第五話
手を洗ってついでにトイレを無事済ませると、最初のオフィスに戻り今までの収穫分を全て荷物に入れた。担いでみるとずっしりと重い。
「さてと…っていうかヴァル、その格好で付いてくんの?」
ヴァルは赤黒い頭をユラユラ揺らし、逡巡しながら答えた。
『このビル内ならこの姿でもいいが、外での移動には向かぬ―――かと言って薫の描いたものの中に、目立たぬように移動出来るものもあまりないのも確かだな』
私はそう言われ、改めて考えてみた。
今まで描いてきたクリーチャーは確かにインパクトばかりで、悪目立ちなどしてはいけないこれからの状況に見合ったものが、そう簡単には思い浮かばなかった。
「スケッチブックと一体化出来ないの?」
『すでに形を与えられてしまったからな。このスケッチブックに描かれたどれかに、い続けるしかない』
「じゃあ屍産蜂は?あれなら小さいじゃん」
『…あれは、何十匹で一つとして描いてあるものだ。具現化したら大賑わいだぞ』
私は大きくため息をついて匙を投げた。
「じゃあ…――一体どうすればいいっての?」
『―――新しく描けばいいではないか』
「…あぁ、そっか―…」
私は荷物を全部床へ下ろすとスケッチブックを取り出し、バックの中から筆袋も取り出した。デスクにそれらを置いて、近くに動かして来たイスに自分も座りながら、さて――…と白紙を前に思案した。
「小さい方が良いよね―――…それから、何か物に擬態出来るのが良いかなぁ」
ヴァルが私の後ろからのぞき込んだ。
『物だと、周囲の状況が分かり辛いという弱点が生まれてしまう。やはり…小さく自立した存在が好ましいな』
私はイメージを何となく思い浮かべながら、シャーペンで輪郭を描き始めた。意識が徐々に白紙のページへと吸い込まれていくのを感じる。
小さな2頭身の体に角―――装甲に覆われた体に所々獣の毛皮や尾を描いた。
時間の感覚をしばし忘れ、やがて描き上げたものを私は眺めた。
「こんなんでどうかな…」
それはどことなく異形化した月島を思わせる、2頭身で2足歩行の真っ黒な鎧を身にまとった、全身黒の被毛に覆われた野獣だった。
『…素晴らしい。能力や大きさを書き込めば更に助けになるだろう』
「ん~能力か―――…影に溶け込める能力ってどう?そうすれば偵察とか、更に気付かれにくくなるし…うん、つまり“影化”出来る能力だな」
私は早速ページの余白に能力設定を書き込んだ。
“能力:影化。影に溶け込み、自身も影となって攻撃可能。”
『おおっ!それは良いな。やはりお前には素晴らしい才能がある!』
ヴァルは言いながら、興奮した様にツタの体をワッサワッサと揺すった。…何だか固い口調に似合わず意外と単純な感じが見て取れて、私は思わずちょっとこいつ可愛いかも、と思った。
「影、か…。ねぇヴァル、もしもこの影に人や物を出し入れする能力…つまり異空間を制御出来る能力なんかを書き足したら…その能力も発動するの?」
『可能だ。…しかしそうなると、多くの“ソーマ”が必要になってくる。さらに多くのヴェーダラや魔物を捕らえなければ、常時発動させるのは無理かもしれん』
「ソーマ?何それ、初めて聞いた」
「我々はある程度集約化されるといっただろう。この世界の非生物や生物は、全てソーマを根本としている。我々ダイモンや、魔神に魔族に魔獣…ヴェーダラ化した元人間もそうだ。簡単に言えばソーマとは、この世界の“生命力”だな」
私はその話を聞く内にある事実に気づき、表情がどんどん苦み走っていくのを感じた。
「それってさ…強くなるためにはヴェーダラや、魔物を食べなきゃいけないって事?」
『……強くなりたいのならな』
“強くなる”――――それは生き抜くことと、もはやこの世界では同意語だ。
人を殺すのは嫌だ、加害者になんてなりたくもない――――でも、身を守る力はどうしたって絶対必要だ。
(…真剣に、力を強める事にも向き合わないと。でないと私もあのヴェーダラ達みたいに…)
私はそこまで考え、今はとりあえずこれ以上考えるのを止めて目の前のイラストに改めて集中し直した。
「ん~分かった…。でも一応、緊急時の時のために書き加えておくよ。どれくらいの物が常時収納可能かも調べておかないとね」
私はその他に戦闘時の体形変化した姿や特徴を細かく書き込んでいき、全て終わるとスケッチブックをバックにしまおうとした。
『そうだ、薫。そのスケッチブックを奪われたり、破損されないよう大事にしまっておくのだ。人に見せるのも危険だ』
私は手に持っている深緑色のそれを見ながら答えた。
「…やっぱり、これが無くなると今までの力が無くなっちゃうってわけ?」
小説の中でよく使われる設定を思い起こしながら言うと、ヴァルがうなずいた。
『我はそこに憑依出来なくなってしまう。また雨や水で濡れて絵が滲んでも、そのページに描かれた化け物を具現化できなくなってしまう。とにかく…あらゆる破損や汚れは命取りになると思え』
私は、スケッチブックを入れている紺色のボディバックを見下ろした。
「これ防水加工タイプじゃない、安物なんだよね。――…ッ!そうだ」
私は傍らに置かれていた、給湯室から食べ物を持ち出す時に使ったビニール袋をとった。スケッチブックをその中に入れ、丁寧になるべく隙間無くビニールでスケッチブックを包んだ。
「無いよりましだよね。近い内に防水タイプのバックでも手に入れないと…」
スケッチブックを入れたバックをコートの内側に隠すようにしてずらし、外からなるべく見えないように調整した。
―――ドッ…
その時、窓の外に何かがぶつかる音がして私は振り返った。けれどその姿は見えず、鳥か何かがガラスに気付かずに当たったんだろうと思った私は、大して気にせずヴァルに話し掛けた。
「ヴァル、もうここはいいや。次は―…」
ーーードンッッッ!!!
驚いて振り向いた私の視線の先にいたのは――――暗い夜を背景にして、窓にへばりつきながら見開いた眼でこちらを睨む、一見人間かと思えるほど巨大な“コウモリ”だった。
「な゛っ―…」
私が絶句していると次の瞬間。人間もどきの化け物コウモリは、人間なら顎が外れるほどにカッと口を開いた。その口には鋭い牙が生えそろい、よだれが糸を引いている。
牙をむき出しにして威嚇した化け物の背後の闇から、コウモリの翼を生やした同じ種類の化け物が音も無く表れた途端、窓ガラスへ衝突した。
…ッッガジャシャアアッッッン゛ン゛ン゛!!!
「ぅわああっ!!!」
飛んで来たガラスの破片から私はとっさに身を守った。
『―――荷物を持って、すぐにここを離れたほうがよさそうだな』
目を開けると、私の体はヴァルのツタが盾となてくれたおかげで無傷だった。
『『『キャギギギィイ…ッッッ!!!』』』
部屋に侵入してきたのは3体―――ー羽を折りたたんだ四つん這いの姿勢でじりじりと包囲網を狭めながら、攻撃の機会をうかがっている。
浅黒い肌は血管が異常に浮き出ている。頭髪は無く、腕はコウモリと同じ形態の羽になっていて見れば見るほど醜い姿だった。
「ヴァル…っ」
『早くしろ薫。荷物を取れ』
私は何とか平静を取り戻すと、急いでリュックを担ぎバックを持った。
『奴らは飛行タイプのヴェーダラだ。一階か地下へ避難したほうがいい、早く行け』
「ヴァルは!?」
『―――こいつ等を喰らう』
言葉と同時に、ヴァルの全身の棘が逆立った。
私の脇を何本かの赤黒いツタがスルスルと行き過ぎて、化け物達に対してカァア…ッ!!!とラッパ上の口を開いた。
先に攻撃を仕掛けてきたのはコウモリのヴェーダラだった。化け物はいきなりその場で、一斉に皆裂ける様に口を開けた。
ッキギィィイイイ゛イ゛イ゛ッッッ!!!
「つ…っ!!?」
瞬間鼓膜に激痛を感じたと同時に見えない一撃に頭を打たれたように視界がぶれ、私はとっさに耳を塞いでうずくまった。
そして次の瞬間ヴァルのツタの体から、一気に“炎”が吹き上がった。
ヴォオ゛オ゛オ゛オ゛…ッッッ!!!
『ぐぉあ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!』
ツタ達が炎に巻かれながらのたうち回っていた。
「ヴァルっ!!!」
『に゛っ…げろぉおっっっ!!!』
私は強烈なめまいと吐き気に苦心しながら立ち上がると、よろよろと出口の方向を目指した。かろうじて炎に見舞われなかったツタが体表面の棘を逆立てると、ヴェーダラに向け射出した。
ビビビビィイッッッ!!!
数十の麻酔作用のある棘が一匹にヒットし、ヴェーダラはもんどりうって倒れた。その隙に私は部屋の出口へとにかく急いだ。
耳鳴りがやまず視界がグルグルと回る中、私は何とか出口に辿り着くと右に見える階段を目指した。階段に着くと手すりを命綱のような思いで両手でしっかりと握り、私は階段をゆっくりと降り始めた。
『ピギャアアアアッッッ!!!』
化け物の叫び声と共に、複数の翼の音が上階からこだました。
1階と2階の間の踊り場を過ぎて1階へとまさに降りようとしたその時ーーー最初にツタの生えた階段の途中の場所から4、5本のツタが伸びて来て、そのいくつかが上階へ向かった。そしてその中の一つが私の元へやって来た。
『一階を調べていたら、地下への階段を見つけた。そこへ逃げるか?』
「ヴァルっ!?さっき炎で…」
『我の本体はこのビルに張った“根”だ。根が全て破壊されない限りは、死にはしない』
私はヴァルの言ったその言葉に深く安堵した。
「あの化け物――…一体どれくらいいるの!?」
『かなりの数が、このビルの上空を飛んでいる』
私は顔色を失った。きっと人間を―――私を狙って集まっているんだ。
「…じゃあ、外にも出られないじゃんか。地下に行けば安全なの?袋小路に―…」
私が言いかけた、その時。
ッガッッシャアアアンンンッッッ!!!
見上げた先―――中1、2階の踊り場へ、さっきと同種のコウモリ型のヴェーダラがガラスをぶち破ってビルの中へ侵入してきた。
ヴァルはとっさに棘を逆立て、入ってくるなり私に襲い掛かって来た化け物めがけ棘を射出した。
『ギィャアアアッッッ!!!』
化け物は階段に衝突しながら私の傍らを転がり落ちて行ったが、その後ろから複数の羽音が聞こえ、私は深く考える暇もなくヴァルに叫んだ。
「ヴァルっ!!地下への階段はどこ!?」
『こっちだ!!』
一階の廊下に伸ばした根から新しいツタが生まれ、その小さな頭が階段から奥へと伸びている廊下を頭を振って示した。
私が急いで残りの階段を降りるとほぼ同時に、ヴェーダラが2匹3匹と破砕した窓ガラスから侵入してきた。
階段の壁から生えた2本のツタが、背後から私を襲わんとしていたヴェーダラめがけ棘を次々と放った。
―…コォオッッッ!!!
すぐ背後で翼の音がして私はとっさに身を伏せた。そのすぐ頭上をヴェーダラが通過し、もんどりうちながら向かいの奥へ続く廊下に墜落した。
『ギィイッギキィイイッッッ!!!』
背後では一匹がヴァルの棘にやられ、もう一匹は2階へ上がる階段に避難している。
『ギッ…――…ッ!!』
一階の廊下に落ちたヴェーダラが、大きく口を開いた。
「…ッ!!」
私は耳に手を当て、やって来る超音波の衝撃に備えた。
――ッジュシャアアアッッッ!!!
『ギィイッッギャアアァア―――ッッッ!!!』
今まさに攻撃しようとしていたヴェーダラに向かい、一階に生えたツタが口から酸を吐き掛けた。肉が溶けていく生々しい音が響き、ヴェーダラは一瞬にして脳みそまで溶かされ頭部がドロドロに溶解していった。
そこへツタが口を裂いて、溶けた頭部ごと一気に捕食した。
―――ッキィイイイイイッッッ!!!
安心したのも束の間、頭上から超音波の攻撃が私を襲い、視界が吐き気と共にまたグニャリと歪み始めた。
『早く奥へ進め、薫!!』
ツタの1本が私の盾となって、飛行するヴェーダラを捕らえようと飛び出していった。一瞬途切れた攻撃の隙に私は歪む視界のまま、何とか奥の廊下を目指しフラフラと歩き出した。
一階に墜落したヴェーダラは、ほとんどがツタによって食われていた。私はその傍らを過ぎ、明かりの灯った廊下を更に奥へ進んでいった。
上階から天井を揺らす激しい衝撃とともに、叫び声が断続的に響いてくる。ヴァルとヴェーダラが激しくやり合っているのが分かり、私は強い不安を覚えた。
(ヴァル…!大丈夫だよね、だってスケッチブックは、ちゃんとここにあるんだから)
廊下を歩いてふと食べ物の匂いがして左側に目をやると、硝子戸の向こうにぐちゃぐちゃになった椅子とテーブルが見えて、ここが社員食堂だと分かった。
『薫、ここだ。ここから地下へ降りれる』
右の壁から新たに生えたヴァルが教えてくれた。廊下の突き当りは外へ出る扉になっていて、その左側に地下への階段があった。
踊り場の付いた地下の階段には明かりがついていないので、階段の近くにあったスイッチを私は押してみると、ライトが次々と点灯し地下を明るく照らしていった。
「ヴァル、大丈夫?あいつの超音波にやられてない?」
『あまり調子は良いとは言えないが、お前やスケッチブックが破壊されていない限り、我は死なない。だからあまり心配するな』
「…そっか。私は地下へ行くから、根の範囲をもっと狭めていいよ。その方が守りを固めやすいでしょ」
『だがなにぶん数が多い。一階から地下に大挙して来られたら撃退出来…―――…ッ!!!薫っ、そこをどけっっっ!!!』
「え―…?」
突然全身の棘を逆立てたヴァルを見ていた私の背に次の瞬間何かが射出され、私の後ろ側ほぼ全面に“張り付いた”。
私がそれを感じたとほぼ同時に、強烈な力でそれが後ろへと引っ張られた。
「…ッ!!!ぎゃああああ――――っっっ!!!」
私の体は勢いよく空を飛んだ。
このまま頭から階下に叩き付けられる、そう思った瞬間。
―――バフォンンッッ!!!
私の体は固い場所ではなく、フカフカのソファのような感触の元へ背中から着地してい…――いや違った、これはやっぱりソファなんかじゃない。触れた手にフサフサとした“毛”の感触がするし、私の両足の間から見えるのは――…
「な何っ?く、“クモ”ぉおっ!!?」
全身にこ毛に覆われた頭胸部に4対の足ーーーそれは体長1メートル以上はあろうかという、茶と黒の模様をした“クモ”だった。