第六話
『わ~いナイスキャアッチ!!ママぁ~捕まえたよお~!!』
「なちょっ、は、放して…っ!」
私はクモの背中から逃れようと精一杯もがいてみたが、リュックと背中全体に張り付いたクモの糸がまるで接着剤で貼り付けにされた様に離れない。その時微かな音が周囲に満ちて、周りを見回した私はギョッとなった。
私の周囲360度に、同じ種類の体格も様々なクモが何体も現れた。
『貴様――…っ薫を放せっっ!!!』
ヴァルが一階から3本のツタと共に階下のクモを威嚇した。私を乗せたクモは口の横の触肢を振り上げ答えた。
『やぁだよ~!この人間はとっても便利な“生餌”なんだから、ねぇママ~!!』
そう呼びかけると、今まで周りにいたクモ達が一斉に移動し始めた。そしてそれと前後するように、階段の灯りが届かない暗闇の向こうから地を轟かす音と共に――――何か大きな“質量”のものが迫ってきた。
『よぉ~くやったねぇ、お前達』
野太いおばさんの声が響いた瞬間、地下の床が爆散した。
ドッッッドゴォオアアアアッッッ!!!
「ぎゃあああ~~~っっ!!!」
『薫…っ!!!』
ガレキを振り撒きながら大きな黒影が私の頭上を越えて行き過ぎ、更に階段をぶち壊しながら地上階へと這い上がっていった。
それは――――私を捕まえたクモが小さく感じるほどの、巨大なクモの化け物だった。
私を捕まえたクモは巨大グモの腹の下を並行しながら進んで行き、上から降ってくるガレキは私を押し潰す事は無かった。
一階へと到着した巨大グモは、全身に付いていたガレキをブルルッ!と体を振って落とした。
『ふ~やれやれ。やっと地上に出ることが出来たよ』
地下への階段から少し離れた場所に、新たに芽を生やしクモ達と距離を取ったヴァルが全身の棘を逆立て怒鳴った。
『今すぐ薫を放せっ!!!でないと…我の酸で、貴様の頭を液体に変えるぞっっ!!!』
巨大グモの体の下から脇に出た私とクモの傍らを、何匹もの子グモが行き過ぎヴァルと対峙した。その中の一番小さな数十センチの子グモが、私を背負った子グモの背を駆け上がり私の頭にピタリと近寄ると、これ見よがしに口爪を私の首筋にあてがった。
「うぁ…っ!!」
『もしお前が何かしたら、この人間は死んじゃうぞ――ーっ!』
私を背中に背負った子グモが、はしゃいだ声を上げた。
『薫…っ――…貴様あっ…!!』
ヴァルと子グモ達の間に、一触即発の空気が漂った。
『…まあお待ちよ、ダイモンちゃん。あたし達は何も、このお嬢ちゃんが目当てって訳でもないんだ』
『…ッ!!?どういう意味だ、それは』
『―――ほら、やって来た』
巨大グモが言うと同時に、空を切る音がして廊下の向こうからコウモリ型のヴェーダラが攻撃してきた。
ッキィイイイ―――――ッッッ!!!
ヴェーダラが超音波を発し巨大グモを焼き殺そうとした、その瞬間。
―――ブシュウッッッ!!!
『ギャアンッッッ!!!』
巨大グモが射出した糸の塊が一瞬にしてコウモリに引っ付き、ヴェーダラを繭の様に糸だらけにしてしまった。
『ギィヤアアアッッギィイ…ッ!!』
糸だらけにされたヴェーダラは激しくもがくが、糸は強力な接着剤と化してヴェーダラの動きを完全に封じた。
『さぁおまえ達ぃっ!!狩りの時間だよっ、お行きっっ!!!』
巨大グモが号令をかけた途端、
『『『わぁ~~いっっ!!』』』
周囲の子グモ達が一斉に動き始め、私を背負った子グモが口爪を立てた子グモを乗せ、一階の廊下を先頭を切って走り出した。
『…ッ!!薫っ!!』
「ヴァ―…」
ヴァルが私に近づこうとした、その時。
ブシュゥウッッッ!!!
『ぐぁあっっ!!』
「ヴァル…っ!!?」
巨大グモの放った糸の塊がヴァルの頭部にヒットし、その頭を真っ白にしてしまった。けれど脇から再び何本ものツタが現れ、その中の一つがヴァルとして話し出した。
『貴様等…!薫を使ってあのヴェーダラを捕まえる気かっ!!』
「え゛ぇえっ!?何それ酷いっ!!」
『お嬢ちゃんを殺すつもりは無いから安心おし。今夜は500年に一度の“大収穫祭”なんだ。地上部隊もいるにはいるけど、このお嬢ちゃんがいればあのコウモリも簡単に捕まえられる』
『薫の生命の保証など、何も無いに等しいではないかっ!!こんな事…』
『ならあんたが守ればいいだろ?それがあんたの本分なんだから。さ、お前達お行き。しっかり捕まえて来るんだよ』
『『『は~ぁいっっ!!!』』』
「なっ…わ、私の意思はどうなるのおっ!?」
『そこで寝てていいから』
「…ね゛っ…寝れるかこんな場所でぇえ~~~~っっ!!!」
子グモ達は移動を開始し、その背中で叫ぶ私の声も遠去かっていく。
『んじゃ僕等は壁で待機するから、お前はここで囮な!』
『うん!…や~いこっちだぞ~!活きの良い人間だぞ~!!』
1階と2階の間の踊り場へやって来た子グモ達は素早く分散し、踊り場に一人とどまった子グモはその場でピョンピョン跳ね出した。
私の首筋にはぴったりともう一匹が引っ付き、いつでも私を襲える態勢を取っている。
『クソ…っ!!』
傍らの根から新しく生えたヴァルは、うかつに手が出せない様子でユラユラと小刻みに逡巡していた。その時割れた窓の向こうから羽音が聞こえ、3匹のヴェーダラが闇の中から私めがけ襲い掛かって来た。
「ひっ…ぎゃああああ~~~っっっ!!!」
コウモリ型のヴェーダラ達が、鋭い爪の伸びた足で私を引っさらおうとして来る。その寸前、割れた窓を挟んで左右の壁に張り付いていた子グモ達が一斉に糸を吐き、糸の“網”を作り出した。
『キギャアアッッッ!!!』
そこに自ら突っ込む形となったヴェーダラ達は網に衝突し、私からあと僅かの所で停止し反動で勢い良く引き戻された。
『ギィイッギギィアアア―――ッッッ!!!』
ヴェーダラが糸の網の中で激しく暴れた、次の瞬間。
ビシィイイッッッ!!!
壁にいきなり亀裂が入り、ヴェーダラ達が頭を動かす度にその先の壁に次々と亀裂が入り出した。
「―――ッ!!こいつら超音波出してるっ!!危な…」
傍らの床に入った亀裂を見て、私は慌てふためいた。
『頭部に集中して糸出せ――っ!!』
号令を受けて子グモ達は、ヴェーダラの頭部に糸の集中攻撃を浴びせた。その間も亀裂はあちこちで入り続ける。
「ちょっとっ!私にも当たるってえっ!!いい加減に―…」
ビビビビビビィイイッッッ!!!
『ギャ…ッッ!!!』
『ギキィイイ…ッッ!!!』
ヴェーダラ達は叫んだまま、体を痙攣させて固まった。
『全く――…何という行き当たりばったりの作戦だ…』
「ヴァルぅっ!!あ、あんた…っ」
ヴァルの頼もしさに思わず涙しそうになりながら、棘を射出した赤黒いツタを私は見上げた。糸の絡まったヴェーダラの背後から、ヴァルがツタを伸ばし棘を放っていた。
『…薫。今の所はこいつ等に従うしかあるまい、お前は我が守るーーーだからお前は…少しの間辛抱していてくれないか』
私は今でも取れない背中を引っ張る努力をやめ、大きくため息を吐いた。
「…それしかなさそうだね」
(問題は――…)
私とヴァルの会話の最中も、着々と3体のヴェーダラを糸だらけのす巻きにしている子グモ達を見ながら、私は考え込んだ。
(…こいつ等が、今日一晩で解放してくれるかどうか…―――その時は)
『よぉ~っし、捕獲完了!!場所変えてどんどん行くぞお~っ!!』
おぉ~!!と子グモ達は元気に唱和し、私は間抜けに子グモの背中に乗せられたまま次の場所へと移動させられた。
そうして子グモ達は1階から12階までーーーヴァルが仕留め切れなかった階の中にいたヴェーダラをす巻きに変えつつ、私を生餌に大量のコウモリ型のヴェーダラを捕獲していった。
私も始めの方はわぁ~!だのギャー!だの一々叫んでいたが、しまいに酷い車酔いのような状態になってしまい、目も開けられないままグロッキーな状態でひたすら時が過ぎるのを待ち続けた。この地獄のような時間が永遠に続くのかと絶望的な気持ちになりかけたその時、12階の上に行こうとしていた子グモ達がぴたりと止まった。
『あ~こっから先は屋上だぁ。屋上は危ないからママが出ちゃダメって言ってたよね~』
『じゃあこれで終わり?』
『うん、みたい』
「…やっと終わったか」
私はあまりの安堵感に、そのまま気絶しそうになった。
子グモ達は収穫物を回収しながら(つまりヴェーダラのす巻きを)来た道を戻り出した。ヴァルは子グモ達の後からずっと私に付いて来てくれ、ヴェーダラの捕獲に大いに役立っていた。
子グモ達は背中に丸太をピラミッド状に重ねる様に、す巻きにしたヴェーダラを背中に引っ付けて運び、それはそれはかなりシュールな光景だった。
「ねぇ…これが済んだら、私を解放してくれるんだよね」
私は、私を運ぶ子グモに訴えた。
『え~そんなの知らなぁい。ママに直接言いなよ』
このクソガキ…!私は内心毒吐きながら、努めて冷静に話そうとした。
今は6階と5階の間の階段を下りている途中だった。私はガクンガクンと揺らされながら更に続けた。
「あんた達って地下から来たの?地下に―――…まさか世界があるとかないよね…」
『あるに決まってんじゃん。地下にも魔神様の領地あるもん』
やっぱりあるのか…と私はげんなりしながらそれを聞き、逃亡する時に役立つかもしれないとチラリと考えた。
「どんな感じの所?かなり広いの?」
『うん、広いよ~!おっきくなったら僕旅に出るんだあ!』
『あたしはぁ、マグマの近くのあったかいとこに行きたぁい!』
いきなり他の子グモ達がワイワイと話し出した。その子供特有の甲高いはしゃぎ声をうっとうしく思いながら、まともな情報はこのガキ共からは無理だと諦めた。―――やはり、母グモに話をつけないといけない。
『良くやったねぇお前達。大漁大漁っ!!』
広い1階のエントランスにうず高く積まれたヴェーダラのす巻きを見て、私は何とも言えない嫌な気分になった。
1階のビルの入り口や割れた窓ガラスはいつの間にか糸で目張りされ、完全に塞がれていた。
大漁~大漁~!!と騒ぎ立てる子グモ達を尻目に、私は母グモに訴えた。
「ねぇ!!もう済んだんだから、この糸ほどいてよっ!!」
その途端に子グモ達が騒ぐのを止めてこちらに注視し、母グモが私を見た。
「これだけ集められれば十分でしょ!っていうか、私今おしっこしたいのっ!いいの!?この子の背中におもらししちゃうよっ!!」
『えぇ~っ!?やだぁやめろお~!!』
私を乗せた子グモが動揺し、ピョンピョンと跳ねた。
「くぉらあっ!!そんなに動いたら逆に危ないでしょうがあっ!!」
母グモは触肢を上げて、何かを思案する様子を見せた。
『でもねぇ~この収穫祭は、あと3,4日は続くんだよ。―――…つまりぃ』
『それは欲が過ぎるというものだぞ、巨大グモ』
上から掛けられた声に顔を上げると―――エントランスの高い天井に根を張ったヴァルが、そこから至る所に何本もの赤黒い芽を生やし、クモ達を見下ろしていた。
『もう十分役に立ったはずだ。薫を解放しろ』
ヴァルの声に含まれた本気を察し、状況が戦闘状態に移行した事を私は悟った。私の首筋に口爪を当てていた子グモが更に強く押し当てる。
『ほぉ~ずいぶん強気じゃないか、ダイモンちゃん。この子が殺されても良いのかい?』
『その言葉…そのままそっくり返してやる。…お前の子供達と、苦労して集めたエサを溶かされたいか母グモ』
2人の間に一触即発な雰囲気が走った。私は皮膚に感じるピリピリとしたその雰囲気に耐えきれず、半ば無意識の内に叫んでいた。
「…2日!!2日なら手伝ってあげるからっ!!それ以上は駄目っ!!」
『薫っ!?お前何を…っ』
私は母グモに向かって叫んだ。
「だから、私を解放して!!それとこの辺の情報とか、この世界の状況とかーー…とにかくこっちにも何か報酬をくれるんなら、それならおあいこでしょっ!!」
母グモは8つの複眼でじっと私を見つめた。
「このままじゃ、お互い犠牲が出てしまう。…そんなの、私だってーー…そっちだって嫌でしょう!!」
母グモはしばらく無言で私を見つめると、やおら動き出して前肢を私に振り上げた。
「…ッ!!」
私は思わず目をつむった。
『薫っ!!貴様っ…―』
『早合点するじゃないよ、ダイモンちゃん』
母グモの前肢が私の背中と子グモの間に入りしばらくモゾモゾと動くと、私を縛り付けていた背中の糸がほどけた。
「――ー…ッ!!」
私は勢いよく背中を起こし、子グモの背中からストンッと降りた。
『監視は付けさせてもらうよ、建物から出ることも禁止だ。…でもまあ、あんたの言う事も一理ある。生まれたてのチビ達を殺されるのは、あたしも辛いからねえ』
私は不思議な気持ちで巨大な母グモを見上げた。
(モンスターにも…ちゃんと母性があるんだ)
「うん、わかった。―――ヴァルっ!」
近くの根から生えてきたヴァルが急いでやって来た。
『薫っ、ヒヤヒヤしたぞっ!!貴様薫にあまり近づくな!お前達もだっ!!』
ヴァルは周りにいる子グモ達を威嚇した。
『なんだよえらそーに!』
『お前なんかまずそーなくせにぃ!』
子グモとヴァルがギャンギャン言い合いをはじめ、私は仲裁に入った。
「も~やめなよ。一応契約は成立したんだから、仲良くやろうよ」
『お前は甘すぎだっ!!そんな思考回路ではこの先生き残ってはいけないぞっ!!』
ヴァルの怒りが私に飛び火し、飛んでくるヴァルの唾をよけながら私は言い訳した。
「だって…話せばどうにかなるなら、それに越したことはないじゃんか。それにさ、地下の事とか教えてもらいたいし」
ヴァルはシュ~ッと息を吐き、何とか怒りを収めようとしてくれた。
『では…地下を探索しようとでもいうのか』
「どうだろうね、それはクモ達に聞いてから判断する」
エントランスに集められたす巻き状態のヴェーダラは、さっそく子供たちの食事になりつつあった。私はぞっとしない思いでその食事風景から目を逸らした。
「ねぇヴァル…今何時?昼なの、夜なの?」
『今は夜中だな、この世界の時間は薫達の世界と同じだ。後しばらくすれば周囲も明るくなろう』
「だからかな…何かすっごい眠いんだけど」
言った途端、私の口から大きなあくびが飛び出した。
「眠るとこどうしよう…窓のある所は、またあのコウモリが来そうだし」
『一階に場所を探すしかないな』
「というと食堂か…」
冷たい床の上ではまともに眠れるのか私は不安に思った。
「しかも布団無いし、寒いし…はぁ、もう一回上に探しに行くしかないか…」
『地下で寝たらいいじゃん』
その時、私達の会話を聞いていた2メートルほどの大きさの子グモが言った。
「地下?このビルの地下階ってこと?」
『ちっがーう!あたし達が来た所――…あたし達の“巣”だよ!』
「―――…巣…?」
その瞬間私が思い浮かべたのは、どこもかしこも糸塗れの巣窟だった。
『ママに聞いてみてあげる。ママぁ~~!!』
子グモは叫んで母グモのところへ行ってしまった。
「だっ、ちょ…っ!――ーヴァルっどうしよう!?」
『餌にされるぞ』
「ちょっと怖いこと言わないでよ、ヴァル!!」
『ママ良いって~~!あたしが案内したげる~~っ!!』
子グモは私達に向かってそう言いながら、ピョンピョンと跳ねた。私はその子グモのあまりの天真爛漫ぶりに断るに断れずにタイミングを逃し、半笑いで手を振り返した。
『―――餌決定だ』
ヴァルが度し難いと言いたげに呟いた。