまりうるさくすると、空中の魔物に気付かれるかもしれんだろうがっ!!そんな事も分からんのか、この愚か者どもがっ!!』

 『じゃあもうこの扉閉めちゃお~』

 『そうだそうだぁ~』

 ヴァルは途端に慌てふためいた。

 『なっ!?ちょ、ちょっと待て!!薫が今外の景色を見たいと…』

 子グモ達はヴァルの言葉を完全に無視し、カサカサと歩き扉を押して閉め始めてしまった。

 『薫どうする、外に逃げるなら今しかチャンスが…』

 ヴァルはそう小声で耳打ちしたが、私は旅兄さんに向き直ると話し掛けた。

 「ねえ、君達ってこのビルみたいに、地上の拠点を他に作ったりするの?」

 旅兄さんは、触肢で口元をかきながら慎重に答えた。

 『どうだろう――…でも、君達の世界が融合されたことで、地上のヴェーダラは格段に増えたはず…だから地下だけじゃなくて、ママは地上もターゲットにしたいんじゃないかな』

 この旅兄さんと呼ばれる子グモはとても頭がいい、と内心感心しながら私は更に言った。

 「…もし私が、このビルみたいな自分の選んだ場所に、君達にも来て欲しいって言ったら…付いて来てくれるかな?」

 『…?何を言っているんだ、薫』

 私達が話している間にも、子グモ達はガヤガヤとにぎやかに会話しながら、屋上への閉めた扉を外から開かない様に糸だらけにして封印していた。

 「んー…いや、やっぱ私達がこれから拠点にする場所に、あの空飛ぶヴェーダラとかが夜襲ってきたら、安心して寝れもしないでしょ。でもこの子達がその拠点に一緒にいてくれたらなぁって…都合良すぎかもしれないけど」

 旅兄さんはふ~むと言ってひとしきり思案すると、少し躊躇しながら口を開いた。

 『僕…実は地上に出てみたいん、だよね…。ママからは危ないからって厳しく止められたんだけど…。―――もし、もし僕のボディガードをしながら地上を探索してもいいっていうなら…ママに、僕から提案してもいいよ?』

 私は勢い良くヴァルを振り向いた。ヴァルは腕を組んで、私と旅兄さんの提案を吟味しているようだった。

 『この子グモをか―――…はっきり言って足手まといだ。足も遅そうだし、一体いつまでボディガードをしなくてはならないのだ』

 『そんなに長くなくてもいいんだ。ただ…やっぱり一度はこの世界がどんなだか、自分の体で近に体験してみたくて…』

 旅兄さんは、触肢をモジモジとすり合わせながらそう言った。

 「…じゃあ3日間ってのはどう?短いかな?」

 『ッ!!ううん、それでいいよ!僕も地上で自分が生き抜くのは厳しいって良く分かってるんだ。3日間で十分だと思うよ』

 「分かった、3日間ね。ヴァル大変だろうけど、この子を守ってあげてよ」

 『…本当にお前が頼めば、母グモは薫の要求を呑んでくれるか?』

 (ヴァルって…本当に用心深いんだな)

 私はその用心深さにきっと守られているんだろうな、と思いながら私は旅兄さんを振り返った。

 『そうだね。でも、あんまり魔族の集落の近くは渋るかも。ある程度立地条件も加わって来るとは思う』

 『…では、薫の用件が受け入れられる確約が母グモから取れたら、お前のボディガードもしてやらん事も無い、それがこちらの条件だ』

 『え~旅兄ちゃん地上に行くのぉ~!』

 『それにさ~そっちのお姉ちゃんみたいな能力持った人間までいるよ、きっと~』

 『ええいやかましいっ!これは我々3人の重大案件だ!子供が割って入って来るな!』

 ヴァルと子グモ達がまた言い合いになる中、私は旅兄さんに話し掛けた。

 「私もさっきヴァルが言ったことが大体の条件。どうかな?」

 『うん、何とか母さんを説得してみる。そうだ、今から行ってみる?』

 「―――そうだな、夜までこれといって予定も無いし…じゃあ」

 『ぅきゃああああっ!!地面に引っ張られるぅ~~~!!』

 『こいつぅ出てこぉお~い!!』

 ヴァルはいつの間にか私から離れ、影と化して床に展開させた影の沼の中へ子グモ達を引きずり込んで――…って、何でそんな事になってんの!?

 子グモ達の何匹化が触手や前足をワタワタさせながら、沼にはまってしまったようにズズズズ…ッと地面の下に沈み込んでいく。

 「ちょっちょっとヴァルっ!!あんた何やってんの!?」

 『しつけだ。我に向かって生意気な口をきく、クソガキどもをに対するな』

 『ママに言いつけてやる~!!』

 『他の兄弟呼んでこお~い!!』

 私は目の前で展開される、そのあまりにもばかばかしい光景に大きくため息を吐いた。そしてキッと顔を上げると思い切り息を吸った。


 「…っ…いいかげんにしろ、お前等ぁああっっ!!!」


 私の怒号はビルの上空にこだました。

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